毎日、日本で、世界で辛い事件が数限りなく起こっています。
子供達に向けられた無差別殺傷事件、宅間守の事件すらまだ私には記憶に新しいのに、またしても。
宅間守との違いは、今回の犯人が「無敵の人」であったこと。
宅間守の場合は、闇雲に肥大化した自己を撒き散らした、奥行きなど全く無い、ただただうんざりとさせられる事件です。
今回の犯人については、これから詳しい事が出てくるのかもしれませんが、
生育環境や根底にあるものの近さは池袋通り魔事件の造田博に近いのではと感じます。
などと考えていたら、1年前に書いていたのがこちら。
「無敵の人」は増え続けていると感じます。
生育歴や環境がどんなに「ハードモード」だったとしても、しっかりと生きている人はたくさんいます。
ですが、その「ハードモード」が誰にも一度たりとも認めてもらう機会の無いものだったなら。
その苦しさは余りあるものだろうと思います。
ただただ、内側へと閉じて行くしかないのかもしれません。
私個人で言えば、何だかんだと「ハードモード」だった結果、それを糧にする事ができました。
コミュ障なのに、人が好きなんだと思うのですが、自分自身の境界線の緩さもあって(時として困るんですが
)、その時々に仲良くしてくれる、それもとても人として真っ当なレベルの高い人に出会う事が出来ているのです。
)、その時々に仲良くしてくれる、それもとても人として真っ当なレベルの高い人に出会う事が出来ているのです。だからこそ、今までやって来れたのだと思います。
ですがどれだけ素晴らしい人達に出会えても、苦しさも辛さも最終的には自分で引き受けるって決めていますし、自分を頼みに出来る自分でいたいと思っています。
誰かに責任転嫁をしたりするような自分にはなりたくないなと。
それだけ出来れば、人として充分だと。
天職や生きがいをみつけたり、社会貢献をするような人生ではありませんでしたし、「生きる意味」なんてわかんないですし、多分本当はそんなもの無いんじゃないかと思いますが、人として生まれて出会った人と楽しい思いも、嫌な思いもしながら、ただ毎日を生きていく事が人の有り様なのではないかと。
と言いつつ、時間は有限ですから自分の時間とかスキルとか、ささやかながら役に立てそうなものは出し惜しみしない、とも決めています。
若干生き急いでます

