周囲の予想より長生きして、楽しい事も辛い事も、どちらも予想できた事なんてそう言えばなかったなーと。
何かを成すには人生は短く、何もなさないには長すぎる、でしたっけ?
何もなしてませんが、今のところなかなかあっという間です。
生きる意味や使命を考えるほど、意識高い系でもなく、ましてや使命があると考えるほどある意味おこがましくもなれず。
ただ、予想が出来る訳もない毎日を自分なりに生きて行くのが精一杯です。
それでもただ一つ、あれこれあった上で思う事は、
それなりに精一杯やってきた自分をそろそろ少しは認めて甘やかそうかなと。もちろん、傍若無人に振る舞ってやるとかそんな事ではなく。
多くはなくても、自分の事を心配してくれたり、認めてくれたり、気にかけてくれる、会いたいと言ってくれる人がいるという事は、自分がやってきた事の結果なんだよなと。
と思いつつも毎日迷いっぱなしです。
今読んでいる本に、話の内容とは引用のポイントは違うのですが、アメリカのアルコール等の依存症の互助組織で使われいる「平安の祈り」が載っていました。
有名なのでご存知の方も多いかもしれません。
「神よ、変えられないことがらについては、それを
受け入れる平安な心を与えたまえ。
変えられることは変える勇気を与えたまえ。
そしてそれを見きわめる知恵を与えたまえ。」
まさに最後の、「見きわめる知恵」が欲しいです。
大事にすべき人を大事にせず、利害だけで関係を断ち切れなかったり、何故人は間違えるんでしょう?
間違えたら、間違えた事に気づければ幸いかもしれません。
今のところコミュニケーションが取れる生命体が見つかっているのは地球だけです。
そんなミラクルな、でも宇宙のながれでは刹那のような時間でしかないであろう人類です。
少しでも、平安が訪れるといいと思うのです。
そしてそれは、まず自分からなのだと思うのです。
すみません、もらった画像で引用先がわからず。
