こんばんは
ヨガ・瞑想講師の吉田昌生です。



そろそろ執筆業に専念していきたいので、
本日は以前書いた記事を編集してお届けします。


といっても、、、




安心してください。




手は抜きません。



むしろ、複数の記事を抽出しているので、
より整理された濃ゆい情報になっていると思いますw



それではいってみましょう!



私自身、24歳のころ
人生に悩み、苦しんだのをきっかけに、

東洋思想や精神世界の本を読んだのですが、
書かれていることの意味がわかりませんでした。


「宇宙とつながる」

とか、


「生も死も存在しない」

とか、いまいちピンときませんでした。


でもインドに行って、
ヨガや瞑想の実践を繰り返し、
このような哲学を「体験」していったことで、

その全体像がなんとなく見え始め、
「実感」として深まってきた手応えがあります。


もちろん、まだまだ未熟者です。

また私の表現力不足のため、
いまいち伝わりきれてないところもあるかもしれません。

「感覚」を言葉で表現するのは限界があることも知っています。


ですが、

深遠なヨガの入り口にたったワクワク感と、
それをシェアしたい気持ちがハートから溢れてくるので、、、

今日もこうやってお手紙を書いています。


私のブログやメルマガでは、
結構、東洋思想や精神的な話もしたりします。



「私は存在しない」


「すべてはひとつである」


一昔前までは、このようなことは、
非科学的なことだと思われていました。


それが近年、最先端の科学の分野でも、

インドの賢者たちが瞑想で「直感」した教えと
まったく同じようなことが言われ始めたりしてます。



例えば、現代物理学。

私たちを構成する分子、原子、
それをさらに細かくした「素粒子」


私たちの最小単位は、
「粒」だと思われていたので、
「素粒子」って名付けたわけですが、、、


科学が進化していくなかで、
実は、全く違うものであることが
明らかになってきました。



様々な実験を繰り返した結果、
「素粒子」は、霧のような、幽霊のような、
実態のないものであることがわかったそうです。




そして、面白いことに、、、

観測者が現れたときだけ、
霧のような、幽霊のような状態から
「粒子」(=物質)として観察されるそうです。



つまり「素粒子」は、
誰も観察していないときには
「波」のようで実態がないのですが、

誰かが観察しようとした瞬間
「粒」(=物質)になるというわけです。
(これを「観察者効果」と言います)




本当に不思議ですよね。
これまでの科学の常識を超えています。


「波」にもなれば、「粒」にもなる。



つまり、

私たちは、物質的な存在であり、
同時に、物質を超えたエネルギー的な存在でもあることが
最先端の科学でも証明されてきたわけです。




東洋では、
思考や肉体は、雲のようなもので、
私たちの本質ではないといいます。


じゃあ私たちの本質は何のか?

空(意識、生命、静寂、気づき、BEING)、
こっちが、本当の自分であると言います。



思考や感情、身体などは、
私の一部分にしかすぎないというのです。


インドの哲人クリシュナムルティの言葉を紹介すると、

「瞑想の出発点は自己認識です。
そしてこの自己認識は、思考や感情のすべての動きを凝視し、
表面的な上層ばかりでなく、奥深いところに隠れている下層の活動も含めて、
私のあらゆる意識を知ることなのです。」

とあります。

これは、本来の瞑想は、

「自分の感覚、感情、思考を観察し、
さらに深いところの自己を知るための手段」


であるという意味です。


私は、自分の感覚、感情、思考を観するだけでも、
多くの現代人にとって、計り知れない恩恵があると思ってますが、

そもそもの瞑想とは、
自己の本質を知るためのツールです。


実際に、古典的な瞑想法のなかには、
「私は誰か?」を問い続ける瞑想もあったりします。



あなたは誰ですか?


どこから来て、どこへ行くのでしょうか?



それは色んなレベルで答えることができますが、

「私」という存在の抽象度を上げて、突き詰めると、、、


日本人 → 人間 → 哺乳類 → 地球 → 一つの生命


となりますよね。


カメラのアングルをどんどんマクロにすると、
最終的には、宇宙全域にまで広がっていく感じです。


私は誰か?


名前や性別、年齢、
地位や肩書き、自分という役割から、
自分の周囲の人たち、空間全体、やがては、、、、

ただ一つの生命の漂い。

宇宙です。



実際、科学的にみても、
「私だけ」のものなんかありません。

吐く息も、吸う息も、
食べたものも、、水分も、考え方も、
どっからどこまでが、自分のものか曖昧です。

この体を構成する分子も、
常に循環し、この世界と共有し、
周囲の生きとし生けるものと相互依存の関係にあります。


何一つ、分けることはできません。


そういう意味で、
私たちはつながってます。


ひとつながりの生命です。


ただ、五感や心の働きによって、
『「私」という変わらない、分離された存在がある』
と、錯覚しているだけなのです。

このような「錯覚」=「勘違い」を、
ヨガや仏教では、「無知(無明)」と言います。

そして、これこそが、
すべての苦しみを生み出す根本原因であると説きます。







「一つの生命」を、木に例えてみます。


「自我」は、一枚の葉っぱ。
「本当の自分(真我)」とは、木全体と考えてみてください。

あなたは一枚の葉っぱです。

ずっと、

「私は葉っぱである」

「私は切り離されて存在である」

と信じていたとします。
(これが無知の状態です。)


でもあるとき、全体からみてみたら、
実は本当の私は、大きな一つの木の一部だったことに気づきます。


このようなパラダイムシフトを、
精神世界では「目覚め」と言ったりしますが、

瞑想が深まると、抽象度が上がり、
自分が、大きな一つのエネルギーの漂い、
その自然現象の一部であるように感じることがあります。


または、

収縮した自己が解放され意識が広がった感じ、
「私」が消えて、無色透明、空(スペース)になった感じがします。



木の話で例えるなら、

自分 = 「葉っぱ」


から、

自分 = 「木全体」


に意識がシフトするようなもんです。


「目覚め」を体験すると、
視点が変わり、ものごとの捉え方も変わります。


まず自分に対する捉え方が変わります。


私が葉っぱだと思っているときは、

他の葉っぱと比べて、
自分のかけているところや、
色のむらや小ささばかりが気になるかもしれません。


でも、自分は木の一部であると捉えるなら、
大きな葉っぱに、小さな葉っぱ、幹や枝、根っこ、

それぞれに、必要な役割があり、
どれもかけがえのない同じ木の一部分である
ということに気づきます。

自分の欠けているところより、
木、全体でみた自分の役割(分)は何か?
にフォーカスするようになるかもしれません。



また、死生観も変わるはずです。


それまでは、

「葉っぱ」が散ること = すべてが終わる

って信じてました。

でも、自分は大きな木の一部であると悟ると、
葉っぱが散ることが、終わり(死)ではないことがわかります。


なぜなら、葉っぱが散っても、木は在り続けます。

葉っぱが散っても、
そのエネルギーは木や大地に吸収され、
また大きな流れの一部に循環するだけで、
何一つ無駄にはならないことがわかります。


全体からみたら、葉っぱが散るのも、
大きな一つの木が、ただ代謝を繰り返しているだけ。

自分 = 自然現象の一部分


といったように全体性のなかから捉えられるかもしれません。




人間の身体も同じです。


瞑想で、自分自身を全体として捉える時間をもつことで、
現状の出来事、悩みを、全体から俯瞰してみることができるようになります。

そして、死が終わりではないこともわかります。

なぜなら、
本当の私は「生命(意識、エネルギー、気)」だと知っているから。


もちろん、この思考、記憶は消えます。
私の体を構成する分子もバラバラになります。

でも何か他のカタチに循環していくだけで、
この「生命(意識、エネルギー、気)」はなくなることはありません。


私を構成する分子も、その一部分は、
大地に、水に、火に、風、空とカタチを変えて、

その99、9999パーセント以上が、
また大きな流れにリサイクルされ還元されていくそうです。



そんなかずっと変わらないもの。


永遠なるもの。


それは、瞑想が深まったときに感じる「在る」という生命感。

この「在る」という感じだけは、
カタチを変えても、ずっと存在し続けます。


この「在る」という感じ、
「生命(意識、エネルギー、気)」を
私たちは共有しているのです。



そんな風に、考えると、
周囲の人たちや生命に対して、
なんだか仲間意識を感じませんか。


また深刻になり、自分を責めるとき、
私の人生終わった、、、と嘆くとき、
よりリラックスして、人生というゲームを楽しめるようになるかもしれません。


今日は、かなり壮大なストーリーになりましたね。


いまいちピンときてなくても大丈夫です。





上記は、あくまで東洋思想をベースにした私の仮説です。
いいなと思ったら、ぜひ採用してみてくださいね。



「私は誰か?」


「私」は
「空」であり、「色」であり、
「木」であり、「葉っぱ」である。



私自身は、そんな風に考え、
その確信度を高めるための実践をしていったことで、
「私」と「全体」が調和した感じが増したように感じています。

また、それまで自分を縛っていた制約から解放され
生きるのが楽になった感じがあるので、シェアさせていただきました。


最後まで読んでくださり、
ありがとうございました^ ^



「瞑想の出発点は自己認識です。
そしてこの自己認識は、思考や感情のすべての動きを凝視し、
表面的な上層ばかりでなく、奥深いところに隠れている下層の活動も含めて、
私のあらゆる意識を知ることなのです。」

BY クリシュナムルティ




それでも、、、


「すべてとひとつになる」

ってわからない。

そんな方には、
ガンジス川にダイブするがオススメです(笑)


まぁ、ガンジス川にダイブしなくてもいんですが、

スケールのでかい異文化にどっぷり浸ることで、
それまでの自分観、人生観、宇宙観がシフトします。


私自身も、二十代前半、
人生に迷い、インドに行ったことで、

いかに自分の悩みが日本の常識、
(周りの価値観、社会通念)に縛られた
ちっぽけなものであったかに気づきました。


今回のインドツアーでは、
上記のような濃ゆい話も織り交ぜながら、
楽しい時間を一緒にすごしたいと思います。

コミットして参加してくださる皆さまとは、
一生のお友達、家族として付き合わせて頂きます^ ^

すでに素敵なメンバーが集まってます!
かなり楽しい旅になりそうな予感w


悩んでることや、ご質問などあればお気軽にお願いします。
というわけで、最後は宣伝になりますが、、、(汗)



■ ■ ■ インドツアーの詳細はこちら
☆ツアーの申込み締め切り間近!
残り三名まで、ご参加できます。

→http://masaoy.com/INDIA-MASAOYOGA.pdf


インドツアーのスケジュールはこちらから
→http://www.masaoyoshida.com/#!ws/c883


迷っていらっしゃる方はお早めに。



~ 編 集 後 記 ~

っふ、、、

過去の記事を、編集してつなぐだけのつもりが、
一から書く以上の時間かかったぜw

メルマガ書くの好きなんで、
つい時間を忘れて没頭しちゃう、、、。

そろそろ、執筆に専念しよう。

独り言でしたw




2/1(月)~3/31(木)の期間中、綿本ヨーガスタジオで、
【毎日がワークショップ】というキャンペーンをおこなってます。

クラステーマの詳細はこちらからどうぞ。
→http://ameblo.jp/masaonoblog/entry-12117755598.html


せっかくなんで、いつもと違う感じでいきます。

明日のクラステーマは、
「ヘッドスタンド」と、「20分間の瞑想」に挑戦!
呼吸とチャクラを整えて、深い瞑想の世界へ誘います。


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