こんにちは
YOGA・瞑想講師の昌生です。

前回は、
「自分と思考を分けることで、人生が楽になる!」

というテーマで、お届けしました。

今回は、さらに踏み込んで
「日常生活に活かすスピリチュアル」

というテーマで、お届けします。


まずは、すこし復習から。
マインドフルネスとは何か?

マインドフルネスのベースにあるのは、
「自分の心を客観的に観る瞑想法」
です。


これを実践することで、

1 することモード(DOINGモード)

2 在ることモード(BEINGモード)

の二つのモードを使い分けることができるようになります。


「することモード(DOINGモード)」とは自我、
「在ることモード(BEINGモード)」とは気づいている自分のことです。


イメージしやすい例として、
「木の葉」「本当の自分」の話をしましたね。


「思いや思考は、川を流れる木の葉のようなものだ
あなたは、川の淵から木の葉を見ている観察者である」


とか、

「頭の中で勝手気ままに湧いてくる声は、本当の自分ではない
その声に気づいている主体が、本当の自分(真我)である」

とか、

またはそのような視点を、
「神の視点」と表現しました。


「神の視点」がピンとこなければ、
「鳥の視点」をイメージしてみてください。

カメラのアングルで例えるならば、
主人公の目線からのアングルから、
ドローンを使った空撮映像に切り替わる感じです。

(このように自分の思考や感覚を客観的に観る力を、
メタ認知能力とかセルフモニタリング能力と言います)


この俯瞰した視点を持つようにすることで、
「今、ここ」の現状にリッラクスすることができ、
その結果、悩みや問題に対する解決策が見つかりやすくなります。

日常生活をよりよく生きるためにも、
マインドフルネスの実践はとても有効です。

といった旨を前回お伝えしました。


前回の記事はこちらです。
→http://ameblo.jp/masaonoblog/entry-12115108783.html

ここまではよろしいでしょうか?





ここからが新しい話題にはいります。

今回は前回の内容を踏まえて、
まず感想の一部を紹介したいと思います。

現在、約1,000名の方にメール講座を読んで頂いており、
ありがたいことに毎日のように感想やメッセージをいただきます。

その中から、とくに読者さんが実感している
「マインドフルネス瞑想の効果」を抽出してお届けします。


ーーーー 引用スタート ーーーー



三年前から先生と同じく
将来や対人に関する不安が多くなり、
一時は病院にも通っていました。

なんでもひとと比べて、
劣っているところばかりに焦点をあて、落ち込んでいました。
今にあらず、過去の失敗や未来の不安にばかり思いを巡らせていました。

この瞑想を実践して、少しずつですが、変化を感じています。
まず今までいつも考えていた未来の心配事を考える時間が確実に減りました。
考えている自分に気づくことができるようになりました。


イライラする相手とのやりとりでも、
今イライラしているな、と一歩引いた視点をもち、

ここで声を荒げても意味がないな、と冷静に思えたり、
ふーん、イライラしてるね、と受け流せるようになりました。

そして青空と雲をイメージし、
何があってもゆるがない青空のような存在の自分がいる、
と捉えるようになりました。

毎日瞑想を実践することで、
この青空の自分の部分をどんどんと強化し、

ゆらがない自分を取り戻して
いろんなチャレンジができればいいなと思っています。


ーーーー 次の感想 ーーーー


始めて一月程度ですが、
瞑想で自分に小さな変化が起きて嫌なことがあったり、
悩んでる時も立ち止まってしまわないようにしようと思えるようになりました。

考えるのをやめようとしても
ぐずぐずしてしまう時も多々ありますが、
それもしょうがないかとムキにならないように過ごせるようになりました。


年明け、仕事場で理不尽なことを言われてモヤモヤしていたのですが、
心にスペースができているようで、周りからの助言を素直に聞くことができました。


ーーーー 次の感想 ーーーー


ブログを読んで自分の癖が分かりました。
“自分のかけている所ばかり目がいく癖"まさに私でした。

自分を責めてしまう、何で私はいつもこうなんだ…
でも、"実はすでに豊かである。"という言葉に、「はっ」としました。
認知の歪みの、心のフィルターにばっちりはまっていることに気づきました。


ーーーー 次の感想 ーーーー


これまでは、かっとなったり落ち込んだり、
人に対して頭にきたりした時、すごく引きずっていたのですが、
吉田先生のメルマガを読むうちに、ちょっとしたコツがわかってきたようです。

自分の気持ちや状態に気づき、受け入れる事で、
イラついた対象に対してまで、思いやれる部分もうまれてきました。
職場での人間関係も少しは改善された気がします。ありがとうございます。



ーーーー 引用終わり ーーーー

以上、今月になっていただいた感想の一部です。
(個人が特定できる箇所は編集させていただきました)


お一人、お一人の具体的な感想をのせることで、
私がお伝えする話をより理解しやすくなると思ったので、
いくつか紹介させて頂きました。


お気持ちのこもったメッセージ本当にありがとうございます。


これまでもお伝えしてきましたが、
私自身も、二十代の頃、思考が止まらず、
人からどう見られるかが気になって、、、

「人生終わった」

と感じたころに瞑想と出会いました。


今思うと、
1の「エゴ(自我、無知、自動操縦状態)」のモードに偏り
心と体のバランスを崩して、苦しくなっていたように思います。


しかし、
マインドフルネスを実践するようになって、
極端に落ち込んだり、イライラを引きずることが減りました。

だから、上記の実践していただいた方々の感想にすごく共感します!

まだまだ課題はたくさんありますが、

以前の私に比べると、
心と体の状態も、人間関係も、
より安定し、幸せを感じることが増えました。


前回の流れに当てはめるなら、


自我   神
10 対 0

だったところから、

9 対 1

くらいに比率が変わった感じです。


たった一割程度です。


でも、これだけで、
人生に対する重苦しさ、深刻さが減り、
日常生活でも、今ここにくつろぐ時間が増え、
気持ちがどんどん楽になっていきました。


このようなメンタル面の変化がきっかけで
それまで全く興味のなかったヨガにも興味を持つようになります。


自分でいうのもなんですが、
結構、素直で単純な性格なので、

「たった1年瞑想をやっただけでこんなに楽になるのなら、、、
経典にある「悟り」や「解脱」とはどんな素晴らしい状態なんだろう?」

と思うようになりなったのです。


肩よりのびたロン毛をばっさり切って、
頭をつるつるに丸めて、

「さぁ出家しよう!」


と、考えた時期もありますが、
義理の父にとめられまして出家は断念しました。


ちなみに、「解脱」とは、
完全に「神の視点」だけになった状態です。


さっきの例で言うと、

自我   神
0 対 10

ですね。

自我が死んだ状態になり、
完全なる苦しみから解放された涅槃の境地と言われています。


今となっては、お恥ずかしい話ですが、
その時期は、がんばって、がんばって、
ここを目指していました。


欲求や感情を抑えて
食事や体や呼吸をコントロールして
ストイックに修行(ごっこ)していました。


でも長続きしませんでした。


むしろ頑張れば頑張るほど、
エゴが強くなる感じもありました。

また精神的な側面を追求しすぎて偏ると、
現実レベルで地に足がつかなくなることも体験しました。


後に、心理学を学び実践していくなかで、
無理に感情や欲求を抑圧することの弊害を知りました。

また自分を超えた意識と安定してつながるには、
人生の前半で「自我を確立」することが重要であることもわかってきました。


そんな経験から、
徐々に考え方が変わっていきました。

今はどちらかというと、

「修行によって煩悩を手放し、解脱するぞ!」

というよりも、バランスや、
現世利益的なところを大切にしています。



例えば、

・ 自己受容を深め、自分自身との関係を親密にすること

・ 家族やパートナーと、よりよい豊かな人間関係を築くこと

・ 自分らしく生きて、社会の中で役割を果たすこと

・ 精神的にも物質的にも豊かであること

このような理想を実現するための効果的なツールとして
マインドフルネスを紹介したい思うようになりました。


さて、また長くなってきたので、
このへんでお伝えしたいことをまとめます。

もうしばらく注意を向け続けていただけると嬉しいです。



前回もお伝えしました通り、
大切なのは、あくまで二つのバランスをとることです。


簡単に言うと、、、

人生というゲームを楽しみつつ、
たまに神的な視点をもってみるということです。


別にこれは特別なことではありません。

たとえば、あなたが映画館に行った時も
以下の二つのモードで映画を楽しむはずです。



それは、

1 登場人物の役に没頭するモード


と、

2 客観的に、俯瞰した視点で見るモード


です。

前者は役になりきって
ドキドキ、ハラハラするモード。


後者は、
主人公というより、

「次は、こういう展開になるなぁ!」

「お、感動させようとしているなぁ」

といったような
作る側の視点にたった冷静な視点です。


またこっちの

「私は観客である」

という自覚があるから観客として
映画の中のストーリーを安心して楽しむことができます。


もし、こっちの「私は観客である」という自覚が
完全になくなったら大変なことになりますよね。

時々、映画やライブで、
泡吹いて倒れる人もいますよね。

映画の主人公が殺されるシーンなんかで、
本当に自分も倒れてしまう人もいたりします。

これは主人公と自己同化するあまり、
現実とフィクションの境目がわからなくなった状態です。



でも、だからと言って、
映画の主人公と一体化するのが悪いわけではありません。

なぜなら映画の醍醐味は、
自分が観客であることを忘れ、
夢の世界に没頭するところにあります。


やっぱり映画を見るなら
主人公に感情移入して泣いたり、
主人公になりきってドキドキハラハラしたいですよね。

そのために、わざわざお金を払って映画を見にいくわけですから。



この人生も同じようなものかもしれません。

神(生命、魂、意識、エネルギー)による
神のための演劇や映画と見ることもできます。



以上を踏まえて、
ここで私が推奨したいのは、
完全に自我を消そう!ということではありません。


もしも過剰なストレス、
悩み、苦しみを抱えているとしたら、
自分という役割、名前、思考、体、物、肩書きから自分を解放しよう。

一時的でもいいから、
心をストレッチするように役割との自己同化を緩めよう。

ということです。


そして、

どっかで自分は観客だ、
これはフィクションだとわかっていると、
安心して、思いっきり、幻想の世界を楽しむことができるはずです。




世阿弥は「風姿花伝」の中で、
演技をよりよいものにするには、
「離見の見」が大切であると言います。


彼は、

「眼は前を見ていても、心は後ろにおいておけ」

と言います。

つまり、舞台で、よい演技をするためには、
自分を客観的に、外から見る視点が必要であるといっているわけです。


これは演劇だけに限らず、
実人生にも当てはまるのではないでしょうか。



最後に締めます。


人生に行き詰まって、
「主人公の視点」に疲れてきたら、
瞑想やヨガで「神の視点」に切り替えていきましょう。


そして、

自分(役)を超えた視点を持つことで、
自分のパターン、思い込みに気づくことができ、
人生のシナリオを書き換えることができるようになります。


そんな風におおらかに人生を眺めてみると、

一見、最悪に思えた体験も、
自分の弱さ、ダメさ、欠点、劣等感さえも、
実は、主人公が成長するために必要なギフトであることにも気づいたりします。


というわけで、
せっかくこんなユニークな「私」に生まれたのだから、
こんなに豊かな国と時代を選んで生まれてきたわけだから、
このかけがえのない人生を存分に堪能し、味わいつくしていきましょう。


一時期、精神世界にはまって、
今では企業研修、ビジネスマン向けの講座をしたりして、
気づいたことをシェアさせていただきました。



次回は、
思考と自分の切り離し方について書きます。

今回は割と抽象的な話が多かったので、
これをふまえた上で具体的な例をあげていきます。

お楽しみに!



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~ 編 集 後 記 ~

「神」とか「魂」とかスピリチャアルな単語を多様したので、
一応、誤解の無いように言っておくと、、、


宗教とは一切関係ありませんからね。

私は特定の宗教を信仰してません。
(ただすべての宗教に共通する部分に興味はあります)


この前の男性限定WSで、
「合掌」と信仰の関係について尋ねられたのですが、
クラス前に行う「合掌」にも意味はありません。


「合掌」を使う一番の理由は、
手のひらが一番感じやすいポイントで、
だれでもマインドフルネスの感覚を実感しやすいからです。

なので、クラスの導入として、
繊細な集中状態を引き出すために、
手のひらを合わせる身体感覚を使ってます。


またクラスによっては、
OMを唱えることもありますが、これも同様です。
オウム真理教とも一切関係ないですからね、念のため(笑)

とくに意味は考えなくて大丈夫です。

もちろん、伝統的なヨガでは、
その音や形(印)に意味を込める密教的なアプローチもありますし、
私も、合掌の感覚を、「感謝」のトリガーにつかってます。

これはこれでとても有効ですので、
そういうのが好きな方は、ぜひ意味をつけてください。

誤解のないように一応念のため補足しました。



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