こんにちは、ヨガ瞑想講師の吉田昌生です。


今日は、

あらゆる方向性を手放し、
探求をやめたときに瞑想が深まる


というテーマで書きます。


ヨガや瞑想の効果や目指す方向性について書くと、
モチベーションが高まるというメリットもありますが、
一方で、デメリットもあります。


そのデメリットは、
特定の状態を目指しすぎると
それが「執着」につながります。

すると、
「今、ここ」のあるがままの状態を認めることが難しくなります。


瞑想は、努力を手放しときに訪れます。
あらゆる探求を手放したときに、彼方からやってくるものです。

(睡眠や直感と同じで、手放した時に
自分を超えた領域からふっとやってくる自然現象です。)


自分以外の何かになろうとか、
どこかに行こうとしているときには、
「それ」は起こりません。


だから、クラスの後半や瞑想の誘導では、
手放す、明渡す的な誘導をしていきます。


「それでいいんだよ」

「全部いいよ」

って言ったりします。



でも、最初から

「手放しましょう!」

「全部いいんだよ!」


って言われてもなかなか難しいですよね。


なぜなら私を含め多くの現代人は、
その前に仕事で人間関係で身体と心に緊張を溜め込んでいるからです。
色んな考えやコリが蓄積して渦巻いていると瞑想は深まりにくいのです。



深めようとすると深まらない
この矛盾を超えていかなければなりません。



では、どうしたらいいのでしょう??



最初から方向性をもたないほうがいいのでしょうか?



そうではありません。


二つのモードを使い分ければいいんです。


私のクラスでは、
前半と後半でモード(態度や在り方のようなもの)を変えます。


クラスの前半の目的は、
主に蓄積を解消することと、
一点に集中した状態を目指します。


その導入として、
呼吸を深めるためにイメージすることもあれば、
呼吸筋を緩めるために早い呼吸をすることもありますし、

また、ゆったりと呼吸に合わせて動いたり、
時には、つらめのポーズでぐいぐい追い込んだりすることもあります。


さらには、、、
瞑想を深めるために、
バンダというテクニックをつかって
身体の気の流れをコントロールしたり、

ゆっくり息を吐いて、息を引き伸ばしながら、
自然に呼吸がとまった状態(クンバカ)を目指すこともあります。


とくにクラスの前半では、
大いなる真剣さをもって、
積極的にアプローチしていきます。

上記のような先人たちが編み出したテクニックを使って、
理想の方向性を目指していきます。



でも、これはプロセスの一部です。
最終的にこの方向性も手放す必要があります。


なぜなら、今度は、この強すぎる方向性が
執着になってしまい心が穏やかになるのを妨げるからです。

(例えば、
スピリチュアルな探求、食事や浄化などのコダワリすぎるあまり、
かえってエゴが強くなることがありますが、これと同じです。)



だから、後半は、
180度在り方(モード、態度)をかえる、
それまでの努力を放棄する意識が大切になります。


私のクラスの後半では、
その努力や方向性も全部手放すように誘導します。


最終的には、

何もしない。

どこも目指さない。

リラックスしようともしない。

完全に今ここにいて、
あるがままの自分にくつろいだ状態でいるようにします。



そして、
思考(声やイメージ)が消えると、
「私は在る」状態だけが残ります。


この状態をヨガの哲学では、「本当の自分」と言います。
(または生命、観察意識、ビーイングと言ったりします。)



まとめるます。


「なかなか瞑想が深まらない」

「ありのまま観察するのが難しい」

という方は、二つのモードを意識してみてください。


ポーズや瞑想の前半部分は、

父性(がんばる、厳しさ、チャレンジ、能動的、DO、修習 )


後半部分は、

母性(がんばらない、おおらかさ、存在に対する無条件の愛、受動的、BE、離欲)


を意識していくようにします。

瞑想の前に、ヨガや呼吸法をやって
一旦、エッジ(快適領域のギリギリの境界線)までいく。


まず「1」になること。

内面への集中を、
他のことを考える余裕がないくらい、


キーーーーーーーーーーン


と、深めたら、、、

そこから、その「1」を手放していく。



その一点に集中しよう、
呼吸を深めようとする方向性も手放していく。


すると自然に、スムーズに、
「0」になることができます。





それはまるで、、
空に浮かぶ分厚い雲が消えて、
ただ晴れ渡る真っ青な空だけが残るように、



それはまるで、、、
波打って濁った湖面が、静かになり、
無色透明になって、再び透明感を取り戻すように、、、

本来の純粋無垢な状態に帰ることができます。


この至福、喜び、平和な状態が、
自分の本来の状態であることを思い出します。



そして、
この思考と思考の間にあるギャップ(無思考状態)にあるとき、
自分を超えて直感、智慧とつながることができます。



しかし、残念ながら、
上記のような色んな手法をつかって
理想的な心と身体の状態になっても、、、

この状態も、一時的なものです。


皮膚の内側も、外側も、
すべては移り変わっていく。

過去のパターン、蓄積は一回では解消されません。
(だから、大いなる真剣さと継続的な努力が必要です。)


また日常生活でおこる様々な出来事(刺激)によって心は揺れ動きます。


人間関係で、分厚い雲がでてきて
太陽の光が遮断されることもあるでしょうし、

思い通りにならい出来事が続いて、
心が波打ち、水は濁って、透明度が下がることもあるでしょう。




私も落ち込むときもあるし、
心が激しく揺れ動くこともあります。




じゃあ実践や探求に意味がないのか?



そうではありません。


日常生活で、色んなものが蓄積していくからこそ、
身体をいたわり、心をリセットする時間が必要なんです。


自分のコア、源にかえり、
ニュートラルになる時間が必要なんです。




大切なのは、
「本当の自分」とのつながること。

そしてもっと大切なのは、
この状態を、心と身体に染み込ませ、
日常生活のすべてにひろげていくことだと思います。

幸い、この感覚は、クラスが終わったあともしばらく持続します。


どうやら、ヨガを繰り返すことで、
身体が強く、柔らかくなるのと同じく、

このヨガの感覚も深まっていく性質のもののようです。



もしも、日常生活で
感情が押し寄せ、我を失ったときは、、、
まず姿勢と呼吸を整えてみてください。


バンダを意識して背骨を伸ばし、
三回、ゆっくり遠くに、吐くことを意識して
「今、ここ」とつながってみてください。


たったこれだけでも、
その時の感覚や感情を冷静に、受けとめ
対処することができるようになります。
(これは、脳科学的な変化としても証明されています)


そして瞑想が深まったときの、
すべてをありのまま観察している自分
を思い出してみてください。


繰り返せば繰り返すほど、
その回数と復帰速度が上がるのを実感できるはずです。



長くなってきたので、
このへんでまとめたいと思います。


私は、心理学や哲学を研究するも、
それを言葉で解説するのも大好きですが、

でも、それと同じか、それ以上に、
このような知識を、クラスやWS、個人セッションという場で、
どう「実感」に落とし込んでいくか?

に、情熱を感じています。


このような智慧を頭だけではなく、身体で「実感」すること。
そして、それを日常生活でも「実践」することをテーマにしています。


このような理念でクラスを開催していますので、
もしハートで何かを感じた人は、ぜひいらしてください。


私もまだまだ深遠なるヨガの入り口にたったばかりですが、
この素晴らしい智慧を多くの方と分かち合いたいと心から願っています。


一緒に、ヨガを深めていきましょう。



ありがとうございました。

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昌生でした。