ヨガ瞑想講師の吉田昌生です。

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今日は、ヨガの本質について
日本一わかりやすく!(たぶん)書きます。



「ヨガの哲学って難しいから苦手。」

そんな風に思っている方にも
なるべくわかりやすく丁寧に解説してみたいと思います。


...



瞑想や、ヨガの目的は、
「本当の自分」に目覚めるため。


と、言われたりします。


ただ「本当の自分」って聞くと、、、

何かすごく遠くにあって、
自分の外側にある印象を受けますよね。


でもそうではありません。


ものすご~~~~く当たり前なこと。
言葉で説明することも難しいくらい、
当たり前すぎることなんです。



では、「本当の自分」って何でしょう?



それは、「意識」であると言われます。



「意識」って言うと、
色んな意味がありますよね。


「意識が高い人」とか、

「意識不明の重体」とか、、、

普段私たちが使っている「意識」とは
ちょっとだけニュアンスが違います。


ここで言う、「意識」とは、
「生命」って思って頂けるといいかもしれません。



本当の自分は、「意識」=「生命」。






その一方で、本当の自分でないものは?

一言でいうと「エゴ(自我)」

「エゴ(自我)」とは、
心や体、名前や役割などのことです。
こっちが偽の自分(非真我)であると言われます。


(ここで言われるエゴと、
心理学で言われるエゴとは、
別のニュアンスで私は使ってます。)



ヨガの哲学では、

「真我」と「非真我」
この二つが、ごっちゃになっているから
「苦しみ」が生まれる

つまり「私とは誰か?」
一番「前提」にある「セルフイメージ」が
間違っていることが「苦しみ」の根本原因である


というわけです。


...



ここまでよろしいですか?



本当の自分とは、「意識(生命)」

本当の自分でないものは、
「自我」(心や体、名前や役割など)


この二つを分けて理解ことが大事です。


(とくに初めて聞いた人は、
「?」が飛び交っていると思いますすが、
このまま読み進めてくださいね。)



もしかしたら、

「意識」と「心」ってどう違うのか?

って思われたかもしれませんね。

ここが、ちょっと違いがわかりにくいので、
この二つの違いをさらに細かく説明していきますね 。


...


まず言葉の定義。

「意識」とは、生命の本質で、

「心」とは、思考や感情のこと。


性質の違いは、、、


「意識」は、生命なので、
これはず~~~~~っとあります。

こっちは、私たちの本質なので、
小さい頃から死ぬまでずっと変わりません。
寝ていようと、起きていようと関係ありません。

「意識」は、ずっと存在して続けています。



その一方で、
「心(思考や感情)」は変わり続けます。
私たちの体も同じく変化し続けています。

まるで空に浮かぶ、雲のように無常なものです。


関係性としては、
まず、「意識(生命)」がベースにあって、
その上に、「心(思考や感情)」があるとイメージしてください。


わかりやすくいうと、
「意識(生命)」が「主」で、
「心(思考や感情)」が「従」です。

「意識(生命)」なしには、「心」は存在しませんが、
「心」がなくても「意識(生命)」は存在し続けます。



私たちは、日常生活のほとんどは、
自動的に湧いてくる想いや考え、感情などの
心の働きと、一体化しています。


でも、「心」が無になっていて、
ただ「意識」だけがある時があります。



それってどんなときなのか?




それは、

「深い眠り」と「瞑想」です。






例えば、
深い睡眠中は、何も考えていません。
睡眠時は、自分がいるという感覚(自我)はなくなります。


だけど、ちゃんと生きていますよね?
呼吸したり、寝返りしたり、消化したりしています。

それは、私たちを生かしている
「意識(生命)」がちゃんとあるからです。



これは、深い瞑想中も同じ。

瞑想が深まると、
何も考えていない瞬間がありますよね?

思考が静まって、
自分がいるという感覚(自我)がなくなります。



もちろん最初は、
いろんな想念が湧いてきますし、
体の感覚に反応したくなります。


でも根気強く、
偽の自分(心、体)と一体化せず、
思考と体を観察する側に回り続けると、
徐々に、心と体の働きが静まっていき、、、




し~~~~~~~~~~~~~~~ん



とした「無我の境地」が訪れます。



睡眠も瞑想も、思考が静まって、
本質部分(生命)だけ残る点では同じです。


ただ唯一違うところは、
そのことに「気づいている」かどうか。
これが大きな違いです。


瞑想が深まると、
思考や体が休息していくので、
「意識(生命)」だけを感じやすくなります。


このとき、

「私は在る」(I AM)


という感じだけが残ります。
これが本当の自分であるとヨガは教えます。



...


~ 観察している意識 ~



瞑想の目的は、この「意識」の性質である
「観察者の視点」を養うことにあるといっても過言ではありません。

ただ、こういうとヨガに馴染みがなく、
この感覚を「実感」したことがない人は、
「胡散臭く」聞こえるので、、、

心理学的に表現して、
気づく力(アウェアネス)を高める。

とか、

脳のある領域(前頭前野、島)の
血流を促し、メタ認知能力を鍛えている。

って伝えることが多いです。


でも、言っていることは同じ。


瞑想は、瞬間瞬間、
身体や思考も客観視し続けます。

これによって、徐々に、
偽の自分の性質が静かになり、

本当の自分の性質である
観察者の視点(アウェアネス)が鮮明に現れます。



例えるなら、
うるさい部屋のノイズ。


鳴りっぱなしの、テレビやラジオを消して、
エアコンや冷蔵庫の電源も消して、
外側の車のエンジンも止まったら、、、

小さな虫の声がよりはっきりと聞こえてきますよね。


さらに聴覚に全ての注意を向けてみると、
小さな空気に振動、臨場感を受信できます。

虫の声は、ずっとそこで鳴り続けていた。
ただ様々なノイズ、騒音によってかき消されて聞こえなかった。


これと同じです。

ヨガや瞑想で、いつも忙しい身体や思考を落ち着かされると、
際立って、本当の自分(純粋な意識)をより実感しやすくなるのです。


このような体験を繰り返すことで、
ごちゃごちゃになった(無知)から、
「真我」と「非真我」の違いがわかるようになります。




...

~瞑想が深まるとどうなるのか?~



参考までに、
瞑想が深まったときの状態を
思いつくままあげてみますね。



呼吸が止まっているかと思うくらい
とても穏やか(ケバラ・クンバカ)


快、不快とわけることなく、
ただ感じ続けている状態(無分別智)


自分という意識、体が消えた感じ(無境界)


未来や過去という時間の概念も消えて、
時間のないスペースだけが広がっている感覚(今、ここ)


どこかに向かおうとか、何かを得ようしておらず、
完全に、あるがままの自分にリラックスした状態(BEINGモード)


とても純粋で、無色透明で、
そして、静かな至福に満たされる(至福)


etc,


...



最後にインドの聖者ラマナ・マハリシの言葉を紹介します。
(読みやすいように、編集して組み合わせています。)


 
~~引用スタート~~




われわれが真我の実現と呼ぶ状態は、
新たな何かを達成することではなく、
どこか遠い目的地に到達することでもない。


それはつねにあなたであるもの。
そして今までずっとあなたであったものとして、ただ在ることである。




ただ至福である純粋な真我に
無知のヴェールをかけてしまっているので、
その誤った知識である無知のヴェールを
はぐことだけを試みればよい。




誤った知識とは、真我を身体や心と同一視することにある。
「私は身体だ」という観念が消え去った状態が真我なのだ。

この偽りの同一視がなくならなければ、ただ真我だけが残る。




あなたがしなければならないことは、
真我でない他のものごとに注意をはらうのをやめることだけだ。

もしそれらに気づくのをやめれば、純粋な覚醒だけが残る。


~~引用終わり~~



 ま と め


なぜヨガをするのか?


それは、本当の自分に目覚めるため。
言い換えると、観察意識(気づく自分、アウェアネス)を養うためです。


ただし、それはどこか遠くにあるものでも、
何かを達成して得られるものではありません。

それは小さい頃からずっとあるもので、今も、あります。


ただ、現代人は、知性、理性に偏りすぎて、
「心(思考や感情)」が「主」になっている傾向にあります。



じゃあ、そのために何をするのか?


唯一することと言えば、
何もしないこと。ただ感じること。

これにより、マインド(理性)が静まり、
本当の自分の性質であるハート(感性)が優位になります。


そして瞑想や、様々なポーズを通して、
内側で起こっていることを観察していくと、
自分の体や心の変化を「対象化」することができます。


様々な身体感覚にも反応せず、
思考や感情といった、心の働きも客観視していくと、
徐々に、自分と心や身体との間にスペースが生まれます。


「本当の自分(観察意識、気づく主体)」と
「本当の自分でないもの(エゴ、自動操縦状態)」が分離しはじめます。


そして、次のことを悟ります。


「すべては無常である」

内側と外側の現象は、
常に移ろい変化し続けていて、

鐘の音も、この思考も、この肉体も、、、
全てが無常であることが実感としてわかります。


それと同時に、それに気づいている主体、
それらを見守っている「意識」だけは
ずっと変化していないことがわかります。




さらに瞑想が深まり、身体や呼吸、
心の働きが深く静まっていくと、、、
深い「静寂」が訪れます。


時間という概念も消え、
皮膚という境界線も薄れ、
ただ「在る」という感覚だけが強く残ります。



サット(存在)

チット(意識)

アーナンダ(至福)


ヨガの哲学では、
この満たされた至福の状態こそが、
私たちの生命の本質部分であると説きます。


このような実践を繰り返し、
ヨガの感覚を自分に染み込ませていくことで、

それまで無意識に反応していた
自動的に湧いてくる思考や感覚、感情と、
自分との間に距離ができて、巻き込まれることが減ります。


そして、自分は体や思考を超えた「意識」であり、
この肉体がなくなっても存在し続けることがわかります。


このような「ヨガ哲学」を
実践によって腑に落とすことで、
徐々にセルフイメージがシフトしていき、
私と世界と別々であるという「分離感」が軽減されます。


「分離感」からくる苦しみ、
「不安」や「緊張」、「死への恐れ」、
「深刻さ」のような重苦しい重圧から解放され、


「一体感」、「安心感」、「気楽さ」、
「これでいい」、「絶対に大丈夫だっていう感覚」が高まり、
より人生を信頼できるようになるのです。



以上です。


今日は、かなり長くなりましたは、
とても重要なことを書きました。

分からなければ、プリントアウトして何度も読んでくださいね。


それでが次回は、
「死は存在しない」ということについて書きます。




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今日もありがとうございました。

昌生より




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