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前回からの続きです。

私の物語を綴っています。
今回は、大学時代を回想します。



ありのままの自分を表現できない二つの理由。


私の物語1 ~高校時代~




~福岡から上京~


福岡から上京し、新しい生活が始まります。

東京といっても町田ですが、
町田の便利さと自然とのバランスが気に入って四年間住んでました。

大学は、いわゆるお坊ちゃん大学。
周りにはお金持ちや芸能人の子供もたくさんいました。


私も平均以上の仕送りをもらってましたし、
借りたマンションもカードキーや床暖房付きの新築物件。

毎日、ワクワクしていました。

私は、年の離れた末っ子でしたので、
他の兄弟よりも、かなり甘やかされた気がしますが、
そのおかげで、やりたいと思ったことを全部やらせてもらいました。
(本当に両親には感謝しています。)


...


大学に通い始めて、まず驚いたのが、
福岡の九州男児的の気質との違い。

福岡の地元では、刺繍や裏ボタンをつけたヤンキーや
改造したアメリカンバイクにのったチーマーもいたりして、
いじめや、毒舌的なコミュニケーションも多く、どこか緊張感がありました。


一方で、大学で出会う仲間は、とても温和で丁寧な人が多く、
私の気質には、こっちのほうがあっている感じがしました。


そんなお登りさんの私が、上京して意識したことは、言葉使い。
「~たい。」とか「~けん。」といった博多弁は禁止し、
「~じゃん。」「~だよね。」といった語尾に変えたこと。

(最初は不自然でしたが、次第にそれが当たり前になり、
今では、福岡に帰った時にだけしか、博多弁になりません。)





~大学時代~



大学時代は、演劇を専攻し、
舞台があるときは、毎日遅くまで稽古。

四年間で、演劇、ダンス、和太鼓など
国内外で、いろんな公演に参加しました。
本当にいい思い出です。


でも舞台に立つとき、いつも緊張しました。
怖くて、緊張し、震えました。逃げ出したくなることもありました。



実は、私にとっては、
演劇は得意なことでは決っしてなく、
もっとも苦手なことでもあったのです。



それなのに、なぜ演劇を専攻したのか?



それは、、、

「人前でも、堂々として話せるようになりたい!」


って、思っていたから。

人にどう見られるかばかりを気にしていたので、
自分に自信を持ちたかったんだと思います。


簡単に言うと、自分を好きになりたかったから。
自分を認めるためにいろんなことをやりました。


...



~憧れの東京ライフ~



自分を好きになるためにやったことは、
演劇だけではありません。

好奇心の赴くままに、自由に、
思いつく限りのいろんなことにチャレンジしました。


たとえば、
週末の夜は、クラブ(イエロー、ベルファーレ、アゲハetc)、
とくにNYハウス、ディープハウスが好きで、常に新しい音楽を探してました。

またDJに憧れて、ターンテーブルとレコードを買って、
友達と六本木のクラブでイベントを開いたりもしました。


ちなみに、大学時代はタバコを吸っていたのですが、

「くわえタバコで、
片耳にヘッドフォンをはめて、
レコードを回している俺って、かっこいい!!」

って陶酔してました。


本当、バカですよね(笑)



また俳優は「感性」が重要と聞き、
アートや演劇はよく観に行くようにしました。

蜷川幸雄、松尾スズキ、野田秀樹、唐十郎さんの芝居や、
下北沢の小劇場にもよく行ったものです。

時には、能やコンテンポラリーダンスの公演も観にいって「感性」を磨きました。


...


大学では、スキューバダイビングに出会いました。
海の潜って、生き物を観察していると時間を忘れます。

海の中の光や、泡、様々な地形を眺めていると、

「こんな美しい世界があるんだ!」

って衝撃を受けたのを覚えてます。
(PADIのレスキューダイバーまで取得しました。)


まやこの頃に、大型バイクも乗り始めました。

きかっけは、大学四年のとき、
ロックバンド(ブランキージェットシティ)のライブに行き、
バイクのかっこよさに目覚めたから。

私は影響を受けやすいタイプなので、
すぐに大型バイクの免許を取得しました。

その時期の格好は古着。
ボロボロのヴィンテージのジーパン(501XX)に、
ブーツ(ウエスコ)に、ゴツいアクセサリー(クロムハーツやガボール)、
KAWASAKIのW650、ヤマハ XJR-1200を改造して乗ってました。


いろいろ書きましたが、

「どんなボンボンだよ!」

って自分でもツッコミを入れたくなりますね。

今思うと、かなり決めすぎな気がしますが、
その当時は、目一杯背伸びして、かっこつけてました。


当時の私は、


「それを得たら幸せになれる」


と思ったものを求め、
そのために頑張っていたのです。


そうやって外側のものを揃え、
いろんなことにチャレンジしていると、
それなりに、自信もついてきます。

目立つので、そこそこ人気者になり、
人生のモテ期も到来しました。



恋をすると、最高の気分ですよね。


「生まれてきたよかった!!!」

「人生はなんて素晴らしいんだ!!」


って喜びが駆け巡ります。

脳内麻薬がドバドバでてきて、
この世界の全てが光輝いて見えました。


でも、失恋したら落ち込みます。

「人生終わった、、、。」

「俺は、なんてバカなことをしたんだ。」

ってな感じで、何もできなくなってました。


私は結構、引きずるタイプでしたので、
落ち込む時期は一年くらい続きました、、、。

(瞑想に出会って、気持ちの切り替え方を
習得できたので、本当に助かってます。)



...


こんな感じで、
大学の時代の面白いエピソードはまだまだあるのですが、
キリがないので、この辺にしたいと思います。




~すべてうまくいっている~



ここから、まとめにはいります。

こんな風に、大学時代を振り返ってみると、
今のヨガの仕事と通づるところも結構あることに気づきます。


たとえば、私は、舞台に立つときの、
内面世界に集中して没頭する感じ感じが好きでした。

感覚に集中することで、
その瞬間は、未来も過去も消えてなくなります。

自分という概念も、時間という概念も薄れ、
今、この瞬間、「生きている実感」を強く感じることができるのです。


その時間は、つかの間ですが、
日常のシガラミから自分を解放することができます。


でも、その時は、完全に無我になるわけではなく、
どこかで、気づいている自分、演出している自分もいるのです。


それは、表現者である自分がいながら、
それと同時に観察している自分がいるようなイメージです。

(世阿弥の離見、ヨガでは観察意識と言われますが、
私は、この感覚を引き出すことをクラスではとても大切にしています。)




シェイクスピアは、

「人生は舞台である」

「この世は舞台、ひとはみな役者。」

と表現しましたが、これも古いインドの教えに通づるところがあります。



この人生は神の演劇(リーラ)。


森羅万象、この世界で起こる全ては神の戯れ、
この宇宙は、神の壮大なゲームである。

と、表現されたりします。



人生で体験する喜び、悲しみ、様々な苦悩も
すべては宇宙の壮大なゲームの一部分で、

大きな一つの生命(神)が、様々な個性を通して、
いろんな体験をしたがっている。


そんな風に自分と人生捉えるようになったとき、
すごく気持ちが楽になり、


人生で起こることに、何一つ無駄がなく、
私たちの計り知れないレベルで、すべてはうまくいっている。

と、信じれるようになりました。


すると、一見無駄に思えるような体験も、
自分がヨガの仕事に情熱を感じるために
必要な布石であったことがわかってきます。


それはまるで、
星空の点と点がつながって線になり、
一つの神話が見えてくるように、、、


自分の人生の意味も薄っすらと、
その輪郭が見えてきました。





でも、そのためには、
一度、自分に中にあった未消化の感情、
苦しみを受け入れるプロセスが必要だったのです。


次回は、私が精神的に落ち込んだ時の話をシェアします。


私の長話に付き合ってくださり、
ありがとうございました。



昌生でした。




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