昌生です。

執筆作業が山場を迎えています。
気分転換にブログも書きますね。



前回から続きです。


『マインドとハートのバランスについて』


この世のすべてのモノには、両極、二面性があります。
感情にもポジティブとネガティブがあり、それらは一対です。


男性生、女性性があるように、
電子も、陽電子と陰電子があり、ふたつで一つです。


死がなければ、生がないように、
失敗のない成功もありません。


それと同じで、
不安のない安心はありませんし、
悲しみのない喜びはありえません。


これは、磁石のs極とn極のどちらかを切り取ろうとするのと同じで、
一方だけを切り取ることはできないのです。


素晴らしい自分もダメな自分も一対。


心地のいい感情も、不快なの感情も一対。


同じように大切にすることで、統合されていきます。

このような死と再生のプロセスを繰り返すことで、
人間は成長することができると心理学でも、教えてくれます。




でも私たちのマインドは、
分けて操作する性質があるので、、、



どこかで、

「2極のうち、一方だけを体験したい」


と願っています。



より強い刺激を求め、
不快なものを避け、安心したがってます。

だから、もう一方を「渇望」し、もう一方を「嫌悪」します。
このマインドの働きが「執着」を生みます。



「渇望」とは、、、

「このままがいい!もっともっと!!」

といったような、 心地いいものを得よう持続させようとする欲。



「嫌悪」とは、、、

「こんなんは嫌だ!!味わいたくない!!」

といったような、 不快なものを避けようとする欲。



のことです。


この働きによって、
ネガティブな感情、不快な感覚に対しても、
または理想と違うダメな自分に対しても、


「こんなの受け容れたくない!」


「こんなの感じるべきではない!」


と抵抗してしまい、
自然な感情までもが、抑圧されていきます。



ーーー


なんか、前回にひき続いて、
マインドが悪くて、ハートが素晴らしいみたいに
書いていますが、これもマインドの落とし穴。



たしかに、マインドは、
常に何かを得よう、操作しようとするので、
今と言う瞬間にとどまることができず、
平和や満足感を感じる能力に欠けています。


それが過剰になると、心の調和を妨げます。



だから、伝統的なヨガやスピリチュアルでは、


「マインドの働きを静め、自我をなくすことで悟ろう!」


って教えています。
それは在る程度は真実だと思います。


でも、私は、社会で生きるうえでは
マインドのレベルも洗練させることも、
とても大切な要素だと思っています。


論理的に考えたり、計算したりする能力も大事ですよね。


たしかに、洞窟や聖地で修行する出家者だったり、
そのことだけに没頭できる時代や環境であるなら、
それでよかったのかもしれませんが、完全にマインドを沈め、
常に、「いまここ」にいるなんて無理です。



ただ、「思考中毒」におちいってしまい、
考えたくないときに、考えてしまったり、
自分が苦しくなるようことばかり、いつも考えてしまうとしたら、

それは調和を妨げます。


そのような場合は、
思考に気づく力を高めたり、
必要がない時には、一旦手放していけるように
練習をする必要があると思います。


マインドは、あくまで手段であり、
私たちの「命」は、ハート、感覚や感情です。



瞑想で、意識的に思考をお休みさせ、
内側を観察するための時間をもつことで、
染み付いてるマインドの癖を目撃して、
そこから自分を解放してあげることができるのです。


すると、ハートとマインドのバランスがとれてきて、
心も調和していき、安心感や一体感を感じるようになります。


私は瞑想で心がとっても楽になりました。
ヨガで、生きるのが楽しくなりました。

だから、、、


もっと多くの人にこの素晴らしい智慧をシェアしたい!!



と思っています。

そんな理想&想いを胸に
今日もクラスにいってきます。


では、またシェアしますね!


昌生でした。


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