こんにちは。



昨日は瞑想&p呼吸法wsでした。


写真をとるの忘れて画像は無いのですが、
さっそく、嬉しい感想を頂いたのでシェアします。


引用スタートーーーーー


今日はありがとうございました。

楽しみにしていましたが、
想像以上に貴重な体験でした。


自我が強いほうなので、

「瞑想中もゴチャゴチャ考えてるなあ」

と思っていたのですが、

鐘が鳴るまで、
時間がどのくらい経ったのか、
よくわからなかったり、

先生の声はよく聴こえていたけれど、
目を開けたとき、一瞬どこにいるのかわからなくなっていました。

眠ってはいないはずです(笑)

これが成功なのかよくわからないけど、
しばらくぼーっとして気持ちいい状態でした。

ワークショップのあとに、余韻に浸りたくて、
御林展望公園で、海を見ながら太陽礼拝をしました。

空に向かって手を伸ばし見上げると、
真上にトンビが飛んでいて、
前屈すると、足の上をアリが歩いていました。

トンビ→自分→アリの境界線が曖昧になり、
何が違うんだろう、おんなじ命だよなあと、妙な一体感を感じました。

余韻に浸ってウットリしてそう思っだけかもしれませんが、
これもとても気持ちいい感覚でした。

ありがとうございました。
第二弾もぜひお願いします(^o^)/


引用終わりーーーーー

参加して下さった方々、
ありがとうございました!!!

そして温かいメッセージ、感謝いたします!!


瞑想をすると、自然との一体感や、
つながりを感じますよね~。


今日は、そのへんのことと絡めて、
wsでお話したことを少しだけシェアします。
前回から流れ(心理的な解放)にもつなげながら、
「マインド」と「ハート」の違いについて解説します。


ーー


~ 現代人は、 マインド(思考)に偏っている?~


現代は、物質的に豊かでありがなら、
うつや自殺者の数は、増え続けています。


それはなぜか?


その原因のひとつに、
「思考中毒」があると思います。

「思考中毒」とは、
思考をとめることができない状態になること。


これは自分の苦しんだ体験から気づいたことですが、、、


「思考」そのものが悪いというよりも、、、


「思考」が自分だと思っていて、

「思考」と一体化して、それに気がつかないことが、
苦しみを生み出す、「根っこ」にあるようです。


ーーー



世界35カ国を回ってビックリしたのは、
とくに発展途上国に行くと、大人も子供も、
びっくりするくらい何もしていないことに気がつきます。

例えば、、、
インド人、アボリジニ、南米の民族なんかは、
何もしないでぼ~っとしています。

あんま考えてないです。

一日中、踊ったり、手編みや織物や、
刺繍やアートをつくったりしていたりします。


そのような違う社会と文化で暮らす人と出会う中で、、、


「もともと私たち(人類)は、
ぼ~っと夕日を眺めたり、
四季の変化を敏感に感じ詩を読んだり、、、
感じている時間のほうが多かったのかもしれないなぁ。」


「今のように何かを、色々考えるようになったのは
近代や現代になってからかもしれないなぁ。」


って感じるようになりました。


自給自足の家畜と一緒に暮らす村や、
狩りや漁業で生活している国から、、、

ニューヨーク、ロンドン、東京などの先進国に移動すると、、、

なんか、圧倒されます。
慣れるまで、
人と情報量の多さ、密度に疲れてきます。

科学技術の進化も、人類がこれまで経験したことが無いレベルで
加速し、複雑になっています。


そんな影響もあって、
現代人は、昔の人や、
未開の地の人たちと比べたら、
色んなことを並行して考えていて、
常に頭の中は忙しい状態(思考中毒)におちいっていると言えます。



私たちは、学校教育で、
考えることを教わりました。

でも、 思考に気づいたり、
その観察したりすることは教わっていません。

「考えること」は教わっても
「感じること」は教わっていないのです。



だから、私を含め多くの日本人は、
ハート(感覚や感性)よりも、 マインド(思考)に偏りになり、
それが本来の「命」の流れを妨げているんじゃないかって感じています。


なんか、さらっと書くつもりの
前置きが熱く、長くなりました(汗


ーーーー


「マインドとハートの性質の違いについて」


ますマインド(思考)から。

これは、理性、知性。
脳で言うと、表面の脳、新しい脳とつながっています。


その性質は、
分析、操作、計算、整理、分類、格付け、論理的思考です。
常に、損か得、善か悪、判断したり、評価します。


だから、偏りすぎると、
執着(嫌悪と渇望)が生まれやすく、
過去や未来に意識が向かいがちになります。

まるで裁判官のようにジャッジするので、
自分や他人のダメな部分や、ネガティブな感情を受容できなくなったりします。

そして、この「分ける」性質によって、「分離感」を生じます。


「分離感」とは、

「自分は、内側にいて、世界は外側に在る」

といった感覚です。

これにより、孤独や不安、無価値感を感じたりします。

つまり、マインドに過剰に偏ると、
調和や平和を感じにくくなるのです。


ーーー

一方で、、、

ハート(感性)は、
感情や、身体感覚や、
古い脳とつながっています。

原始的な生き物には、
知性はなくても感覚はありますよね。
感じるというのは、「命」の根源的な部分だと言えます。



この性質は、自分と外側の自然を分けません。
共感、無分別、直感、一体感、つながりを感じます。

集中して感じているときは、
思考が静まり、未来や過去のことを考えていませんので、
常にいまここにある状態になります。


さらに対象に意識を集中させ、その感覚に没頭しているとき、
その対象とひとつながりになったようにも感じます。

感じるセンサーを最大限にしたとき、
内側と外側という境界線は無くなるのです。

マインドは静まり、ハートが優位になります。
新しい脳が静まり、古い脳(直感、創造力)が活性かします。



「考えるな!感じろ!!」

ってブルースリーも言ってますが、
格闘技やスポーツでも「感性」を重要視されます。

理性や知性が静まって、
感覚や身体に委ねた状態(フローや瞑想状態)になると
高いパフォーマンスが発揮できることが分かってきています。


直感とつながったり、自分本来の力を発揮したり、
幸せや調和を感じるも、気づくのも、この感性の役割です。


考え続るだけでは、幸せにはなることはできません。



ーーー


だから、

マインド(思考) → ハート(感性)

へ、比率をあげる趣味や時間を持つことは
幸せに生きるうえでも、心と身体のバランスをとるうえでも
とても重要な事だと言えます。


瞑想は、心の働きを静め、
自分の内側で起こっていること、観察していきます。

「思考」や「身体感覚」と一体化した状態から
あるがままに観察する意識に視点に切り換えていきます。

このようなプロセスを経て、
気づく力(アウェアネス)が高まってくると、
苦しみの素になる「自動思考」や自分のパターン
過去の記憶からくる思い込みに、気づくことができます。


お、そろそろ出る時間です。

気づいたら自動初期状態で書いているので、
このへんで切りたいと思います。



追伸
このように書くと、マインドは悪くて、
ハートが素晴らしいみたいに感じてちゃいますよね。
これもマインドの落とし穴です。

また次回につなげます。


さて、次のクラスは、茅ヶ崎へ。
今日は、どんな出会いがあるのかんぁワクワク。
行ってきます。

昌生でした。



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