夢の一人暮らし♪ | 性のお話しが出来るお部屋mami25

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こんにちは。

 

 さぁさぁ。

 高校最後の冬に、看護師を目指すことに決めた私ですが、ただ、大分を出たい一心だけだったから進路が見つからなくて、目指す方向は常に迷子でした。あまりにも世の中の仕事を知らなすぎです。

この辺も、小さな頃から子どものやりたい気持ちを尊重してあげたいなぁと思うきっかけになってます。

 私が目指したのは神戸!

 大分は出たいんだけど、人見知りっ子なので大都会に行く勇気はなくて福岡より遠くて大阪より手前という自己ルールのもと決めました♪

 変わりたい欲求もあったから、神戸に行って髪を伸ばしてくるくるパーマにするんだ~♪

 

 願書提出の朝、まさかの大災害が。

 阪神淡路大震災です。

 朝起きて、願書を持って2階から居間に降りると、滅多に私に対して厳しいことを言わない父が「願書は提出しなさんな。」と一言。被災された方がたくさんいること、街の復興に時間がかかること、すべて父は分かっていてひと言私に言ったのだと思います。

ショックでショックですぐには神戸をあきらめることはできませんでした。

 でも、高校生の世間知らずの私もいろいろ考えて、せめて神戸に近い広島にしました。

 阪神タイガースから広島カープに色を変えるように、気合を入れなおしました。

(どういう例えやねん。隣の県のホークスはいいんかえ?)

 

 そんなこんなで、時間のないラストスパートをかけて、何とか。何とか。

本当にドンケツで広島県三原市にあるできたばかりの看護学校1期生に合格し、夢の大学生活(短期大学です)がスタートしました♡(今は大学になってますが、当時は大学にするのが間に合わず短期大学でスタートしたと教員から聞きました)

 

 もう、嬉しくてうれしくて、何でも自分でしたいから、父と母の心配をよそに1人の世界を楽しんでました。

 

 お酒も飲めるし、バイクを持ってる友達と2ケツ(2人乗りの事を当時はこう言ってた)できるし、広島だからスノボも始めて、そんな学生生活にお金がいるのでパチンコ屋さんでバイトも始めました。(いろいろ悪いことも知りました)

 (羽目外しすぎ)

 

 看護学校は基礎科目は必須ですが、選択科目は自分の好きなものを受講すればいいので、行く時間も様々。朝から夕方まで決められてないという生活が楽しくて(完全にアホです)、バイトと学校以外は寝てる日も多々あり。

 

 一番失敗したと思ったのがドイツ語を選択したこと。とにかく語学が向いてなかった。英語も好きなのに全くできなくてその上ドイツ語はもう明らかに無理。「いっひ、りーべ、でぃひ」だけ覚えました。

 もう一つは「生物学」をなめていた。高校時代理系だったこともあり、生物は無知だったのに真面目に授業を受けなかった。

 テスト前に分厚い教科書を1ページから見るという要領の悪さで、再試験の再々試験に残され・・・・。おまけに1期生なので、学校作り(サークル活動とか、他学科とのコ・メディカル学習とか)もみんな初の取り組みで、もちろんテストの過去問なんてないのです。

 そして、一番苦手で拒否したい授業が心理学。自分の分析が流行った時代でもあり、自己分析シートみたいなのをするんですが、どーしてもアダルトチルドレンという結果になるんです。

もう、それが嫌で嫌で。

 多分、自分では分かってる。でも隠したいから隠してるのに、そんな心の奥にアプローチしてくる授業が嫌いでした。

 (それが、今では解剖学、生物学、心理学好きです♪)

 得意だったのはスノボ。

 え?授業じゃないやん。

 

 ゲレンデが楽しくて。お友達のお兄さんに教えてもらってからどんどん上達!

 いつか、リュックにビールを入れてヘリでカナダの雪山の山頂から下山することを夢見てました。

(こんな風に、スケールの大きいことを言うのも私の特性の1部なのが分かったのも最近)

 

 そんな活発で明るい子に見られたかったし、そんな自分が好きな学生時代でした。

 さぁ、そんなことをしてるからあっという間に3年生。

 国家試験やで。

 母との契約の「3年で大分に戻る」というタイムミリットやで。

 どうする!?まさみ!

 

写真は2021年にmami25をスタートした時のです。

また書くね。