ねむの木こども美術館、吉行淳之介文学館 | マサミのブログ Road to 42.195km

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1カ月以上も前の話ですが、書いておきたいことなので、書いておきます。4月6日~7日にかけて、静岡県の掛川市と浜松市を訪問しました。掛川市では、「ねむの木学園」の中にある「ねむの木こども美術館」と「吉行淳之介文学館」に行くのが目的でした。私はどちらも2019年に訪れています。(その時に書いた長い記事ですが、興味のある方はどうぞ↓)

 

ねむの木こども美術館 | マサミのブログ Road to 42.195km (ameblo.jp)

 

吉行淳之介文学館 | マサミのブログ Road to 42.195km (ameblo.jp)

 

 

必ずまたいつか来ようと思っていましたが、ねむの木学園全体がコロナで外部からの来訪者は入れなくなり、やっと今年になって再開。4年ぶりの再訪が叶ったのでした。

 

ねむの木学園は、吉行淳之介さんの実質的なパートナーだった宮城まり子さんが、1968(昭和43)年に設立した福祉施設です。身体の不自由な子供たちや、障害のある人たちが暮らし、学べる場所になっています。日本で初めて、民間の手によって設立された福祉施設だそうです。

 

歌手・女優として活躍していた宮城まり子さんは、ねむの木学園の代表として活動するかたわら、愛する吉行淳之介さんが1994(平成6)年に亡くなるとねむの木学園の敷地内に「吉行淳之介文学館」を設置するなど、さまざまな活動を続けてきました。しかし2020年3月、93歳で帰らぬ人となりました。

 

いま宮城まり子さんのプロフィールを調べていて分かったのは、彼女も誕生日と命日が一緒だったんですね。「彼女も」というのは、ひとつ前の記事で書いた作家のルシア・ベルリンは68歳で、映画監督の小津安二郎は60歳で、やはりみずからの誕生日に亡くなっているのでした。そうかぁ。うーん。

 

私は吉行淳之介さんのファンなので宮城まり子さんの名前は知っていましたが、宮城さんが出演した映画は観たことがありませんでした。探したら、1964(昭和39)年に渥美清さんと共演した『続・拝啓天皇陛下様』という作品が入手可能だったので、DVDを買ってみました。

 

 

(脚本に「山田洋次」の名前がありますね。後の『寅さん』シリーズの監督です)

 

 

 

 

 

宮城まり子さんは小柄で童顔だったせいか「薄幸の美少女」のような役が多かったみたいです。彼女が有名になったヒット曲『ガード下の靴みがき』がそもそも、そういう歌でしたし。

上の写真でも見当がつくと思いますが、この映画でもまさにそんな役柄でした。そして主役の渥美清さんは、この頃から既に「寅さん」的な役柄でしたね。写真はDVDの再生画面を私が撮影したものです。

 

 

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前置きだけでじゅうぶんに長くなってしまったので、今回の「ねむの木こども美術館」と「吉行淳之介文学館」訪問レポートは、写真だけ並べておきます。さーっと、ご覧になってください。

 

 

 

 

 

 

 

 

(美術館の受付の女性に撮ってもらいました)

 

 

ねむの木こども美術館には、ここで暮らす子どもたちが描いた作品が展示されています。宮城まり子さんは「絵の描き方」を教えることはいっさいせず、子どもたちに自由きままに描かせたそうです。今回、私が購入してきたポストカードから何点かご紹介します(美術館の中は撮影禁止。絵の題名は宮城さんが付けたものです)。

 

 

『水のしずく』 こおりやま みつこ

 

 

 

『ぼくの小鳥』 かわむら やすゆき

 

 

 

『おかあさんに抱かれて僕、星から来たの』 ほんめ つとむ

(ねむの木学園では、宮城まり子さんは子どもたち全員から「おかあさん」と呼ばれていました)

 

 

 

『秋深い』 むらまつ きよみ

 

 

 

『つくしんぼとり』 やました ゆみこ

 

 

…うーん。絵は、やっぱり実物を見ないと伝わらないですね。こうやってブログに載せて、スマホやパソコンの画面で観て頂いても、実際の絵の「大きさ」が伝わりませんよねぇ。皆さんも機会があれば、じゃなくて機会を作って、ぜひ一度ご訪問ください。

特に、やました ゆみこさんの作品(たくさんあります)だけでも観る価値、あると思います。1枚の大きな絵を数年間(!)かけてコツコツ描き上げるエネルギーは凄い。私は前回の訪問時にやましたさんの絵を観て、ファンになりました。

 

 

 

 

ねむの木こども美術館のあと、窓の外に貯水池が見える「カフェ マリコ」でカレーを頂いてから、徒歩数分の所にある吉行淳之介文学館へ向かいました。

 

 

 

 

 

 

吉行さんが執筆の時に使っていた机と椅子。赤い椅子は宮城まり子さんが中学生の頃?から使っていたものだそうです。モビールをぶら下げるのもお好きだったとか。

 

 

 

 

 

生前の吉行さんの書斎の本棚が、あの上野毛のお家から移設し、そっくりそのまま再現されています。パウル・クレーが好きなことはご自分でも繰り返し発言されていました。

 

 

 

吉行さんは最後の入院となってしまった虎ノ門病院へ向かう時、この本をいったん手にとったものの、やっぱりやめて本棚に置いて行きました。それを見ていた宮城まり子さんは、その時のそのままの状態でこの本をここに置いてあるそうです。

ちなみに、この本の作者は内田百閒(うちだ ひゃっけん)。私はこの本の舞台となった東海道線の刈谷駅を実際に訪れて、レポートを書いています。思い出して頂けたら嬉しいです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

雨、雨、雨の1日でしたが、再訪できて良かったです。この日は掛川駅前のホテルに泊まりました。翌日は浜松まで移動し、そこではとても意外な、面白い出会いがあったのですが、その件はまたいつか。