吉行淳之介さんと豆カン | マサミのブログ Road to 42.195km

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3/30の当ブログ「エゴン・シーレ展の帰りに湯島のみつばちで豆かんを食べた話」という記事で「吉行淳之介さんが豆かんについて書いた文章があるはずなので探している」と書きました。そうしたら、相互フォローさせて頂いている「momo」さんが『やややのはなし』という本に載っていると教えてくださったので、探す手間が一気に省けました。momoさん、わざわざ検索してくださったんですよね。ありがとうございます!

 

『やややのはなし』は私も文庫版で持っていて、吉行さんの作品の中でも、何度も繰り返し読んだ愛読書なんです。昭和の終わりから平成の初め頃までに吉行さんがいろんな本に書いた短めの随筆を1冊にまとめ、平成4年に単行本が刊行されました。亡くなる2年前のことでした。

 

 

 

これが私の本棚にある『やややのはなし』です。私は吉行淳之介さんの足跡をたどるのに役立つ情報があると付箋を貼っておくのですが、この本にはそういう話がたくさん出てくることがお分かりいただけると思います。私のブログでも何度もネタとして使わせて頂きました。この本に収録されている「蜜豆のはなし」から、一部を抜粋しますね。

 

 

「寒天と豆と黒蜜だけの蜜豆があって『豆カン』と呼ばれているのを、初めて知った。この豆カンを、安岡章太郎はわざわざ浅草まで買いに行くのだそうである。そのことを聞いて、そのついでに少し買ってきてプレゼントしてくれと頼んだ。間もなく豆カンとあんみつ取混ぜて十個ばかり、安岡夫人が届けてくれた。

この豆カンが旨かった。あんみつは女子供にはいいだろうが、私は少し疲れる。そもそもあんみつは銀座の月ヶ瀬の考案で、「あんみつはギリシャの神も知らざりき」というコピイもあった。あれは、たしか昭和十年頃のことだったろう。

(中略)

豆カンは、浅草の梅むらである。舟和というのは、私には芋ようかんの店である。亡父が、浅草へ行くとこれを買ってきてくれた。竹の皮で包んであって、薄い黄色をしていて、甘さが淡くて旨かった。私の好物であった」

 

 

安岡章太郎さんは、吉行さんの親友の作家です。そうかー。2歳ぐらいの頃から東京の新宿区内で暮らしていて、ほぼ東京生まれに等しい吉行さんも豆カンを知らないで大人になったんですね。私も吉行さんのこの文章を読んで「豆カン」というものの存在を知って興味が湧いたのですが、本が刊行された年から考えると、私は40歳近くだっただろうと思います。

 

そして私が実際に豆カンというものを食べたのはいつだったか…これが、分からないんですよね。日記はつけていなかったし、ブログとか無い時代だったし。私のことですから「いつか豆カンというものを食べてみたい」とずーっと思い続けていて、ある日とうとう食べてみたんだと思うのですが。

 

ともかく、インターネットのおかげで吉行淳之介さんと豆カンについての私の記憶がスッキリして、良かったですニコニコ

 

 

 

 

 

 

 

ネットで豆カンを検索すると、いろんな画像が出て来ます↑。寒天と豆の比率がお店によってずいぶん違いますね。中央のやつなんか、あんことアイスクリームまで乗ってる!これはもう「クリームあんみつのフルーツ抜き」じゃん!(笑)