マサミのブログ Road to 42.195km

マサミのブログ Road to 42.195km

走る・観る・聴く・読む・歩く・食べる・楽しむブログ

2/17(火)の夜、文楽(人形浄瑠璃)を観に行きました。

 

 

場所は「KAAT(神奈川芸術劇場)」です。横浜スタジアムがある関内から中華街を抜けて、ホテル・ニューグランドや山下公園のほうへ行く途中にあります。

 

 

KAATは中華街に近いし、ちょうど「春節祭(中国のお正月)」の期間中ということもあって、ロビーには『西遊記』をモチーフにしたランタンが飾られていました。

 

 

2011年に出来た劇場ですが、私は初めての訪問でした。(写真はKAATのサイトより)

 

演目はこちら。

 

 

パンフレットの表紙には書いてないけど、分かる人は写真で分かりますよね。はい、『勧進帳』です。能や歌舞伎でもお馴染み。

 

私は文楽を観るのはこれが3度目になります。過去に観たのは…

2023年9月『曾根崎心中』@国立劇場

2025年6月『義経千本桜』と『平家女護島(俊寛)』@1010シアター

この2回、3作品でした。今回も含めて4作品を鑑賞した文楽のうち2回が「義経」がらみというのも、何かの縁でしょうか。

 

『勧進帳』のあらすじ

兄・頼朝から嫌疑をかけられた義経は、弁慶をはじめ僅かな供を連れて奥州へ逃げようとした。頼朝は各地に関所を設けて警戒する。加賀の国・安宅の関を見張るのは富樫乃介正弘だった。

 

義経一行は山伏に扮装し、義経自身は強力(ごうりき・荷物運びの下っ端)に化けていた。一行が安宅の関にさしかかると、見とがめた富樫が弁慶を呼び止め「勧進(寄付)を募って歩いているなら『勧進帳』を持っているはずだ」と問い詰めた。すると弁慶は、実は何も書いていないまっさらの巻物を取り出し、さも本物の勧進帳のように読み上げる。

 

しかしなおも疑う富樫は「山伏のいで立ちの意味は」「なぜ錫杖ではなく金剛杖を持つのか」「太刀は脅しのためか、それとも本当に斬るためか」などと問答をしかけるが、弁慶はすべてすらすらと即答する。

納得しかけた富樫は一行を通そうとするが、強力が義経に似ていることに気がつき、待てと声をかける。すると弁慶は強力(義経)に向かって「モタモタして迷惑なだけでなく、疑いをかけられるとはなにごと!」と、主君である義経を金剛杖でめった打ちにする。それを見た富樫は一行の通過を許すのだった…(あとは略)

 

私は子供のころ、芝居が好きだった祖母と一緒にTVで歌舞伎を観たりして、何も書いていない巻物を本物のように読み上げるくだりは知っていました。でも今回は、巻物の後の場面で、富樫が次々に繰り出す嫌がらせのような細かい質問に弁慶がよどみなく答える場面のほうが印象に残りました。

 

特に富樫が「目に見える敵ならその刀で斬ることもできるが、姿形のない邪悪な魔物に襲われたらどうする」という意地悪な質問をぶつけると、弁慶が「これは秘密中の秘密だが…」ともったいぶった上で「どうしても聴きたいなら教えてやるからよく聴きなさい」といって「九字の真言」とその使い方を教える場面。

あそこが観客にとっては一番のカタルシス(胸がスッとする)ところかなと思いました。

 

富樫のセリフと弁慶のセリフがカブり気味にテンポよく繰り出されるので、聴いていて気持ちがいいんです。

そして舞台の上でも、弁慶のお供の者たちが「どうなることやら」と心配そうに見ているのですが、弁慶の見事な切り返しに「ははぁ…イヤこれは大したものだ」と感嘆しているのが、人形のちょっとした仕草で伝わってくるんですよね。

 

 

(写真は国立劇場のサイトから)

 

それと、あやうく富樫に見破られそうになった時、弁慶が一瞬躊躇しながらも、「こうするしかない」と覚悟を決めて自分の主君である義経を金剛杖で「これでもか」と打ち据えるところ。人形なんですけど、ほんのかすかな動きで、弁慶の揺れる気持ちが伝わるんです。観客は弁慶のつらい心うちが分かっていますから、ここはもう涙、涙…

 

追っ手を逃れて安全な場所に移ってから、弁慶は義経に平謝りに謝ります。その場面での弁慶のセリフ。

 

敵を欺く計略なれど、正しき君を強力とするさえも冥加至極と思う上、杖にて主君を打つ咎めの、空恐ろしき天罰を、受くべき我は厭わねど、御労しき御身の果てと、思えば上げしその杖は幾千貫の鉄杖(かなえ)より、遥かに重き心地して、日頃鍛えしこの腕も、痺れる如く覚えしぞ

 

いやぁ、名場面、名セリフですねぇ!こうやって書き写しているだけで胸が熱くなります。

 

 

ーーー

 

 

私は、過去2回観た文楽とは、今回は違っている点が多いなと思いました。たとえば…

●登場人物のセリフをしゃべる「太夫」と、その隣に座る三味線の人数が多い!「太夫」は落語のように一人の人が複数の登場人物の声を使い分けるが、『勧進帳』では弁慶役の太夫と富樫役の太夫、その他の太夫が分業だった。

●通常の文楽では、主役の人形を動かすのは3人で、そのうち「頭」と「右手」を担当する「主遣い(おもづかい)」だけが顔を見せる。後の二人は黒子だが『勧進帳』では3人とも顔を出す「三人出遣い」という形式だった。

 

これらはパンフレットを読み込んで分かったことです。また、セリフは「EGーG」というアプリをスマホにダウンロードしておくと、物語の展開に連れてスマホ画面に表示されるので助かりました。

国立劇場や1010シアターではステージ脇に「字幕」があったのですが、これなら字幕より見やすいかもしれない。歌舞伎や宝塚、邦画の映画もこうならないかなぁ。

 

でも、バレエやオペラと同様、文楽も事前の予習は欠かせないですね。私は『勧進帳』のあらすじはネットで調べた上で会場に行き、パンフレットを買って開演までの間に大急ぎで読み込んでおいたので、なんとかついていくことが出来ました。

予習だけでなく終わった後にパンフを隅々まで読むと「ああ、そういうことだったのか」と気がつくことも多く、それもまた楽しみのうちです。

 

 

音譜

 

 

ずっと洋楽ロックしか聞かずに生きて来た私ですが、自分の知らない素晴らしい世界を知らないままで人生を終えたくないと思い、還暦の前後からクラシック、ジャズ、オペラ、バレエ、宝塚、文楽、能・狂言など手当たり次第に体験しています。

 

気力と体力と好奇心が続くうちは(あと、お小遣いもですけどニコニコ)まだまだ未知の世界を探訪していくつもりです。そのためにも、元気でいないと。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

<おまけ>

書き忘れましたが『勧進帳』では、義経は完全な脇役で、セリフも出番も少ないです。基本は弁慶と富樫のやりとりだけ。

そういえば『義経千本桜』でも義経本人の存在感は薄いんですよね。なんか面白いです。

さっき、X(twitter)に流れてきた、ちょっと笑ってしまうお話。
 
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コメダ珈琲にいたら、後ろの席にいた仲良しミセスグループの会話が聴こえてきました。


「うちの旦那、ヘビースモーカーだから毎月のタバコ代がかさんでしょうがないのよ」
「うんうん」
「だから『禁煙外来』ってあるでしょう?医者に通って禁煙するっていう。私、旦那に内緒で、そこのお医者さんに相談してみたの」 
「へぇ、偉いわね。そしたら?」 
「そしたら、医者が言うにはねぇ…」
「うんうん…」
「その医者、『禁煙すると、ご主人、長生きしちゃいますけどいいですか?』って言うのよ〜」 
「あっはっは!それは、考えちゃうわねぇ…」



















 
 

これはまぁ笑い話なんですけど、最愛のご主人を亡くされた方には、ちっとも笑えない…どころか、心にグサッと刺さってしまう話かもしれませんね。

 

コメダでこの話をしていたミセスグループの中にそういう方がいて、その場の雰囲気を悪くしないように、まわりに合わせて作り笑いをしていたかも知れないと思うと、心が痛みます。


でも、「そこまで考えていたら、何にも言えなくなるんじゃない?」とも思うし。難しいなぁ。

昨日2/19(木)は休み。「そうだ。あそこの、アレを見に行かなくちゃ!」と思って走りました。

こないだの日曜日に「都心ジョグ」を走って以来のジョグです。何を見に行ったか、ご覧ください。

 

ーーー

 

 

 

自宅を出て、長後街道を西へ。遠くに丹沢連峰の山並みが見えます。

 

 

相鉄線「いずみ中央」駅の前にある、泉区総合庁舎。この先で左折して環状4号線に入ります。

 

 

長後街道は片側2車線ですが、環状4号線は片側1車線。でも道幅は広くてゆとりがあります。

 

 

途中には「ゆめがおかソラトス」という商業施設があります。

 

 

ソラトスは、大きな吹き抜けと、ベンチ替わりにもなる階段が特徴。お洒落なお店が並んでいますが、私はいつもトイレを借りるだけです。

たまにはここで何かお金をつかわないと、申しわけないですねあせる

 

 

ソラトスを過ぎると、こんなふうに道の両側が広々と開けて…

 

 

左を見るとこんなふうだし(何か栽培していますね)、

 

 

右を見るとこんなふう。このあたりで環状4号線から離れて、こちらのほうへ進みます。

 

 

見渡す限り、畑。ここも横浜です。

 

 

そんな中、今日の目的地に着きました。天王森泉公園(てんのうもり・いずみこうえん)です。中に入り、あの建物の左側を登っていくと…

 

 

さまざまな樹木の中を湧き水が流れる公園になっています。私が向かったのは…

 

 

このあたり。そうです。前にもご紹介しましたが、この辺は「蝋梅ゾーン」なんですよね。

 

 

蝋梅がかたまって、10本か、もっと植えられているかな? 何度か走って来た時はつぼみが多かったので、まだ先だろうと思っていました。

ところが今日、来てみたら…

 

 

 

 

あらら~。とっくにピークを過ぎてしまっていました。遅かったか! 大好きな蝋梅の香りもまったく漂って来ませんでした。まぁ仕方ない。来年に期待しましょう。

 

 

満開の蝋梅をバックにして、こういうポーズをとればキマるだろうなと思っていたのになぁほっこり 自然を相手にするのは難しい。

 

反省しつつ公園の入口に戻ると…

 

 

かつてこの付近で盛んだった製糸業の工場の建物なんですけど、室内に何やら飾ってありますね?

 

 

あーっ、お雛様じゃん。

 

 

壮観です。家に帰ってから気がつきましたが、新聞に折り込まれている地元の情報誌に記事が載っていました。

 

 

なるほど。泉区の何か所かで開催されているんですね。「つるし雛」というのは初めて見ました。

3/13まで飾られているそうなので、もう一度、ゆっくり見に来よう。

 

というわけで、蝋梅は残念でしたが「つるし雛」に救われた気持ちで(笑)、先に進みました。

 

 

ここは、今年から毎月一度、「定点観測」をすることにした畑です。まだなんにも、ないですね。

 

 

さらに行くと、ネギ畑の向こうに、お馴染み「五重の塔」が見えてきました。そしてこの左側の道路わきに、不思議なものが…

 

 

自転車がツタにからめとられているのを発見。なんか面白いです。さらに進んで…

 

 

泉区内にはこんなふうに、いろんな柑橘類の木があって、果実を収穫しないままにしている場所がたくさんあるんですよね。食べられないものなのかな?勿体ない気がします。そして向こうには五重の塔が。

 

 

そしてここまでやって来ました。今年初めてです。ちょっと久しぶり。ここを左に曲がると…

 

 

「キケン注意!!」の看板。レイアウトが少し変わりましたねほっこり 構わず進んでみると…

 

 

こんなふうな道で「おおっ」と思いますが、ゆっくりしたジョグでも1分ほどで通り抜けてしまいます。通り抜けたところには…

 

 

相州春日神社があるので、お詣り。鹿さんはお休み中でした。そして俣野公園のなかを抜けて…

 

 

横浜薬科大学の正門。奥に見える「五重の塔」はこの大学の図書館になっているそうです。

実は図書館になるまでの、いろんな興味深いヒストリーがあるんですけどね。

 

 

横浜薬科大わきの坂。かなり急です。私は下りでしか走ったことがありませんが、ちょっとここを登る気持ちにはなりません。

でもブログフレンドの「びんちゃん」さんは、この坂を登り降りするのがトレーニングの日課だとか。すごい脚力ですね。素晴らしい!

 

 

坂を下り切ると「深谷」の交差点で、環状4号線と交差します。4号線に沿って右へ行けば国道1号の原宿へ出ますが、私は直進。

 

 

綺麗に咲いている紅梅がありました。

 

 

このあたりは戸塚区ですが、道が狭く、独立した歩道もないのでちょっと怖い。側溝の蓋の上を走るしかないです。

 

 

この界隈にも、住宅に挟まれるようにして畑があります。これはエイリアンの卵…ではなく、キャベツ…でしたっけ?白菜? 以前Kokkoさんに教わったんだけど覚えきれませんでしたあせる

 

 

バス通りからちょっとはずれると、こういう場所もあります。「天王森泉公園」でもホタルが見られるらしいし、今年は私も何十年ぶりで「ホタル体験」できるかな?

 

 

御霊神社…ではなく五霊神社です。この神社の先を左折して坂を登ると…

 

 

こんな景色が広がります。私はここへ来るといつも「北海道かよ!」と思ってしまうんですよね。

脳内には「あーいのー すかーいらいんー」という曲が流れて来ます爆  笑  でも、ここから100mも先に進むと…

 

 

こういう住宅街になる不思議さ。ワープしたみたいでしょう?

 

 

横浜市立戸塚高校まで来ました。さらに進んで…

 

 

長後街道に戻って来ました。このあたりは戸塚区と泉区の境界です。

 

 

地名でいうと「踊場」というところ。由来は、かつてこのあたりでは「夜になると猫が集まって踊る」という言い伝えがあったんだそうです。

 

 

それを伝える石碑も、長後街道沿いに建っています。なにやら賑やかですねぇ。よく見ると…

 

 

猫グッズが並んでいるし、それに…

 

 

ははぁ。2/22(日)はニャーニャーニャーで「猫の日」だそうですが、それにあわせて「踊場ねこまつり」が開かれるらしい。

そして、これも帰宅してから気がついたのですが…

 

 

これもローカル情報誌に載っていました。こんどの日曜じゃん!休みなので行ってみましょうかねぇ。地下鉄で隣の駅だし。

猫好きの方、なんかちょっとそそられるでしょう?良かったらぜひご来場ください。

 

 

夕暮れが近づいてきました。今日のゴールもすぐそこです。

 

 

こないだまで「100円ローソン」だったところに最近オープンした「まいばすけっと」。

私はこれを待っていたんです!遅番の仕事で帰宅しても24時の閉店にギリギリ間に合うので、とても助かります。これから、きっとヘビロテするはず。

 

 

マイ自宅からいちばん近いのはこのセブンイレブンなんですけどね。というわけで本日の「蝋梅ジョグ」は終了。13.74kmを1時間47分26秒。キロ当たり7分49秒でした。 

ちなみに消費したカロリーは707Kcal。カップヌードル2個食べたらチャラです。

 

ーーー

 

それにしても…つい4日前の「都心ジョグ」と比べると、あたりの景色の違いがビックリですよね。落差が大きすぎるびっくり 笑ってしまいたくなります。 これが今のマイ地元。たまの皇居ランもいいですけど、走るたびに少しずつ愛着が湧いてきます。

 

例によって長くなりましたが、ここまでお付き合いくださり、ありがとうございました。

私が加入している「横浜市国民健康保険」では、毎年いまごろになると、去年1年間(1月~12月)に自分が支払った医療費の一覧表が届きます。皆さんがお住まいのエリアでも、これ、届きますか?

 

 

 

去年でいうと、医療費の総額が210,530円。私は3割負担なので、実際に窓口で支払ったのは63,519円でした。

この金額には、処方箋にもとづいて薬局で受け取る薬の代金も含まれます。

 

私の手元には2020(令和2)年から2025(令和7)年までの通知書が残っているので、この6年間に自分が払った医療費を調べてみました。すると…

 

2020年 46,446円

2021年 73,971円

2022年 43,122円

2023年 73,227円

2024年 89,688円

2025年 63,159円

 

こういう結果でした。平均すると、毎年64,936円。月あたり5,411円を病院や薬局に支払っていることになります。「まぁ、そんな感じだな」と思いますね。

 

この通知書には、どの病院や医院にかかったか、どの薬局で薬をもらったかが記載されているので、見ているといろいろ記憶がよみがえります。

 

2024年の支払額が突出しているのは、実家を処分して、いま住んでいる賃貸住宅へ引っ越した年でした。いろんな手続きに追われて多忙だったせいか、体調、悪かったですもんねぇ。

前立腺の不調で職場から救急搬送されたりもしたし。横浜マラソンを初めて途中失格したのもこの年でした。

 

ーーー

 

私が定期的に通っているのは次のとおりです。

●月に一度の耳鼻科(耳の掃除)

●3カ月に一度の歯医者(歯と歯茎のチェック)

●3カ月に一度の泌尿器科(前立腺・腎臓などのチェック)

●年に一度の、胃の内視鏡検査(がん検診)

これらは、特に具合が悪くなくても診てもらうことにしています。それ以外で多いのは、やっぱり整形外科ですね。走っているとどうしてもあちこち痛めるし、最近は右手の親指まわりが痛くなる「CM関節変形症」もあったり。 

それと冬は乾燥するせいか、背中から腰にかけて痒みが出るので、12月から3月あたりまでは定期的に皮膚科で薬をもらっています。

 

(引っ越してから、整形外科でお世話になっている戸塚共立いずみ野病院)

 

 

幸いなことに、この6年は入院したり手術を受けたりは無しで済みました。定期的な健診や、健康を意識した食事・運動などが役に立ってくれているのだと思います。でも、これからはどうでしょうね…。今年は70代に突入だしなぁ。 

 

まぁ、未来のことを今から心配しても仕方がないので、これからも「栄養・運動・休息」のバランスを考えながら過ごしていきます。

私が勤務している東京・港区の公共施設では、半年に一度「懐かしの映画会」と題して、いろいろな映画を無料で公開する催しを開催しています。2/14には、この映画↓が上映されました。

 

 

興味のある映画だったので、仕事は休みの日でしたが、わざわざ職場まで行って観賞しました。

 

 

これが会場です。赤坂区民ホールという場所。

 

この催し、司会は元ニッポン放送アナウンサーの齋藤安弘さんが務めています。そう。伝説の深夜放送『オールナイトニッポン』でもお馴染みだった「カメ&アンコー」のアンコーさんです。

アンコーさんは大の映画好きで、今でも年に100本以上の映画を観るとか。

 

そして私は、加藤和彦さんとはちょっとしたご縁がありましたので、事前にその思い出を主催者あてにメールで送信しました。こういう内容です。

 

ーーー

 

こんにちは。私は横浜市在住の●●と申します。

69歳・男性・パートタイマーです。

 

2/14に赤坂区民ホールで上映される『トノバン』にお邪魔させて頂く予定です。劇場で公開された時に観ようと思っていて見逃してしまったので、上映してくださるのはとても有り難く、楽しみにしております。

 

私は1990年代から2010年代にかけて、六本木にオフィスがある会社に20年ほど勤めていました。その当時、六本木の街で加藤和彦さんと安井かずみさんを何度かお見かけしたのです。

 

長身の加藤さんが小柄な安井さんの肩に右腕を回し、安井さんの声を聴くために上半身をぐっと折るようにして、何か話しながら歩いてらっしゃる姿が印象に残っています。

お二人の身長差が大きいので、どうしてもそうなってしまうのですね。ちょっとユーモラスな二人のお姿でしたが、お見掛けするたびに「仲がいいんだなぁ」と思ったものです。

 

そんなある日、偶然ですがお二人のお住まい(と思われるお宅)を発見したのでした。飯倉の交差点の近くの住宅街を歩いていたら「加藤・安井」という表札がかかったお宅があって、私は「ここだったのか!」と思いました。それ以上、深入りはしないようにしましたけれど。

 

調べたら、安井かずみさんは1994年に亡くなられたのですね。ということは、私がお二人をみかけたのは、ご夫婦でいらした最後のほうということになるのでしょうか。

 

六本木の街を肩を組んで歩く、仲睦まじいお二人の姿。いまでも目に焼き付いていて、思い出すたびに心が温まる思いがします。 そんな思い出がありますので、お伝えしたくてメールを差し上げました。では14日、どうぞよろしくお願いいたします。

 

ーーー

 

そうしたら、誰かがアンコーさんにこのメールを取り次いでくれたようで、上映前の解説の中で、ステージ上のアンコーさんが読み上げてくれたんです(お住まいを見つけたくだりは省いてくださいました)。

そして私の名前は言わず「これを書かれた方、いらっしゃってますか?」と声をかけてくださったので、客席の私は「はい」と手を挙げて応えたのでした。

 

ーーー

 

加藤和彦さんの歩みをざっとご紹介します。

 

1947年 京都に生まれる

1967年 ザ・フォーク・クルセイダーズ『帰って来たヨッパライ』が大ヒット

1970年 福井ミカさんと結婚

1971年 サディスティック・ミカ・バンドを結成

1971年 北山修さんとのデュエット『あの素晴らしい愛をもう一度」が大ヒット

1975年 ミカさんと離婚

1977年 作詞家の安井かずみさんと結婚

1994年 安井かずみさん亡くなる

1995年 ソプラノ歌手の中丸三千繪さんと結婚

2000年 中丸三千繪さんと離婚

2009年 うつ病のため、軽井沢のホテルで首を吊って自死

 

亡くなった時は62歳でした。亡くなる2週間ほど前にユーミンのライブにゲスト出演したのが、公の場での最後の姿だったそうです。

また、ある人のブログによれば、亡くなる前の日に六本木の東京ミッドタウンで買い物をしている姿が目撃されています。もしかしてそこでも、私はすれ違っていたかもしれません。

 

「トノバン」は加藤和彦さんのニックネームでした。サディスティック・ミカ・バンドで一緒にプレイした高橋幸宏さん(元YMO)が「加藤和彦さんの功績にもっと光を当てるべきだ」と唱えて、この映画が作られたそうです。そのユキヒロさんも3年前、映画の公開を待たずに亡くなりました。

 

サディスティック・ミカ・バンドは1975年に渡英してロキシー・ミュージックのライブで前座を務めました。その当時に出演したイギリスのTV番組の映像が『トノバン』でも使われていたので、ご覧ください。

 

 

8分ほどありますが、ミカさんは5分あたりから登場します。私は初めて観る映像でしたが、ビックリしました。「これ、ニューウェイブじゃん!」と思ったんです。

私が思い浮かべたのは「B-52’s」というバンドでした。

 

 

そう、この人たち。「ポストパンク」とか「ニューウェイブ」などと呼ばれて、1980年代の前半に大きなムーブメントを起こしましたよね。

ミカバンドはそれより5年も早く、似た音を出していたんだ。いわゆる「早すぎた」ってやつでしょうか。惜しかったなぁ。

 

またこの映画では、ずっと後の作品で『ディアギレフの見えない手』という曲もあることが紹介されました。作詞は安井かずみさん。

ディアギレフと言えば20世紀のはじめに「バレエ・リュス」を率いてバレエ界に旋風を巻き起こしたセルゲイ・ディアギレフですよね。まさかここで彼の名前を聴くとは思わなかったので、これもビックリでした。

 

映画『トノバン』は2時間ちかい長編で、加藤和彦さんと縁があった多くの人が登場し、彼の人となりやたくさんのエピソードを語ります。

ちょっととりとめのない印象もありますが、素晴らしい才能を持ったミュージシャンだったことはしっかり伝わる作品でした。

 

映画のあと、ロビーにいらしたアンコーさんに私は直接お礼を言うことが出来ました。

「自分の手紙がアンコーさんに読まれるなんて光栄です」と言うと「いやいや、良いお手紙、こちらこそありがとうございました」とおっしゃってくださいました。86歳だそうですが、まだまだお元気で活躍して頂きたいものです。

 

2/15(日)は、珍しく8時~15時の早番勤務でした。なので走る支度をして出勤して、仕事が終わってから久しぶりに都心のマイコースを走ってきました。

 

記録を調べたら前回は一昨年の11月。去年は一度もこのコースを走っていなかったんですね。毎度お馴染みでかわりばえしないレポートになりますが、よろしかったら、しばらくお付き合いください。

 

 

ーーー

 

 

 

 

ここがスタート地点。右側の高いビルが私の勤務先です。午後3時過ぎに走り始めました。

 

 

赤坂見附の交差点。右側は赤坂東急ホテルの取り壊し現場です。建物はほとんど姿を消しました。

この交差点をはさんで建っていた赤坂プリンスホテルと赤坂東急ホテルが両方とも消えるなんて。時代は変わりますね。

 

 

交差点を渡ってちょっと坂を登ると「永田町」界隈になります。

 

 

参議院議長公邸とか。

 

 

選挙で大勝してほくほく?の自民党本部とか。

 

 

国立国会図書館などの前を通り過ぎて…

 

 

国会議事堂の前へ出ます。私は小学校6年の遠足で来て以来、入ったことがないです。

 

 

国会議事堂を背にして坂を下ると「国会前」の交差点。左側に皇居のお濠が見えて来ます。右側の、目立つアンテナが立っている建物は警視庁。

 

 

横断歩道を渡れば、お濠沿いの舗道。日曜日の午後なので、たくさんのランナーさんが走っていました。

 

 

桜田門が見えてきました。あそこをくぐって中に入ると…

 

 

桜田門前の広場。皇居ランナーさんたちは、ここをスタート/ゴールにすることが多いです。

 

 

広場を抜けて左へ。内堀通り沿いに走る。

 

 

この丸い車止めが並ぶあたりが「皇居ラン」のシンボル的な画像として使われますね。

 

 

右を見ると突き当りが東京駅。このあたりが東京マラソンのゴール地点になります。

左に見えるクレーンは東京海上火災保険の本社ビルの建て替え現場かな?「木造の高層ビル」になるんですよね。

 

 

皇居ランは、安全のために「左回りで走る」が約束ごとになっています。陸上競技場でトラックを走る時と同じ。

 

 

なので、こういうお濠を常に左側に見ながら走ることになります。写っているのは「巽櫓(たつみやぐら)」。

ただし走る人専用のランニングコースではないので、ぶらぶら歩く観光客も多く、特に休日は注意が必要。ランナーにとってはめっちゃ邪魔ですけど仕方ない。

 

 

観光客らしい人たちが固まって、みんな同じ方法にカメラを向けている場所があったので「何だろう?」と思ったら、この写真を撮っているのでした。なるほどね。(ランナーさんが写りこんでいるのは偶然です)

 

 

このあたりは「カルガモの引っ越し」で話題になる場所。でも最近はあまりニュースになりませんね。

ずーっと奥のほうにはマイ母校の建物がチラリと見えるので、ここを通る時はちょっと嬉しくなりますニコニコ

 

 

メトロ竹橋駅の2番出口付近に和気清麻呂(わけのきよまろ)の像が建っています。ちょっとした広場があるので、ここも皇居ランナーさんの待ち合わせ場所になる。

像の左側に見えるのは、毎日新聞社の本社が入るパレスサイドビル。日本の近代建築の傑作とされているそうです。私はまだ入ったことが無いので、行かなくては。

 

 

お濠沿いには、このような誰でも使えるトイレが3カ所あります。1周、約5kmの中に3カ所あるので安心ですね。

ただし皇居周回コース上に自動販売機はまったくありませんので要注意。いわゆる「水飲み場」が何か所かあるだけです。

 

 

竹橋まで来ました。橋の向こうは国立近代美術館。

 

 

このあたりから登りになります。微妙にキツかったりする。

 

 

「乾門(いぬいもん)」のあたりにある「森の調べ」の像。足元に硬貨が置かれていますね。前は無かったと思うなぁ。いつ頃からこうなったんだろう?

 

 

このあたりは代官町通り。左側のお濠は見えなくなります。そして登りは続く。

10年ぐらい前かな?工事が行われて道が広くなり、舗装も改められて、かなり走りやすくなりました。桜田門の広場をスタートとすると、この辺が半分をちょっと過ぎたあたり。

 

 

やっと下りになるこの辺が、皇居周回コースでいちばん道が狭いところ。これでもかなり拡がったんです。かつては人が一人通り抜けるのがやっとでした。

 

 

千鳥ヶ淵の交差点で左に曲がります。右へ行けば桜で有名な千鳥ヶ淵のお濠や、武道館、靖国神社など。

 

そしてこの角にあるのが…

 

 

私が「屈辱のベンチ」と呼んでいるベンチ。皇居を走るようになって、1周、2周と距離を伸ばし、初めて3周(15km)に挑戦した時にどうしても苦しくなって、悔しいけれど、ここに座って休憩しなければなりませんでした。

1995~96年ごろだったかなぁ。当時は15kmも走れなかったんですね。このベンチを見るたびに初心に帰る気がします。

 

 

千鳥ヶ淵公園沿いのこの付近も、このように道が狭いです。左にあるのはトイレ。3カ所あるうちでいちばん広くて明るくて綺麗。

右手の、道路を挟んで向かい側には英国大使館があります。

 

 

半蔵門まで来ると、急に視界が開けて気持ちがいい。ここまで来ると皇居1周の8割ぐらい終わった感じでしょうか。

 

 

また左側にお濠が見えて来ます。道が下りになるので飛ばしたくなりますが、歩道のアスファルトがところどころ盛り上がっていたりするので、気をつけないと危ない。

もうちょっと行くと、お濠と反対側には国立劇場(閉館中)や最高裁判所があります。

 

 

警視庁が見えてくればゴールはもうすぐ。警視庁の右に見えるのは外務省の建物です。

 

 

桜田門をくぐって広場へ。これで皇居1周は終わりましたが、私の目指すゴールはもっと先なので、足を延ばします。

 

 

日比谷公園を右に見ながら有楽町のほうへ。右側の大きなビルは東京ミッドタウン日比谷。さらに右へ行くと東京宝塚劇場や帝国ホテルがありますが、私は直進。

 

 

ポール・マッカートニーが来日すると常宿にするという「ザ・ペニンシュラ東京」。ポールは今年後半に来日の噂が出ていますね。来るなら観たいなぁ!

 

そしてペニンシュラを過ぎて左側を見れば…

 

 

丸の内仲通り。このあたりが、東京マラソンのゴールまであと1kmの地点です。ランナーさんにとっての“ビクトリー・ロード”ですね。道の両側の沢山のギャラリーから声援を受けてここを進み、丸ビルの下を左に曲がればゴールが見えてくる。

私ももう一度だけ、あの歓びを味わいたいものです。2027年の東京マラソンはエントリーしようっと。

 

 

晴海通りをまっすぐ行ってJRのガードをくぐると数寄屋橋の交差点。東京マラソンのバナーが出ていました。

 

 

人混みでごった返す銀座4丁目。左に和光、右に三越。奥にあんぱんの木村屋総本店と山野楽器。走るのは無理なのでゆっくり歩きます。

 

 

東銀座まで来て、歌舞伎座の前を通過。(黄色いMR2が気になりますね!爆笑

 

 

築地本願寺は改装工事中でした。

 

 

市場が豊洲へ引っ越す前は観光客が集中していた築地の場外市場。右の奥に見えるのは国立がんセンターと、朝日新聞の本社。

 

 

市場が豊洲へ移ってから、築地にはこういう↑観光客向けの施設が出来ています。でも正直、あまりお勧めする気持ちにはなれません…

 

 

「あっ、波除神社にお参りするのを忘れちゃったなぁ。まぁいいか」と思いながら進み、隅田川にかかる勝鬨橋(かちどきばし)まで来ました。

 

 

勝鬨橋から右を見れば隅田川の河口方面。羽田空港に着陸しようとする飛行機が右から左へ、1分おきぐらいに飛んで行きます。

 

向こうにアーチ型の橋がかかっているの、見えるでしょうか。あれが「築地大橋」。ほら、こないだの雪の日、イタリア製の超高級車ランボルギーニが滑ってパトカーに突っ込んでお巡りさんに怪我をさせたあげく、運転者はクルマを捨てて歩いて逃げた(!)っていうあの現場です。捕まりましたけどね。

 

 

勝鬨橋を渡って少し下流まで行き、振り返るとこういう景色。二つのアーチを繋いだ橋ということが分かりますね。かつてはアーチとアーチの間の部分が開閉して、船を通すのでした。

写真右側のアーチは改装中で、向こうが見通せないのが残念。

 

 

橋を渡ると街の雰囲気が変わります。マンション群の中に運河があって、屋形船の基地になっていたりする。

左側に見える緑のランプは水門。向こうは隅田川になります。ここまで来れば、ゴールまでもうすぐ。

 

 

月島の駅に着いた時は、すっかり暗くなっていました。何はなくとも、まずお風呂へ!

 

 

大きなビルの中にある通路を入って行って…

 

 

月島観音にお詣りしてから、2階の月島温泉へ。名前は温泉ですが、ふつうの銭湯です。

 

 

この写真は借り物。東京の銭湯はお湯が熱い所が多いのですが、ここはぬるめ。猫舌?でゆっくり浸かっていたい私には助かります。汗を流してサッパリ。あー、極楽極楽。

 

お風呂を上がってから月島の街をぶらぶら歩き、食事する店を探しに出ました。

 

 

 

はい。月島といえば、ご存じの通り…

 

 

「もんじゃ焼き」で有名ですね。「もんじゃストリート」と名付けられたこの通りには、1番街から4番街までの両側にズラリと専門店が並んでいます。

私は4番街に馴染みのお店が2軒あったのですが、再開発で休業中。仕方なく、初めてのお店に入りました。

 

 

もんじゃストリートの入口近くにある「大江戸坂井」さんへ。

 

 

とりあえず中ジョッキ。そして「豚肉イカお好み焼き・そば追加」を頼みました。

「せっかく月島なのに、もんじゃにしなかったの?」と言われるかもしれませんが、そこはまぁ…てへぺろ

 

 

こちらのお店は自分で焼くスタイル。手先の不器用な私なので危惧しましたけれど…

 

 

下手なりに、まぁなんとか焼きあがりました。

 

 

お店の特製ソースとスペシャルマヨネーズで…

 

 

いつも思いますが、ソースとマヨネーズってどうしてあんなに合うんでしょうね。悪魔的としかいいようがない。

 

生中1杯とお好み焼き1枚で2,350円。至福の時間でした。そしてまだお腹に余裕があったので、デザート替わりに2番街のこちらへ…

 

 

毎度おなじみ、焼き立てメロンパン「久栄」さん。月島へ来たら、もんじゃを食べないことはあっても、こちらのメロンパンを食べずに帰ることはありません。

1個230円。買ってすぐ、お店の前のベンチに座って頂きます。

 

 

こんなふうに↑お客さんがひっきりなし。日曜の夕方でしたからね。見ていると、見るからに食べなれた感じの地元の人もいるし、「えっ、これ何?」と気がついて買っていく観光客風の人もいるし。

 

月島に行かれましたら、久栄のメロンパン、どうぞよろしくお願いいたします。しかしながら…ありていに言って「びっくりするほど美味しい」ものではないです。メロンの風味もそんなにしないし。

メロンパンなら、東名高速・厚木SAの特製メロンパンのほうが美味しいと思います(あくまでも「特製」のほうです)。お値段も違いますけどね。

 

鎌倉に行くと、皆さん「鳩サブレ」買いますよね?あれだって「びっくりするほど美味しい」わけじゃないと思うんですけど、でも買うじゃないですか。あれと同じだと思うなぁ。とにかく私は月島に来たら久栄さんのメロンパンを食べることにしている。それだけです。

 

そして「このメロンパンを食べにここまで走って来られる、自分の健康に感謝」という気持ちが年々強まっていきます。

 

 

ジョギング~お風呂~お好み焼き~メロンパンで100%満足!帰りは月島から大江戸線で汐留に出て、接続している新橋駅まで歩き、JRで帰りました。

 

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ちなみに赤坂見附~皇居1周~銀座~月島まで、ジョギングした距離は11.28kmでした。たった11kmです。時間にして1時間53分04秒。写真を撮ったりなんだりで、キロあたり10分01秒もかかってしまいましたが、楽しいひと時でした。

そして、つくづく「自分がやりたいのは、やっぱり、こういうことなんだよね」と思った次第です。

 

1年4カ月ぶりの都心ジョグ、ものすごく良い気分転換になりました。最後までお付き合いくださり、ありがとうございました。

 

数日前、関内のあたりを歩いていて、馴染みのお店「紅花」さんの前を通りかかったら… 

 

 

 あれ?定休日でもないのに、シャッターが降りていて、何やら張り紙が出ている。ものすごく嫌な予感がして近づくと…

 

 

 うっそー! 「長期休業」なら再開を待つけど「長年のご愛顧ありがとうございました」と言われると、このまま閉店?


そんなぁ。もう何十年もお世話になってキたし、横浜でいちばん大好きな中華料理屋さんだったのに。

紅花さんが無かったら、これからどこに食べに行けばいいの!

 

 

去年の11月、高校時代の同級生が「横浜マラソン完走祝い」をやってくれたのも紅花さんだったし。

 

 

 一昨年、テニス仲間のH君の還暦を祝って、同じ会社で働いていた懐かしい仲間が集まったのも紅花さんでした。

もちろん個人でも数え切れないぐらい通っていた紅花さん…


営業していた頃の写真を貼っておきます。


 

 

 

 

 長期休業の張り紙を見た翌日、私は例によって自分のメッセージを書いた張り紙を張らせてもらいました。


 

お店の張り紙の左下に、小さく。何を書いたかは、ご想像にお任せします。


それにしても、ショックです。悲しいし、寂しい。何度も書きますが、私にとってお気に入りのお店というのは、長い付き合いの親友と同じ存在なので。

そういう大切な存在を失ってしまいました。

  


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紅花さんがある関内周辺は、他にも閉店が目立つんですよね。ちょっと界隈を歩いてみました。

 

 

 

  



 桑田佳祐さんの奥様、原由子さんのご実家の天ぷら店「天吉」さん。サザンファンにとっては聖地のなかの聖地でしょう。「紅花」さんからは150mほどの近さ。

こちらは再開発の影響で、由緒あるこの場所での営業を終え、伊勢佐木町へ移転して再開の予定です。閉店ではないだけ救いがありますけど。


あ、サザンで思い出した。「紅花」さんにはサザンオールスターズのサイン色紙が貼ってありましたっけ。 それも、オリジナルメンバー6人が寄せ書きしたもの。古いサザンファンなら、どれだけ貴重なものかお分かり頂けると思います。


それにしても、サザンのメンバーが天吉でなく紅花にいるのを想像すると、ちょっと面白いですね。

「たまには天ぷらじゃなくて中華にしようぜ!」とか、桑田さんが言ったのかな?☺️ 


そして…

 

 

JR関内駅の真ん前に立つ商業ビル「セルテ」。1967年にオープンした老舗ですが、昨年クローズ。


ここの上のほうのフロアにあったディスコ「カウベル」には、若い頃に何度か踊りに行きました。また、横浜で映画を観ると、映画の合間に「ラララカウベル、ラララカウベル♪」というBGMのコマーシャルが流れたものです。  

当時は「センタービル」という名前だったと思います。

 

 

 

 

セルテの隣の「横浜酒販会館」もクローズ。見るからに古いビルですもんね。

 

 

 そのビルの1階にある文明堂さんも閉店。

 

 

 さらにその隣のビルも壊されることになっていて、1階の角にあった焼き鳥屋さんは既に閉店していました。土曜や日曜の夜なんか、繁盛していたのになぁ。こちらは移転予定のようです。


他にも、伊勢佐木町の不二家のビルも壊されたし、ゆずの2人がシークレットライブをやった「クロスストリート」も壊されて駐車場になってるし、「現存する日本最古のジャズ喫茶」と言われる「ちぐさ」も、いつになったら再開されるのかはっきりしないし。

もう本当に「どうなってるの横浜!」と言いたい気分です。


💧


 そんなわけで「永遠に続くものって、ないんだな」と、あらためて思わされたことでした。

 


今日は年金支給日ですね。2/15が日曜日なので2日、前倒し。助かります。

今さら、ふと思ったのですが、口座振り込みになる前はどうなっていたのでしょう?
個々に通知が郵送で届いて、それを郵便局や銀行に持っていくと現金で渡してくれたのかな?窓口は大変だったでしょうねぇ。

………

  

私が年金の振り込み先にしている銀行は、通勤経路の中では「上大岡」「横浜」「赤坂見附」などに支店があります。


年金を受け取るようになって気がついたのは、年金支給日(偶数月の15日)はATMが激混みするということ。

上記の支店のうち、上大岡支店と横浜西口支店も、必ず長い行列が出来ていました。間違いなく、年金を受け取る人たちの列ですよね。他の日とはぜんぜん違う光景でした。



でもある時、青山通り沿いにある赤坂見附支店で年金をおろそうとしたら…ATMはスカスカなんです。


私は「えっ、なんで?」と思いました。でもすぐに想像がついたのは「赤坂見附界隈に住んでいる人なんて少ないからだな」ということ。

きっと、そうなのでしょう。このあたりはオフィスと店舗ばかりで、住宅やマンションはごく僅かですから。



これがさっき、私が寄った銀行のATMの様子。年金支給日の午後2時過ぎなのに、こんなにガラガラなATMも珍しいかも?😅 私はいつもここを利用しています。行列ゼロなのは助かる💮

もう何度目かのリブログになりますが、自分の過去記事のなかでも特に大好きなものですので、再掲させてください。

あれから57年ですか。小学校6年生だった私も、古希を迎える年になりました。

今日はちょっとブルーな内容になりますが、お許しください。この数日、私の心を曇らせる知らせがいくつか続いたもので。(私自身は元気だしノートラブルですのでご心配なく)

 

ーーー

 

いちばんショックだったのは、訃報です。私とは、お互いに若かった頃から40年以上も親交が続いている女性の、ご主人が亡くなられたという知らせ。

59歳という若さでした。まだまだこれからっていう時なのに。ご病気だったそうです。お葬式は、これから数日のうちに行われます。

 

ご夫妻にはお子さんがいなくて、ご両親もいらっしゃらないので、お二人だけの生活でした。訃報を聞いてから彼女にはお悔やみと励ましのLINEを何本か送っていますが、彼女からは「これからこの家でずっと一人で暮らす孤独を思うと、恐怖しかないです」と返信がありました。

 

寂しいとか悲しいという以前に「恐怖」という言葉が出てきたことに、私は驚きましたが「ああ、そうかもしれないなぁ」とも思いました。

彼女は今までずっと「一人暮らし」というものをしたことがないんですよね。そういう人にとっては、「家の中に自分しかいない」という日々は、想像がつかないのかもしれない。

 

お葬式が終わるまで、今はご親戚の家に泊まらせてもらっているそうですが、「告別式が終わったら家に戻らないといけませんよね?」と考えているようです。

 

まさかそんなことが、とは思いますけれど、告別式が終わったら、お骨になったご主人様と自分だけで、住み慣れた家に戻ってひっそりした夜を過ごすのでしょうか。家の中には、自分と、何も言わなくなったご主人様だけ…

そんな場面を想像すると、私までむしょうに苦しくなってしまいます。それはあまりにもつらすぎる。誰か、そばにいてあげて欲しい。

 

世の中で最大の悲しみは「配偶者との死別」だと聞いたことがあります。私には想像するしかありません。でも「身を切られるようなつらさ」なんだろうなということは、実例をいくつか存じていますので、分かる気がします。

 

どんな言葉で彼女を慰めたらいいやら。「言葉が無い」って、本当ですね。うーん。 

でも当面は1日1本、短いLINEは送ろうと思います。「お返事は不用」と、ことわった上で。でもそれも負担になっちゃうかなぁ?慰めになればと思うんですけど。

 

 

(3日前の土曜日、雪の中をジョギングした時の写真)

 

 

自分のことを思い出すと、2014年の10月に母が亡くなり、その1か月半後の12月、後を追うように父が亡くなった時は、バタバタとやることに追われながらも、ふと「真空状態」のなかに閉じ込められたような感覚がありました。あの頃は「誰か、誰でもいいから助けて!」と大きな声で叫びたくなる瞬間が何度かあった。

でも、それも出来ず、何か大きくて重いものに押しつぶされそうな感じに耐えながら時を過ごした記憶があります。幸い、たくさんの人に支えられて少しずつ「日常」を取り戻すことが出来たわけですが。

 

だから、最愛のご主人を失った彼女にも「俺は、あなたのことを気遣っているよ?」と知ってほしいんですよね。気遣う以外に何も出来なくてもどかしいけれど。

 

 

楽しくない話題で失礼しました。