2017年8月に「国家資格キャリアコンサルタント」を取得し、5年後に迎える定年後はその資格で第二の人生を歩く筋書きが見えた。
人事部で採用の仕事を27年間担当してきて、人材育成の仕事も16年の実績があるので、資格にその経験を活かそうと考えた。
残りの5年は将来を見据えた人脈を広げて、新たなネットワーク作りをしようと意気込んでいた。
そんな矢先、資格を取得したわずか2ヶ月後に予想もしていないことが起きた。
10月から社長秘書に異動の内示!
その時の秘書部マネージャーはもともとアパレル営業を担当していたが、東京のアパレル部隊で急な欠員が生じ、彼が就任することになった。
その空いた席に誰が座るのかという議論があったようで、私にその白羽の矢が立った。(黒羽かもしれないが・・・)
また同時期に営業部で架空売上という不正処理が偶然にも2件発覚し、役員会議で一つの部署に長くいる社員調査があったらしい。
そして、そのリストの最上段に私の名前が燦然と輝いていたのだ。(なんてたって27年ですから!!)
長くいると外部企業や各組織内で癒着関係などが生まれ、不正の温床になるという発想である。
とにもかくも例外なく異動が敢行され、もろくも「人生100年時代」に向けたセカンドキャリア構築計画は大きく狂った。
秘書に来てからの会社生活は、仕事が出来ないし、法律も勉強し直し、社長のホテルやハイヤーの予約や変更など忙し過ぎた。
一番しんどかったのは、大会社の経営者である社長の片腕としての細かな気遣いと業務フォローである。
特に接待ゴルフの予約は最たるもので、月に一度、早朝5時半にゴルフ場のフロントに並び、接待ゴルフ日の予約を取る。
当初は月2~3日分の予約だったが、徐々に取引先役員から「名門コースを回れる」と口コミが広がり、毎月10日分ほどに予約は増えた。
だから予約解禁日となる「第1日曜日」は、プライベートな予定を組めなくなってしまった。
秘書部に来てからは社長や役員以外との会話も少なく(シークレットも多いので外部とは距離を置いていた)キャリコンどころではなくなる。
ただでさえ人と話すことが減ったところへ「コロナ禍」とあって、一日誰とも話さない日も増えた。
その頃の秘書部での楽しみは、確定拠出年金の運用益を増やすための金融商品の売買と、元本100万円での小口株の運用だった。
秘書部には入社10年目の一般職社員がいるが、よく株の話はしていて、彼女は株式運用教室なるものに通っていて色々教えてくれた。
僕は株式チャートの指南本など5~6冊読んでいたので、お互いに小口投資をしながら株式運用を楽しんでいた。
特に「川本産業」「東京電力」「スノーピーク」あたりにはお小遣い稼ぎをさせてもらった。
また確定拠出年金の幹事会社だった証券会社から、「ソフトバンク」の新株発行の案内を受けて株主になったのもこの時期。
株主になると株主総会の議案への投票を行ったり、配当金を受け取ったりいろいろな権利が付いて来ることを知る。
秘書部に属した5年間で株式運用については、多くの失敗と成功を繰り返して自分の株式運用法とノウハウが身に付いた。
この経験はセカンドキャリアを進める上で、生活基盤を安定させる部分でかなり重要な知識となり財産となった。
秘書部に来た当時は、キャリアコンサルタント資格を活かす機会が無くなり、無駄な出費になる可能性もかなり考えていた。
翌年上司が体調を崩して交代し、私が入社7年目の人事部にいた時に新入社員として入社した後輩が新しい上司に座ったことで事態が動く。
大学ではパンクロックをしていたらしく、無口で愛想もないし、営業では使えないタイプだと感じていた。。。
その後も財務や経理やリスク管理などのスタッフ畑を転々とし、直近では中国駐在員として長年滅私奉公していた。
秘書部の上司が急病でリタイヤしたことで、日本に戻ってきたという玉突き人事。
さすがに1年目(私3年目)は「元先輩」に気を遣って質問をしてきて、私が業務内容を教えるというまっとうな関係だった。
しかし、その態度も2年目(私4年目)に豹変した。
一通り仕事を確認し、翌年には業務分担を決めることとなっていたが、ほぼ役員マターは私の担当業務になった。
それは取締役会議事録作成、社外取締役の対応、役員登記、役員報酬計算、役員が参加するイベントの準備など面倒なモノばかり。
一つのミスも許されないし、慣れた人が担当すべきということらしい。
どういう人間かも分かっているし、上司からのフォローは一切無いのは諦めていたが、仕事としてはかなりきつかった。
更に21年の9月、翌年4月1日から「65歳定年延長」制度導入で給料が半分になるにもかかわらず、業務分担はそのままと宣言された。
この時、私の中の何かが「パチン!」と切れて、早期退職金をもらって決別することを決めた!
私のセカンドキャリアの道は一旦は閉ざされたと思ってたが、実はこの上司が背中を後押しする存在になるとは想像すらしなかった。
神様はそのために、この理不尽な人事異動を与えてくれたのだと悟った。
仕事の合間を見つけては、退職後の生活資金の計算も毎日のようにシミュレーションしていた。
この時点で予定資金は、貯蓄、通常退職金、確定拠出年金の運用益、早期退職上乗せ分、個人年金受取金、株式配当金があった。
65歳の公的年金を受けるまで退職時の生活水準を維持するには、年収250万円ほどの仕事があれば十分やっていけると踏んだ。
だから転職活動は「キャリアコンサルタント資格必須・給与20万円以上」という条件で探すことが出来た。
同年代の他の退職者は「最低でも給与35万円以上」で探しており、ほぼ転職先が見つかってなかったが私は直ぐに見つかった。
実はこの結果も織り込み済みで、転職を成功させるには「客観的な即戦力性が必要」と言う鉄則を知っていたから。
初めて出会うどこの誰だか分からない人の客観的評価は「資格」と「実績」しかなく、同業への転職でなければ「資格」しかない。
(だから、よく知る知人の仲介があれば転職はうまく行くことも多く、人脈を作り活かすことも鉄則の一つ。)
加えて「きれいな履歴書」も必要で、転職回数が多い、1社の在籍期間が短い、ブランク時期があるなどはハードルを上げる。
かくして、長年勤めた商社を辞めて「第二の人生」をスタートさせた。
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