My Life Shift VOL.8(クルンボルツ理論の実践) | ☆★人生100年時代 〜人生豊かに生きたいね!〜 ★☆

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長らくブログの更新が出来ずに、2ヶ月近く経ってしまいましたが、お陰様で充実した毎日を過ごしています。

 

 

 

3月末に36年間勤めた繊維専門商社を早期退職し、切れ目なく4月1日から人材系会社P社で地方創生事業の仕事を開始しました。

 

転職にあたって初めから地方創生(移住者支援)の仕事を目指していた訳ではなかったが、いろいろあってここに落ち着いたという次第。

 

結果的には自分の力を超えた何か外部的なもの、偶然の積み重ねやキーマンとの出会いといった「導き」があったように感じてます。

 

 

 

今から思い起こせばその偶然はまだ繊維商社で悶々とした気持ちで仕事をしながら、キャリコン仲間の仕事のお手伝いをしていた、2021年4月頃に遡る。

 

彼は某通信会社の第一次選考の一環でグループディスカッションを受託し、そこに参加している学生さんを評価するというアセスメントのお手伝いをさせてもらった。

 

仕事は無難に果たし8月に慰労会ならぬ飲み会があり、その業務にあたったお二人と顔合わせする機会があった。

 

一人は20歳代だがしっかり発言される女性で、彼女の繋がりではキャリコンが集う社団法人の会員に入れてもらった。

 

一般社団法人PENSEE(パンセ)

 

そしてもう一人が転職のキーマンになったのだが、元々学生の就職支援をするベンチャー企業にいたが、その後独立されて個人事業主として活躍している40歳代男性である。

 

私が商社で採用担当をしていた時にその就職支援サービスを使っていた時期があり、彼とは8年振りの再開という状況でもあった。

 

飲みながら職場環境の課題や仕事にやり甲斐も感じられないことや、将来のありたい自分についてを話して、楽しい時間を過ごしたのである。

 

 

 

12月に3月末付けの退職願を提出し、1月に入って転職活動をスタートさせ、毎日のように応募書類を書いては送るという実践モードに突入する。

 

そんな中、1月31日に転職活動を始めたことを彼に連絡したところ、彼が知っている会社や仕事を紹介してくれました。(そこは求人していなかったですが。)

 

それを機会にちょくちょくお尋ねや報告をしていたら、彼の最初の就職先である人材会社P社の同僚がいろいろプロジェクトを抱えているということで紹介頂きました。

 

そのP社の同僚がまた丁寧でフットワークの軽い方で、直ぐに一つの仕事を紹介してくれました。(そこは結果的に地方自治体の予算が付かずお流れに。)

 

その代わりではないが間もなく別の地方創生事業の仕事を紹介してくれて、本当に初めての転職活動で不安だらけの時に頼もしくも有り難い存在となった。

 

そして3月14日朝に私自身がハローワークを通じて応募していた私立大学のキャリアセンターから内定通知書が届き、同じその日の昼過ぎに地方創生事業の仕事でも内定が確定する。

 

 

 

3月14日(月)を境に「行き先を決める」という新しいステージに入りました。

 

単純に処遇では私立大学のキャリアセンターの方が良かったのだが、地方創生の内定にはいろいろな方々の「ご恩」や「ご縁」が繋がっており気持ちとしては後者に傾いていた。

 

妻に相談したら「あなたが納得できる方ならどちらでも。」という答えで「自分はどうありたいか」という人生設計の原点に帰ってきた。

 

少し考えなければならないと思って、今回お世話になったP社の方にも「大学で内定が出た」ということを報告しておいたが、その時の回答が最終決断に至ることになる。

 

「おめでとうございます!こちらのお気遣いは要りませんから、そちらに行かれる時にはご連絡下さいね。」というお返事。

 

この方は地方創生の仕事ができる人を探すのが仕事で、私が職探しをする中でも多方面に調整するなど骨を折ってくれた筈なのに、最後はその個人を尊重する潔さって何だ!?と思った。

 

その言葉には、前の会社で飢えていた人を尊重する気持ちがあり、その上で仕事は処遇ではなく、信頼関係とやり甲斐を感じられるかが重要だと再認識したのです。

 

早々に意を決して、その日の夕方にP社のその方に電話を入れ「お世話になります。ヨロシクお願い致します!」と意思を伝えて私の転職活動は終了したのです。

 

 

 

クルンボルツの理論に従えば「自分の仕事を自分で選んだ人は殆ど存在せず、限られた選択肢の中から自分の行動と反応をコントロールする」ことしか出来ない。

 

慎重に立てた計画よりも想定外の出来事や偶然の出来事が、その人の人生やキャリアに影響を与えている事の方が圧倒的に多いのです。

 

つまりキャリア形成に重要な事は、結果が分からなくても行動を起こし、新しいチャンスを切り拓き、偶然の出来事を活用する事に他ならない。

 

行動を起こさない(起こしたくない)理由は「失敗するかもしれない」という恐怖心であるが、失敗は決して悪いものでは無く、有意義で重要な「学び」を得られる。

 

だから勇気を持って、今出来ること、やりたいことに挑戦し続けることがキャリア開発には欠かせない。

 

私の場合は、二つの選択肢の中から「仕事内容が想像できる固い仕事」よりも「新しいキャリア形成に繋がる未経験な仕事」を選んだという事になります。

 

『人生100年時代』を見据えた時に、自分に出来るキャリア経験を増やし、人脈を広げ、人生をより豊かに生きる可能性を選択したのです。

 

 

 

50歳を過ぎてからいろいろな偶然の出来事が積み重なって今回の転職は成立しています。

 

2015年・53歳で「キャリアコンサルタント資格の存在を知る」+「適性検査会社のT氏と出会い」⇒「17年に資格取得」⇒「17年9月~キャリコン活動&キャリア形成の考え方(偶然の活用)」⇒(※)「01年1月~T氏のお手伝い」⇒「同年8月、慰労会でのY氏との再会」⇒「02年、P社の同僚S氏との出会い」⇒「転職先の確定」

 

もし私立大学のキャリアセンターを第二の職場として選択したならば、上記の(※)から先は、「無に帰する」ことになり、これは私の中では考えられなかった。

 

大学への転職を選択していればそれなりの新しい出会いやキャリア獲得があったのは間違いないが、独力でゼロからの始まりで、60歳から「無我夢中に、がむしゃらに働く」ということはあまり志望するものではなかった。

 

それよりも人との繋がりを感じながら、お互いの信頼関係がある組織・コミュニティの中で『心豊かに働く』ということが理想だったし求めていた職場環境であったのは間違いない。

 

昨日はホームコースの研修会で「新しい仕事どお? 楽しそうやね」とお声掛けもいただき、以前とはやはり表情も少し和らいだように映っているらしい^^

 

 

 

もう一つの視点として六星占術で私は「二黒土星人(+)」であり、2022年の運気は『立花』で人生の節目に当たる年でもあり、SHIFT CHANGEする絶好のタイミングにあたる。

 

この時期は物事を決定し今後の運気に大きな影響を与える時期で、転職、起業、開業に適していて以前から計画していたことを実行する年となっている。

 

悩み事はこれまで築き上げてきた人脈が助けてくれるし、逆に裏切るとそれが後世まで尾を引くような、とても重要な選択を行わなければいけない。

 

この時期に手にした成功や財産は人生の基盤になる。

 

 

 

50歳を過ぎて「60歳になったら、どうSHIFT CHANGEするか」をずっと考えてきたが、60歳になってカタチになり、前進し続けられている事に安堵している。

 

特に2021年11月からは周囲が大きく変わり始めて、気持ちもいつになく積極的になり、何の迷いもなく行動に移せたことが不思議でならない。

 

霊泉寺の禅僧・南直哉(じきさい)も著書「心がラクになる生き方」に「人生を変えるような決断は自分の判断だけでは済まず、予想外の力が働く」とあって、まさにそのタイミングだったように感じている。

 

そこにクルンボルツ理論を無理矢理絡めると、その偶然の出来事をうまく捉えて受け入れ、活用する準備が出来ていたということになる。

 

 

 

この半年の間、ストレス解消に聴いていた「桑田佳祐」は、メモリアルシンガーになると思う。

 

特に「SOUL コブラ・ツイスト~魂の悶絶~」は何度も聴いたし、バックダンサーの佐藤郁実さんにはとても元気づけられ、笑顔をいただいた。(赤いドレスのダンサー)

 

 

私の居場所を見つける旅が

ここから始まります!!