話し相手 | 元気な障害者

元気な障害者

2004年発症。当初はうつ病の診断。転院を繰り返し、発症から10年目で初めて双極性障害という言葉を知りました。休職、復職後、2016年3月に定年退職。2017年7月から障害者枠のパート勤務。
病気のことだけでなく、日々感じたことを書いています。

脳腫瘍のこと。

手術自体に対する不安はありません。

今のところ。

それより、もうこんな思いをしてまで生きていたくない、という思いばかり。

検査入院を含めたたくさんの検査。

薬で抑えているとはいえ、ときおり襲ってくる激しい痛み。

先日は職場で思わずしゃがみ込んでしまいました。

同僚たちが寄ってきて声をかけてくれましたが、答えることもできず。

ただ近くにあるものにつかまって、痛みを堪えてうめくことしかできませんでした。

そこまでならなくても、ズキズキ、ピリピリとした痛みは常に感じています。

それがいつまたあの激しい痛みに変わるか、怯える毎日。

怖い。

あの痛みが怖い。

手術まであと1ヶ月と少し。

あと少しの我慢と言われるでしょう。

でも、我慢できない。

そんなに長いことこの恐怖感を持ったままの生活は堪え難い。

 

だからもう人生を終えたい。

 

なんてことを話すと、誰だって「あと少しの辛抱」「命を粗末にしてはいけない」なんて言われることでしょう。

分かってます。

でも、これが素直な私の気持ちなんです。

 

 

これが影響しているのかどうか、このところ、情熱がなくなりました。

以前は情熱を注いでいたものがいくつかありました。

ホッケー、落語、和太鼓、運動。

夢中になっていました。

今は、関心があるものはいくつかあります。

ホッケーなどの他にも、残りの人生で勉強してみたい、知りたいことはあります。

しかし、手をつけてみても、なかなか長続きしません。

以前のように夢中になれないのです。

「誰だってそうだよ」「そういう人多いよ」なんて言われるかもしれません。

でも、「誰だって」は私には慰めにならないんです。

 

最近、映画「男はつらいよ」シリーズを観ています。

素晴らしい。

物語だけでなく、出演者の方々すべてが素晴らしい。

演技ではなく、皆さんが持っている温かさや優しさが表れているのだと思います。

なんてこと話しても、分かってくれる人はいません。

あの素晴らしさを分かち合ってくれる人はいません。

 

 

大好きなホッケー。

北米のプロアイスホッケー。

今、プレーオフの真っ最中。

私が好きなチームはプレーオフには進めず。

次に応援しているチームは1回戦で敗退。

残念だなぁ。

なんてことを話せる相手はいません。

ホッケーの何が素晴らしいか。

乱暴な印象を持つ人が多いと思いますが、あんなに美しいスポーツはないと思います。

なんてこと誰にも話せません。

 

 

一時、悩んでいたあることへの依存。

依存症だと思い、自助グループやカウンセリングを試しましたが、どれも効果がありませんでした。

しかし、あることがきっかけで回復しました。

そんなことも打ち明けたい。

けど、そんな相手はいません。

 

 

20年以上苦しんだ精神疾患。

3年前に意図しない断薬をしたせいで、コロっと良くなりました。

あんなに毎朝苦しんでいたのに、今は何の躊躇いもなく通勤しています。

週に5日、8時間。

欠かすことなく勤務しています。

おまけに、いろんな仕事を任されて、今、てんてこ舞い。

この歳で、障害者で、パートの私にこんな大事なことを任せていいのか、という感じです。

それを嬉しく思う気持ちもありますが、そんなにあれこれやらされたって…という戸惑いというか、愚痴というか、もあります。

そんな話にじっくり耳を傾けてもらえる相手はいません。

 

 

辛いことや苦しいこと、楽しいこと嬉しいことも。

何もかも自分の胸の中。

 

それが辛いです。