陸奥・三平・子規 (谷根 2 / 8) | まさこんの写真雑館

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仕事に遊びに縁の深い新宿の風景、ふらっと出かけた場所の写真、50年前に撮った写真の復元、写真について思うこと、などなど。

陸奥宗光

林家三平

正岡子規

 

どういう組み合わせ?

と、思いますよね。

 

台東区根岸3丁目7-15:旧陸奥宗光邸

台東区根岸2丁目10-12:ねぎし三平堂

台東区根岸2丁目5-11:子規庵

 

ということで、この3人にゆかりのある建物が東京都台東区根岸にあります。

いずれも私がご紹介するまでもない方々ですね。

 

[旧陸奥宗光邸]

明治時代に駐米行使や外務大臣を務めた陸奥宗光が1883年(明治16年)から4年間住んだ邸宅だそうです。

この邸宅は1888年(明治21年)に売却され、他の方の手に渡っています。

塀に掲示されている2017年3月付の説明書きには、「現在も…(その方の)ご子孫…のご家族がお住まいです」とあります。

蔦に覆われ、ベランダも傾いているなど、保存状態は決して良いとはいえません。

2023年5月時点でどなたかが住んでいるのかは不明です。

 

[ねぎし三平堂]

 

残念ながら、現在は「改装のため閉堂中」でした。

(先代)林家三平にまつわる品々が展示されているそうです。

子供のころ、大好きでした。

遅れて入ってきたお客さんがいると、

「あ、奥様、お待ちしてました。そろそろいらっしゃるんじゃないかって噂してたとこなんですよ。」とか。

「(客席の)ここからこっちを重点的に」とか。

よしこさんの歌、とか。

いつも後ろでアコーディオンを演奏していて、絶対に笑わないおじさんもおかしかったですね。

真打披露のときの志ん生の心温まる口上。

(動画サイトで「三平 志ん生」で検索すると出てくると思います)

それだけ期待されていたということでしょう。

その期待に大きく応えた芸人だったと思います。

 

[子規庵]

明治時代の俳人、歌人、正岡子規が1902年(明治35年)に亡くなるまでの8年間を過ごした家です。

 

何度かの解体、焼失を経た後、現在の形に復元されました。

 

「梅が香や根岸の里のわび住居」

上五字に何を持ってきてもそれなりに聞ける句になる「根岸の里の侘びずまい」の元祖です。

・夕焼けや、根岸の里の侘び住まい

・疲れたな、根岸の里の侘び住まい

・インスタや、根岸の里の侘び住まい(ちょっと無理か…)

 

「妻よりは妾の多し門涼み」

なんて句も。