陸奥宗光
林家三平
正岡子規
どういう組み合わせ?
と、思いますよね。
台東区根岸3丁目7-15:旧陸奥宗光邸
台東区根岸2丁目10-12:ねぎし三平堂
台東区根岸2丁目5-11:子規庵
ということで、この3人にゆかりのある建物が東京都台東区根岸にあります。
いずれも私がご紹介するまでもない方々ですね。
[旧陸奥宗光邸]
明治時代に駐米行使や外務大臣を務めた陸奥宗光が1883年(明治16年)から4年間住んだ邸宅だそうです。
この邸宅は1888年(明治21年)に売却され、他の方の手に渡っています。
塀に掲示されている2017年3月付の説明書きには、「現在も…(その方の)ご子孫…のご家族がお住まいです」とあります。
蔦に覆われ、ベランダも傾いているなど、保存状態は決して良いとはいえません。
2023年5月時点でどなたかが住んでいるのかは不明です。
[ねぎし三平堂]
残念ながら、現在は「改装のため閉堂中」でした。
(先代)林家三平にまつわる品々が展示されているそうです。
子供のころ、大好きでした。
遅れて入ってきたお客さんがいると、
「あ、奥様、お待ちしてました。そろそろいらっしゃるんじゃないかって噂してたとこなんですよ。」とか。
「(客席の)ここからこっちを重点的に」とか。
よしこさんの歌、とか。
いつも後ろでアコーディオンを演奏していて、絶対に笑わないおじさんもおかしかったですね。
真打披露のときの志ん生の心温まる口上。
(動画サイトで「三平 志ん生」で検索すると出てくると思います)
それだけ期待されていたということでしょう。
その期待に大きく応えた芸人だったと思います。
[子規庵]
明治時代の俳人、歌人、正岡子規が1902年(明治35年)に亡くなるまでの8年間を過ごした家です。
何度かの解体、焼失を経た後、現在の形に復元されました。
「梅が香や根岸の里のわび住居」
上五字に何を持ってきてもそれなりに聞ける句になる「根岸の里の侘びずまい」の元祖です。
・夕焼けや、根岸の里の侘び住まい
・疲れたな、根岸の里の侘び住まい
・インスタや、根岸の里の侘び住まい(ちょっと無理か…)
「妻よりは妾の多し門涼み」
なんて句も。