日々、思うこと。 | まさきせいの奇縁まんだらだら

まさきせいの奇縁まんだらだら

原因不明の「声が出ない症候群」に見舞われ、声の仕事ができない中で、人と出会い、本と出会い、言葉と出会い、不思議と出会い…

瀬戸内寂聴さんの『奇縁まんだら』というご本を真似て、私の「ご縁」を書いてみようと思います。

生きていると、やることがたくさんある。

私など一人暮らしなのに、毎日2~3食何かしら調理して、ほぼ毎日洗濯をする。

登販の白衣は、特に汚れるわけでもないけど、義務として洗うことになっている。

接客して、病原体がうつっているかもしれないので自分のためでもあるが、それなら店内のそこら中が雑菌だらけなので、あまり意味は無いように思う。

それでも、けじめとして、キレイに洗濯された白衣で臨むと新しい1日として、気が引き締まる。

白衣は、私にとって戦闘服なのだ。

まあ、洗うこと自体は洗濯機がやってくれるので、その間は別のことができるが、ほす手間はある。

以前、忙しいので洗濯乾燥機を買ったが、周囲が暑いし時間がかかる上うるさいので、結局タオル置き場になってしまった。

登販としてドラッグストアに行かない日は、家で仕事をしている。

自分の企画だから、終わりは無く、仕事は無くならない。

ずっと企画書などの文面を考えていると思考能力が落ちてくるので、アニメを見ながら食事をしたり、モノ探しゲームに集中したりする。

登販も、本業から見ると、趣味と実益を兼ねた素晴らしい息抜きだ。
身体を動かせるのもいい。

店頭では、登販の仕事に集中していないと、お客様の命に関わる可能性もあるので、こちらはこちらで気を抜けない。

趣味だからこそ、好きでいられる。

お金に換算したらヒド過ぎるし、パワハラのようなこともあるし、忙しくて劣悪とも言える状況だが、趣味としてなら能力を発揮できる、ありがたい職場だ。

おかげで、本業への不安を思い出すヒマも無い。

若い頃、飲んでる席である会社のオーナー社長が「自分はセックスとゴルフが好きだ」と言うので、誘われても困るし「男性はそういう方、多いんでしょうね」とか当たり障りなく応えたら、

「仕事を忘れていられるからね」とマジ答えされた。

まあ、「だから?」と思ったけど、「ふんふん」とこちらもマジに頷いておいた。

誰にも、仕事を忘れるスベは必要ということだ。


長らく雑文を書かないと頭に何やらたまってくるので、息抜きでこうしてブログを書いたりする。

本当は、企画の作業を進めないといけないのだけど、頭がモヤモヤしていては、焦るばかりで進まない。

「創造する」ということは、いくら考えたって出ないものは出ないので、そのまま考えるのは時間のムダだ。

考えが下の方にあって、出てこられないのかもしれないし、頭を整理するのにも、文章を書くというのは有効だ。

まあ、そんなこんな、なかなかこちらの更新もできず言い訳のようだが、近況報告も兼ねて書いている。

検証結果など、ちゃんと書ける時間がとれないので、スキマ時間にチョコチョコ書いていて、とりとめないけど、すみません。


それにしても、人間にはやることが多い。

誰しもそれぞれに抱えている仕事や事情はもちろん、まず生きるためのこと、快適に生活するためのこと、仕事上に必要な準備など、やることがたくさんある。

生きるため、生活のためというのは、動物にも共通している。

人間も動物なので、本来は動物としてやるべきことをやらないといけないのに、それをすっとばして人間ならではのことばかり優先して、まあそれで病気とかになるんだろう。

動物としてやるべきこととは、

・食べる
・眠る
・子孫を残す

という本能に刻まれた3大行動に次いで、

・身を整える
・生活空間を整える
・糧を得る
・娯楽に興じる(楽しむ)

なんてところだろうか。

私は子孫を残せないし、ペットとして去勢された動物たちも子孫を残せない。

私にとって「子孫」という項目は、種全体として将来の世代の為の何かを残す、ということでいいかなあと勝手に思っている。

「糧を得る」は、本能1の「食べる」の為に、野生の動物なら狩りをしたり横取りしたり、自身で獲物を探して得るわけだけど、

人間は普通の状態では、狩りや育てて収穫しても、だいたいお金に換えている。

技術、作品、情報などを売ったり、時間に換算してお金を得たりもする。

こうして仕事はお金に変換されて、糧になるということだ。

つまり、「糧を得る」=お金を稼ぐ=狩り=戦い、ってことだな。

何かを得る為には、他の誰かが得るはずだったものを横取りしているとも考えることができる。

みかんの木があって、私がその実を全部とれば、後から来た人は、もうとれない。
俳優の「役を得る」は、自分が役を得れば他の誰かは得られない。

どんな仕事でも、「仕事を得る」とはそういうことなのだろう。

ここには必ず争いがある。

それで、多くの人は何かしら争ったり戦ってばかりいるんだな。

きっと「糧を得る」ばかり優先してる人も多いよね。

私もそれで身体を壊したから、今はちゃんと反省して、動物としてやるべきことを優先したいと日々実践している。

・食べる
・眠る

元来ものぐさな私は、食べるのが面倒になったりするので、食べたいと思える料理が載っているレシピ本を買っては、それなり手間をかけて作っている。

2~3年内に両親(80over)と同居することになると思うので、その時の準備というか練習でもある。

おかげで顔がすっかりまん丸になってしまったが、幸いマスクで隠れるので、当分は食い道楽する予定だ。

朝が苦手な私は、夜めの生活にシフトして以来、とても快適に過ごせているように思う。

登販の仕事が終わってから深夜てっぺん頃に何か作って食べたりするからか、健康診断でイエロー信号が点っている項目があって、できるだけお酒は飲まないことにしたが、

何も食べないのは、なんだか機会を損してる気がしてしまう。

人生であと何回、好きに食べられるかと、誰かが計算していたが、いつ食べられなくなるか誰にもわからないので、食べられるうちは機会を逃さず、食べたいと思う。


・身を整える

2022年末、うちに迷い込んだ蠅のマッキーが常に身繕いしているのは、まさしく衝撃的だった。

「汚い」「不潔」の代名詞のような蠅さえも、わざわざいい匂いのするタオルの上に来て、丁寧に身繕いしている様は、「身を整える」ことは本来動物(動く生物という意味で)がもっている本能のひとつなんだって思い知らされた。

登販は、爪も短くしている。

1週間に一度は、爪の手入れに時間をかける。
手足20枚を、巻き爪防止のためにも、ヤスリで整える。

お化粧をして、髪もピシッと整えて、登販の白衣を着る。

もし登販パートをやってなかったら、きっと全くお化粧もしなくなって、オバサン街道まっしぐらの自信がある。

人に見られる場というのは、大切だ。

お客さまで、パジャマで来店される方が、案外にいらっしゃって、こちらは別に裸でなければ、なんでもかまわないのだけど、

ご本人が、文明人としてどうなのよ?と思ってしまう。

服を着替えることができるのは、人間の特権、それも文明人であることの証じゃないかと思うが、

彼らはそれを放棄しているとも言える。

面倒くさいが度を超せば、人間を放棄することになりかねない。

面倒くさくて、お化粧もしなくなって、身も飾らなければ、それこそオバサンってことかと思う。

「面倒くさい」こそ、アンチエイジングの最大の敵ってことだな。

やることが多くて、面倒くさいからといって、手抜きどころか、料理も着替えもしないというのは、預かっている身体を尊重しないということで、

目に見えない何かを、ボロボロとこぼしてしまってないか、心配だ。

蠅にも劣る所業では、神さまのご加護も得られそうにない。

健康なだけでなく、身繕いも大事だね。