ナレーションとナレーター | まさきせいの奇縁まんだらだら

まさきせいの奇縁まんだらだら

原因不明の「声が出ない症候群」に見舞われ、声の仕事ができない中で、人と出会い、本と出会い、言葉と出会い、不思議と出会い…

瀬戸内寂聴さんの『奇縁まんだら』というご本を真似て、私の「ご縁」を書いてみようと思います。

格安案件のナレーション募集があると、ナレーター声優界隈で噂になっているので、少し書いてみる。

案件は、日本語10分、宅録・編集して納品で、1本5百~1千円、募集サイトに出ているらしい。

ナレーターの私の感覚は、1本5万~10万。実際は、2万でもやらせていただくし、逆に10万では、その中からスタジオを頼む。

スタジオなら、マイクワークによって微妙なコントロールができる。ナレーションは耳で喋るから、歌と似ている。聞こえないで歌うと音痴になるよね。

1万でもいいんだけど、新人の仕事を奪うのはいけないので、3万が最低ラインかな。スタジオで、オンリー(映像無し)10分モノなら拘束1~2時間(原稿による)、なかなか良い時給ではないか?

私はストレートナレーションなので、だいたいこんな感じ。実際は、10分でも100分でも似たようなギャラだけど。

ただ今は、声が出なくなって宅録でも大差無いというか、耳は悪くなってないので、スタジオでは耳がノドに高度な技をやらそうとして、逆にうまく喋れなくなってしまったのね。

この症状は、普通には出る声が、脳からコントロールの指令が行くと、ノドが痙攣してしまう、というような感じ。7本指のピアニストの西川悟平さんのコンサートで、「ジストニア」という病名を聞いて、似ていると思って専門医に問い合わせたけど、治す手段が無いので、生活に支障が無いなら静観して、と診察してもらえなかった。

「職業ジストニア」と呼ばれてるこれは、すごくすごくすごく努力した人がなる症状で、努力し過ぎたことが原因の病気って、泣くに泣けない。

私は診断されてないから病名がついてないけど、それが病気だって知らなくて、ただ動かなくなったって悩んでる人が大勢いるんじゃないかな、と思う。

私は自分のノドの可能性を追求して、特訓し続けたんだ。

プロのナレーターって、日本語をただ喋るだけじゃ、ないんだよね。自分の理想の喋りを追求して、楽器である肉体を作り、鍛え上げる。

長時間、微妙なニュアンスを加味しつつ、間違えず喋り続ける体力と精神力。

目で文字を見て、即座に意味を理解し、文字を音に変換するための処理を行う。読み方、アクセント、意味に合わせたスピードコントロール、感情的ニュアンス、声のトーン、力加減を決めて、声帯へ指示を送る。

耳がそれらを監視して、外さないように全身を使って維持する。その間に、目は次の文字を見る。

私は、塾で教える為に分析してみたのだけど、プロのナレーターなら、自然にやっていることだよね。

文字を音声に変換するだけなら、できる人は多いから、自分もナレーションができる、って誰でも考えていいと思うけど、お金をもらうとなると、その分の価値が必要になってくる。

そこで、5百~1千円の案件を考えてみよう。

「文字を音声に変換する」

これはAIにできるんだが、人間の方が安上がりなので、求めがあるなら、やりたければやればいいと思う。誰でもできることだから、安い。

恐らく、日本語音声が求められているだけなのだと思う。日本人の日本語音声ならいいんじゃないかな。

人間がAIより高いなら、AIの仕事になる。ナレーターどころか、人間じゃなくてもできる仕事なので、いずれAI専門になる。

いや、もう5百~1千円の仕事などは、安いAIで作ってるのかも。日本人ならおかしい日本語わかるから、原稿判断するだけでいいんだし。

AIが5百円なら、人間も5百円。そのナレーションが5百円ってことなだけ。

じゃ、ナレーターは?

意味的には「語る人」だけど、職業でいう「ナレーター」はプロのみを指す。

プロって、お金を払って求められる立場だよね。

ま、つまり、うまかろうが下手くそだろうが、お金を払ってもいい、と思ってもらえれば、プロなわけだ。

だから、プロになること自体に、努力とか根性とか関係ない。

んじゃ、何だ?何が必要なんだろう。

そこはもう、魅力とか才能とか運とか、なんかそんなこと。

努力や根性って才能に含まれるんだと思うけど、お金出す方には関係無いよね。結果が良ければいいだけなんだ。

ただ、私は、個性的な魅力なんて持ち合わせていなかったから、とにかく声を磨いて、喋りの技術で認めてもらえるようになろうって思ったんだ。そうなるには、努力するしかなかった。

自分を高める努力って楽しいし、やれるようになっていく自分の成長もおもしろかった。

行き過ぎて、ナレーションに直接関係無い、一人宝塚とか一人EXILEとか、一人で同時に何役を演じわけられるかなど、声優カムバックも目論見つつ、あわよくばLIVE目指して特訓した。

まあそれが原因なのかどうか、声が出せなくなってしまったのだけど、でも今考えると、一人なんとかは置いといて、当時の私のナレーションはAIがやれるものだったんだよね。

私は、究極のナレーションを目指して、AIに近づこうと努力していたのかもしれない。
私の喋りは、「機械のように、早く正確な収録」が売りだったから。

逆に、声をダメにして、なぜかできるようになった「おばあさん語り」や年齢感ある喋りこそ、AIにはできない、人間にしかできない表現なんじゃないかって気づいたんだ。

近い将来、ストレート系ナレーションはAIの仕事になる。

だから、これからのナレーターがやるべきことは、人間にしかできない表現を会得することなんじゃないのかな。

AIにできることは、5百円しか値が付かない。

だけど、人間でなければできないことは、これからどんどん値上がりすると思う。

その人でなければならないことは、さらに貴重だね。

そんなナレーターに、私はなりたい。

でも、おばあさん喋りの仕事は無さそうだから、自分で作ることにしたんだ。

とことん追求した末に、いや暁と言おう、神様が与えてくれた能力と信じて、そしてそれを実現するために考えた事業企画が、思わぬ大きなことになって、今は動かされてる感でいっぱいだけど、自分を信じてがんばるよ。

これから、メディアとマーケットを作るから、みんなに利用して欲しい。

みんなが自分で、自分の喋りを売れるマーケットに発展すればいいなと思う。

だからみんな、その時に備えて、AIにはできない喋りをモノにしてください。

AIができることは、私だって、みんなに頼まないからね~