最初に結婚したいと思った人は、若かったこともあって「自分にそんな重責を背負わさないで欲しい」と言われ、ひとまずあきらめたら、しばらくして友人と結婚していた。
次に結婚したいと思った人は、F-ニッポンのレーサーで、つきあった当時、離婚調停中だったのだけど、気づいたら私が紹介した後輩と結婚していた。
今度こそ、と思った人は、京都の青年実業家(当時30才くらい)だったのだけど、東京に進出するのをきっかけに同棲を始めたら、妻子持ちを告白され、大泣きしながら追い出した。
「きっと私は、結婚できない運命なんだ、仕事に生きよう」
それで会社を作った。車の免許を取る程度の覚悟だった。
それに、妻子持ちがよく相談に乗ってもらうという霊能者のおじいさんに、寒い冬の京都まで出向いて私も見てもらったところ、
「あんたさんは男やったら政治家なって天下とったかもしれへんなあ、でも女やから政治には向かへん、会社をやったらええ」
とかなんとか言われていたこともあった。
「結婚はできない」とも言われた。
ついでに「コーヒーが好きや思うが、顔が黒~なるから、緑茶にしなさい」コーヒー好きは当たっていて、1日4~5杯飲んでいたので、別に顔は黒くなかったと思うけど、それからコーヒーは1~2杯、緑茶も採用して、今に至る。
その妻子持ちは、自称「不動明王の生まれ変わり」と言ってはばからなかった。
当時の私は、不動明王ってなんだ?というレベル。
神社だかお寺だかの入り口の両脇に立ってるデカイ像の片っぽ、だそうで、なんでそんな家来みたいな人?どうせなら、もっとエライ神さまにすればいいのに・・・とか思っていた。
まあでも、思うのは自由だから、特に気にしなかった。現実の彼は人間だろうし。
知り合った頃の話だ。夏も終わりのある日、私たちは滋賀県の琵琶湖にクルーザーを出した。彼所有のバブリーアイテムで、彼自身が走らせて楽しむ為の5人とか7人とか乗りのそんな船だっと思う。
なんとその日は、台風だった。見事な晴天で気づかなかったんだ。全く、バカモノにも程があるけど、当時は天気予報を、全く気にしていなかった。
二人だけで、湖の中程を調子よく走らせていたら、辺りがどんどん暗くなり、一瞬にして、横殴りの雨。湖面は海の荒波ほどになって、小さな船は水面の葉っぱのごとし。
ここで死ぬかなあ~と考えたけど、死にそうな気はしなかった。
後から、「湖やからワシでもなんとかなったけど、海やったら全く太刀打ちできへんかったわ。台風はアカンなあ」と言っていた。
「ほんでも、やばかったわ、恐い思いさせて、スマンかったな」と言われた。
大嵐の中、安心させようと笑いながら、けど波を読む時は真剣な目になって、船のハンドルを操作する、たくましい男に、惚れない女はいないだろう。
男だって惚れちゃって、会社には彼についていきたい老若の男衆がたくさんいた。
と、なんとなくきな臭い匂いをかぎとった敏感な方もいるかもしれない。そう、モンモンと杯を交わした経験もあるという、かつてのやんちゃ坊で、オヤジさんアニさん方の名刺を持っていた。
私に見せたのは、私に深入りさせないようにするためだったのかもしれないけど、私は逆に興味を持ってしまったのだった。モンモンの姐さんかあ・・・なんて、脳天気にも。
ナレコンの時、彼氏の実家が、やけにお葬式が多いし、車(外車)のナンバーが車の型名と同じで、おかしいなあと思ってたら、モンモン長の息子だったのよ・・・なんて人もいたので、私が出会っても、奇遇とは思わなかったんだ。
そういえば、今思い出したけど、東京に来て、近所の本屋でバイトしてて、声かけてくれた芸能関係の人が、西方面モンモン影の実力者の孫娘、とかって人で、実家がイヤで東京に出てきたとかなんとか、で、私は彼女から、芸能界について、いろんなことを教わったんだった。
すっかり忘れてたけど、知り合いのプロカメラマン(たぶん有名)に写真を撮っていただいたりして、彼女がいなかったら、応募する写真も無くて、事務所にも所属してなくて、モーニングショーも何も無かったかもしれないって、今気づいた・・・
普通にサラリーマンと結婚して、お子さんも生まれ、一度だけご家族でイベント会場に遊びに来てくれたけど、それっきり。そろそろもう、おばあちゃんかな?きっと、相当にきっぷのいいバアチャンだな。
そういや、ナレコン最初の頃、2回通ってやめてしまったアナウンスアカデミーの同じクラスに、モンモンに就職する名門大学生がいて、幹部として、モンモン衆の前で喋ることになるから、ナメられないようにと、喋りの勉強をしにきていた。モンモンも大変だなあと思った。
話が逸れました。京都の彼は、オヤジさんから「入れモン禁止」「まっとうにいけ」とニューモンを許されず、気づいたら30才で自社ビルが建ち、押しも押されぬ実業家になっていた。
業務内容を書くと推測できるかもなので、書かないけど、彼のアイデアから始まって(日本で最初じゃないとは思うけど)、たぶん誰もが利用したことのある健全なサービス業が発端だ。
やんちゃ坊だった時の話。普通の高校をクビになり、定時制高校も、校舎に火をつけて、4日ほどでクビになった、16、7の頃。
真夜中、バイクのゼロヨンで、事故ったそうな。ゼロヨンとは、止まってる状態から走り出し、400メートル地点に誰が早く着くかを競うレース。たいがい、サシ(2人)勝負で、いわゆる違法な度胸試し。
彼は事故って、空中に大きく跳ね上げられた。飛んでる最中、スローモーションになって、「ああ、ワシ死ぬんやな」と思ったそうな。そしたら周りに、半透明の人が大勢集まってきて、自分を取り囲んだんだと。で、
「オマエはまだ死んだらアカン」
そう言われて、ふわっと地面に降ろされた・・・
バイクは全損、だけど身体はかすり傷。
これがきっかけで、先祖と神仏を信じるようになって、先祖のためにも、自分はこのままやったらアカン、と思って、オヤジさんを頼って、そうして今の自分がある、と言っていた。
はてさて、今も会社があるかどうか、彼が生きているかどうかも知らない。全ては過ぎたこと。
この人がきっかけで、私は神仏の世界を知るようなる。
神仏の世界は、ファンタジーのようで、知れば知るほどおもしろく、いわゆる宗教とは関係無く、私は神さま仏さまについて、どんどん詳しくなっていった。夢がベースの小説にも、神仏の要素が加わっていく。
この話はまた後の回へ譲る。
その後、私は、結婚して離婚した。
シャーリーのアウトオンアリムにあったからついでに書くと、私も離婚してから、政治家とつきあったことがある。シャーリーと違って、独身同士でなんの問題もなかったのだけど、相手が立場上隠れてこそこそしないといけない、というので、アホくさくなってやめた。歳も近いいい歳同士で、スキャンダルもないだろう、と思ったけど、黙っておいた。
26才、京都の妻子持ちとは、ひょんなことから住む場所を無くしてしまい、知り合いの表参道の店の二階倉庫に、私の荷物を持ち込んで、しばらく隠れ住んでいた。お風呂は近所の銭湯で、このサバイバル生活は相当に楽しかった。
お金じゃなかった。バブルが崩壊して、会社が傾き始めていた頃で、倒産すれば私が養ってもいい、くらいに思ってた。
結婚て、なんだろうなあ、と思う。
!注意!:もんもんには、絶対に近づかないでください。
と、前に、もんもんちの子が言ってました。
この人も、もんもんの家に生まれて、逃げ回ってました。
この人も、もんもんの家に生まれて、逃げ回ってました。
私にも、もちろん、もんもんの知り合いは一人もいません。
いい人間でも、いいもんもんでは、ありません。
追伸:以前から、広く浅い友人関係が苦手だったけど、今年、メールでオーディオ年賀状を送ったら、以前だったら一言くらいは返信くれてた人が、全くの音沙汰無しだったり、LINEのグループから外されたりなんかして、これからさらに、限定されていくんだろうな(笑)
でも本当は、その人たちに届けないといけないんだね。
策を練るよ。