UFOとか超能力とか | まさきせいの奇縁まんだらだら

まさきせいの奇縁まんだらだら

原因不明の「声が出ない症候群」に見舞われ、声の仕事ができない中で、人と出会い、本と出会い、言葉と出会い、不思議と出会い…

瀬戸内寂聴さんの『奇縁まんだら』というご本を真似て、私の「ご縁」を書いてみようと思います。

日芸映画学科の監督コースの先輩、たっちゃんの卒制『ナイトシェード』というゾンビ映画に、一番目にゾンビになる役で出ることになって、撮影チームに参加した。
 
このチームが、超常の世界を、私にとってずいぶんとあたりまえのものにしたと思う。
 
藤枝にロケ合宿してた時のこと。あまりにヒマで、海に行きたいとか言い出した私を、私の彼氏役で二番目にゾンビになるシンさんという先輩が、
 
「それならUFOを見に行こう」
 
と、ヒマなメンツを集めて、富士山の三合目だかにある、UFO観測所?に連れて行ってくれた。
 
シンさんは、UFOが呼べるという人が知り合いにいて、何度もUFOに遭遇している。その日は呼べる人はいなかったけど、話のタネに行ってみよう、ということだった。
 
UFO観測所?は、白木で組まれたお寺の鐘撞き堂というか、五重塔の一重版というか、なんかそんな建物だったと思う。赤塚不二夫さんとかが建てたとかなんとか言っていた気がする。日本では公式の観測所なんだそうな。
 
車から降り、観測所の横で、みんなで手を繋ぎ輪になって、マントラナントラ、とか唱えて、しばらく待った。
 
UFOは来なかった。
 
「ほら、あれがUFO雲だよ」
 
と、なぐさめてくれたけど、別に普通の雲にしか見えなかった。
 
それからしばらくして、シンさん達はUFOが呼べる人を中心に、テレビ東京の番組で、ペルー(日本じゃなかったと思う)だかに行った。
 
ところで、ゾンビ映画の撮影中、全く関係ないのにシンさんの知り合いというだけで、ちゃっかり遊び参加してる人がいた。当時モデルをやっていて、風間トオルさんみたいなイケメンだったけど、相当にチャラかった。
 
その人も富士山に一緒に行って、「UFOなんて、いね~よ」と行く前も後もだるそうに言っていた。信じてないなら行かなきゃいいのに、と思ったけど、一応「だよね~出なかったね~」と相づちを打っておいた。
 
その人も、ペルーに同行していた。なんで?と聞いたら、こういうヤツが見た方が、真実みが増すだろう?ということだった。
 
全く、その通りだった。
 
帰ってきて、そのチャラ男が、見た話を熱心にしてくれるのだけど、全く要領を得ないその話より、
 
「でもさ、俺が言うんだから、信じられるでしょ」
 
というのに、私はそれだけで、確かに、と頷いた。
 
どうも、すごかったらしい。
残念なことに、カメラには全く映らなくて、番組でもUFOの映像は無しだったと思う。
でも、本当に、すごかった、と言っていた。
 
私は、信じた。
 
UFOが出なかった富士山の帰り、偶然、シンさんの知り合いと遭遇した。なぜかその辺を歩いていたんだ。黄金のオーラを持つ男、と紹介されたけど、私には、ただの地味なオジサンにしか見えなかった。
 
それから、「オーラが何色か診断」が流行ったけど、私は一度も誰からも診断してもらえなかった。ちなみに、江原啓之さんのオーラ本の診断では、私も金のオーラ、ということになっている・・・
 
また、このチームでは、超能力も流行した。みんながスプーンを曲げだしたのだ。
 
いきなりなんだ?と思っていたら、超能力少年として有名だった清田益章さん(キヨタくん)とシンさんが知り合いで、シンさんの結婚式の二次会に、大人になったキヨタくんが招かれていて、フォーク曲げを披露してくれた。
 
確か、4本フォークの中2本がくるりんとハートの形になり、外2本がチューリップの葉っぱみたいに開いていた。
 
とても美しいハートだった。一瞬のことで、全くわからなかったけど、手品なんかじゃないと、今も信じてる。
 
キヨタくんの逸話をたくさん聞いた。時間を超えたとか、火星に行ったとか、ホントの証明も難しいだろうけど、ウソの証明も難しいだろう。私は、へえ、そんなこともあるんだね~と、全て肯定的に受け入れた。
 
とにかく、映画チームだけでなく、たっちゃんと一緒のバンドメンバーまで、どんどこスプーンを曲げるんだ。当時のファミレスは、相当迷惑だったよね。ごめんなさい。
 
私は、というと、そんな中にいながら、全くの1本も、曲がらなかった。
私には、念力系(サイコキネシス)の才能は無かったんだ。
 
でも実は、私は、読心術がちょっとだけできた。子どものころで、気づいたのはもう中学生になってからで、イマイチ鈍くなっていたけど、人の考えを読むのはうまかった。
 
勘の良い子ども、ってレベルだけどね。
 
高校の時、友達が誕生日のプレゼントをもらったとかで、包装されたまま、学校に持ってきていた。
 
「な~んだ?」と当てっこになって、私は何気に「ダイナマイト」と言ったら、当たっていた。正解は、ダイナマイトの形のシャンプーリンス(だったと思う)。
 
「精霊」のイタズラに違いない。

 
先日、創刊40周年記念『ムー展』のチケットを最終日直前にいただき、ひとりで最終日に行ったら、「ユリ・ゲラーサイン入りスプーン」が展示されていて、懐かしかった。私も当時、よくテレビで見ていた。
子どものころ、みんな、ちょっとは期待したと思う。自分はもしかして超能力者で、これをきっかけに能力が・・・的な。私も期待して、スプーンも時計も用意した。
 
けど、スプーンも時計も、すん、とすら反応しなかった。やっぱり私は、ただの人間だったと、毎度密かにがっかりしたもんだ。
 
今、こんなブログを書いているけど、今もって、何の念動力も無い。(さっき試したけど、やっぱりスプーンは曲がらなかった)
 
でも、活躍しそうな人は、活躍しそうオーラが、なんとなく見える。けっこう当たってたでしょ?
 
会場に、40周年に向けた、縁(ゆかり)の著名人の寄せ書き壁があって、キヨタくんを見つけて、健在でうれしかった。親しかった訳じゃないけど、心配はしてたんだ。
 
ムー展のことは、チケットをいただくまで知らなかった。布石だったのかな・・・

 
昨日、思い出したのだけど、当時、シンさんは自宅の留守電案内に、「今日のUFO状況」みたいなのを入れていて、「最近、無言電話が多いと思ったら、留守電の案内聞いてるみたいなんだよね~」と、うれしそうに嘆いていた。
 
多い時には、1日数十件とか言ってたと思う。今ならブログやツイッターで、きっとすごいアクセス数だね。

 
藤枝合宿中、たっちゃんと二人で藤枝の駅前を歩いていたら、後ろから「ねえねえ彼女たち~」と声をかけられたことがあった。
 
たっちゃんは、当時、軽音学部で(ちなみに、シンさんは元部長で宝塚ファン)、今も昔も男性ギタリストで、前から見れば間違える人はいない、ごつい系の顔だけど、当時、腰あたりまである茶髪のソバージュで、私とオソロだった。
 
身長が165センチくらいで、上半身は髪で隠れているから、後ろからは華奢なスリムジーンズの足しか見えなかったわけで、
 
私は吹き出しそうになるのをこらえて、「ばれたら、ヤバイよ」「うん、夢を壊す・・・」で、二人でいっせいに走って逃げた。
 
笑えるエピソード満載だったな。
 
ありがとう、たっちゃん!