万葉集から


時に臨んで作る歌



月草に 衣そ染むる 君がため

綵色の衣 摺らむと思ひて


「綵色(まだら)」は、美しい彩りのある模様の


つきくさに ころもそしむる きみがため

まだらのころも すらむとおもひて


月草で衣を染める、君のため、彩りある衣を摺ろうと思う


別の詠みをすれば


「つきくさに」は「付き来さに」

「ころもそしむる」は「頃も其し群る」

「きみがため」は「季、身が溜め」

「まだらのころも」は「ま垂らの頃も」

「すらむとおもひて」は「擦らむと面火で」


毛虫が垂れる頃、顔に付いて、火脹れになった



春霞 井の上ゆ直に 道はあれど

君に逢はむと たもとほり来も


はるがすみ ゐのへゆただに みちはあれど

きみにあはむと たもとほりくも


春霞、泉の上に行く道はあるが、君に逢おうと、君の近くを通り来た


別の詠みをすれば


「はるがすみ」は「張る霞み」

「ゐのへゆただに」は「井の上ゆ直に」

「みちはあれど」は「満ちはあれど」

「きみにあはむと」は「君に会はむと」

「たもとほりくも」は「たもと掘りくも」


二句は、「居の上」だから、歌の冠を詠めば

「たきみゐは」から

「滝、み井は」となる


つまり、

滝が泉の真上から注いでいる景色なのだ



道の辺の 草深百合の 花咲に

咲まひしからに 妻といふべしや


みちのへの くさふかゆりの はなゑみに

ゑまひしからに つまといふべしや


道の傍の草が深く百合の花が咲き、そのように笑っていたから、妻と呼ばれるのでしょうか


別の詠みをすれば


「みちのへの」

「くさふかゆりの」

「はなゑみに」

「ゑまひしからに」

「つまといふべしや」


この歌に道を通せば

「のふゑひと」は「延び咲ひ処」


「みち□への」は「道辺の」

「くさ□かゆりの」は「草か百合の」

「はな□みに」は「花見に」

「ゑま□しからに」は「咲ましからに」

「つま□いふべしや」は「端言ふべしや」


道の「辺(ほとり、へ)」に、

咲く百合の花だから

「端(はし、つま)」と呼ぶ


「辺」と「端」の意味が似ていることからの言葉遊び



黙然あらじと 言の慰に いふ言を

聞き知れらくは すくなかはありく


もだあらじと ことのなぐさに いふことを

ききしれらくは すくなかはありく


黙らずに慰めの言葉を言うことを、聞き知るのは少ない


この歌の句の始まりは

「もだ」は「黙」

「こと」は「言」

「いふ」は「言ふ」

「きき」は「聞き」

「つら」は「面」

縁語で構成されている


別の詠みをすれば


「もだあらじと」

「ことのなぐさに」

「いふことを」

「ききしれらくは」

「すくなかはありく」


二句は「「ことの」無くさに」

「もだあらじ□」は「黙あらじ」、黙らずに

「□□□なぐさに」は「慰に」、心を晴らすに

「いふ□□を」は「言ふを」、言うのは

「ききしれらくは」は「義儀知れらくは」、守るべき道と物事の成り行き知るに

「すくなかはありく」は「少ないかはありく」、少ない


黙らずに、心を晴らすに言うのは、義と儀を知るに少ないことだ

(黙らずに鬱憤を晴らすために話をしても、義と儀はなかなか得られない)


達磨大師が九年、壁に向かって座禅をしたとする伝説を踏まえて詠んでいるように思える



佐伯山 卯の花持ちし 愛しきが

子をしとりてば 花は散るとも


さへきやま うのはなもちし かなしきが

こをしとりてば はなはちるとも


佐伯山は卯の花を持ち愛おしいか、子が手に取れば花は散る


別の詠みをすれば


「さへきやま」

「うのはなもちし」

「かなしきが」

「こをしとりてば」

「はなはちるとも」


五五の「「はな」は散るとも」なので

「は」「な」は散る


「さへきやま」は「さ上来や間」

「うの□□もちし」は「兎の餅し」

「かなしきが」は「愛しきが」

「こをしとりて□」は「期をし取りて」

「□□□ちるとも」は「散るとも」


「期限(ご)」は、死ぬ時


月の兎は、死んで月に住むようになったという伝説から詠んだ歌



時じくの 斑の衣 着欲しきか

島の榛原 時にあらぬとも


ときじくの まだらのころも きほしきか

しまのはりはら ときにあらぬとも


いつも変わらない斑に染めた衣を着たい、島の榛原の時にはあらずとも


「榛」は、実と樹皮が染料になる


別の詠みをすれば


「ときじくの」

「まだらのころも」

「きほしきか」

「しまのはりはら」

「ときにあらぬとも」


五句の「「ときは」在らぬとも」から

「と」「き」「は」を


「□□じくの」は「四苦の」

「まだらのころも」は「斑の頃も」

「きほし□か」は「気欲しか」

「しまの□り□ら」は「為間の理ら」

「□□にあらぬとも」は「に在らぬとも」


「四苦」は、生苦、老苦、病苦、死苦


年を取り、老苦や病苦が斑に現れる頃は、気力が欲しい理屈に合わなくても



山守の 里辺に通ふ 山道そ

繁くなりける 忘れけらしも


やまもりの さとへにかよふ やまみちそ

しげくなりける わすれけらしも


山の番人は麓に通う山道を、草木が繁り、忘れてしまったらしい


別の詠みをすれば


「やまもりの」

「さとへにかよふ」

「やまみちそ」

「しげくなりける」

「わすれけらしも」


歌の沓冠は「やのさふやそしるわも」から

「夜の障ふ八十知る輪も」


夜が道を妨げる、何度も堂々巡りをしてしまう



あしひきの 山つばき咲く 八峯越え

鹿待つ君の 斎ひ嬬かも


あしひきの やまつばきさく やつをこえ

しかまつきみの いはひつまかも


あしひきの山椿が咲く、山々を越えて鹿が待つ君の慎む妻


別の詠みをすれば


「あしひきの」

「やまつばきさく」

「やつをこえ」

「しかまつきみの」

「いはひつまかも」


二句を「「やまくばき」割く」と解釈し
「や」「ま」「つ」「は」「き」を取る

「あしひ□の」は「馬酔木の」

「□□□□□さく」は「柵」

「□□をこえ」は「を越え」

「しか□□□みの」は「其神の」

「いはひ□□かも」は「斎ひかも」


神聖な場所に立ち入り、神を祀ったのだ



暁と 夜鳥鳴けど この山上の

木末の上は いまだ静けし


あかときと よがらすなけど このみねの

こぬれのうへは いまだしづけし


暁だと夜烏が鳴くけど、この山の上の梢の上は未だに静かだ


別の詠みをすれば


「あかときと」は「吾が時と」

「よがらすなけど」は「夜がらす泣けど」

「このみねの」は「子の身寝の」

「こぬれのうへは」は「子濡れの上は」

「いまだしづけし」は「未だ静けし」


子は未だ生まれない


西の市に ただ独り出でて 眼並べず

買ひにし絹の 商じこりかも


にしのいちに ただひとりいでて めならべず

かひにしきぬの あきなじこりかも


西の市に独りで出かけ見比べもせずに買った絹に、懲りた


別の詠みをすれば


「にしのいちに」は「「西」の「一」に」

「ただひとりいでて」は「ただ一り出でて」だから、「西」と「一」を合わせて「酉」

「めならべず」は「「目」並べず」だから「目」

「かひにしきぬの」は「交ひにし来ぬの」、替えはない

「あきなじこりかも」は「明き無し凝りかも」、目が凝っているのかも


鳥目(夜盲症)のことを詠んでいる


「鳥目(とりめ)」は、夜に目が見え難くなること



今年行く 新島守が 麻衣

肩の紕は 誰か取り見む


「紕(まよひ)」は、毛織物、綻び、間違い、縁の飾り


ことしゆく にひしまもりが あさころも

かたのまよひは たれかとりみむ


今年行く新島守が麻の衣の肩の綻びは誰が取り繕うのだろう


別の詠みをすれば


「ことしゆく」は「今年行く」なら「新年」

「にひしまもりが」は「新し間漏りが」なら大晦日を過ぎて

「あさころも」は「吾然頃も」なら、その頃の

「かたのまよひは」は「形の迷ひは」なら、煩悩

「たれかとりみむ」は「誰が取り見む」


大晦日の除夜の鐘は、寺院の梵鐘を撞くことで、邪気を祓う


それとも

「あさころも」は「朝頃も」なら、その朝の頃の

「かたのまよひは」は「形の真よ日は」なら、朝日

「たれかとりみむ」は「誰が取り見む」


元旦の初日の出を見ること



大船を 荒海に漕ぎ出 弥船たけ

わが見し子らが 目見は著しも


おほふねを あるみにこぎで やふねたけ

わがみしこらが まみはしるしも


大船で荒海に漕ぎ出し会った、多くの船のありったけ、私が見た子は眼差しがはっきりしている


別の詠みをすれば


「おほふねを」は「覆ふ根を」

「あるみにこぎで」は「ある見に扱ぎて」

「やふねたけ」は「藪ね竹」

「わがみしこらが」は「わが見し子らは」

「まみはしるしも」は「ま身は著しも」


筍を採っている