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聖子、サイコーッ!
イチッ、ニイッ、サンッ、ダアーッッ!!

お元気ですかっっ!!

 

旧年中は大変お世話になりました。

最高の年末でしたね。

 

おおっと、これは年末にゲットしたBDだ。うひょー(^^)

 

この度の大晦日はこっちですね↓

 

 

聖子、スゲエよっ!

 

はい、改めて新年のお慶びを申し上げます。

スタートは昨年の正月記事と同じく、この動画から(^^)v

 

 

最初の曲の『ハッピー・ニュー・イヤー』も素晴らしいですけど、6分55秒~の『お正月』歌唱も最高ですねえ。

 

昨年同様、元旦のブログ実績を開示↓

 

 

聖子さんや猪木さんの事さえ書いておけばこんな感じになります(^^)v

にしても、昨年正月の記事が今読まれているのはなぜ???

 

 

↑その正月記事でも紹介させて頂いたローラン・ボック

 
 

新春のお祝いを申し上げた後に取り上げるべきではないのかも知れませんが、昨年末にお亡くなりになったとのことです。

 

 

当時の鶴田さんがプロレスラーとして一流だったかどうかはともかくとして、彼のボック評はプロレスラー(職業レスラー?)視点で言えば、真っ当なものでしょうね。ボックに対する評価は様々でしょうが、当時の猪木と交わったことで伝説のレスラーになりました。

『冥福を祈る』的な言葉は不要でしょうかね。

 

私が記者ならカバー写真はこれっ↓

 

以前も紹介しましたが、ジャーマンスープレックスで投げつけられながらも、そのまま腕を取ってアームロック。しかも、相手が前転して逃げられないように自分の左足でボックの左足を即座にロック。本当に恐るべきは猪木です。

 

 

 

とにもかくにも、聖なる子と書いて聖子。

聖子さんがかつて降臨した地を訪ねる聖地巡礼シリーズ。

 

前回、年の瀬にやり残した巡礼を敢行すべく尼崎へ向かいました。

私としては、もっと重要なやり残し巡礼があったのです。

それは、飛鳥巡礼を行った際、新たに発掘された未知の聖地。

 

 

 

下段に『去年(1981年)の橿原体育館のコンサートに続いて二年連続』との記載がありました。

聖子さんの当時のスケジュールを見る限り『橿原』の文字は一切無く、えらく驚いたわけです。

昨今、オールドメディアに対する風当たりが強いですが、新聞という媒体は真実こそ伝えなくとも事実は伝えているという認識を持っております。

何かしらのショーのようなものが行われた可能性は高いのではないかと。

 

そもそも橿原って聞いたことこそありますが、“古都”というぼんやりした印象があるだけで、それ以外の知識は皆無。読み方が“かしはら”だと知ったのも大人になってからのような・・・

 

そのような決してメジャーとは言えない都市が、聖子さんの奈良県初降臨の場所に選ばれたのはなぜか?

 

橿原をネット検索すると、なるほど、神武天皇が八咫烏に導かれた“東征”後に初代天皇として即位した由緒ある場所だったわけですか。時は西暦で言うところの紀元前660年。皇紀元年です。

 

 

今更ですけど、ショッカーの紋章って、八咫烏がモチーフなんでしょうね(笑)

 

藤原京が築かれていたのも橿原の地だったんですねえ。

飛鳥地方の辺かなあぐらいの知識しか持っておりませんでした。

私は学校で一体何を学んできたのでしょうか。

 

 

改めて教科書を読み返しましたが、橿原どころか“神武天皇”というワードも一切載っていませんでした。『古事記』『日本書紀』に出てくる伝説上の存在という扱いでしょうかね。

伝説つながりで言えば、世界最古の宗教と言われるゾロアスター教の宗祖・ゾロアスター。この方も起源前7世紀ぐらいの人物。同時代を生きたのでしょうか?

 

↑教科書に記載はありませんでしたが、資料集には3行ほど。

 

あれっ、ゾロアスターの紋章もちょっと似た感じ?

 

ゾロアスターはもっと昔の人という説もありますね。とはいえ、こちらは歴史上実在の人物と認知されています。

神武天皇も天照大神の子孫なんてことにすると伝説上の存在にならざるを得ないのでしょうが、実在したんじゃないでしょうかねえ。

 

さすがに藤原京については教科書に載ってたんですね。

憶えてないなあ。

 

あ、いやいや、そんな古代の伝承より聖子さんですよっ。

聖子さんが一体1981年のいつ、橿原のどこに降臨して、そのときの様子はどうだったのかって話です。

しかし、この橿原体育館が具体的にどの体育館なのかすら、分かりません。

ネット検索すると、橿原市の様々な体育館が出てきますが、『橿原体育館』という名前の体育館は出てこないのです。

橿原市中央体育館のことなのか、橿原公苑内にある第一体育館のことなのか、あるいは伝説上の体育館なのか?(笑)

現存していない可能性もありますよね。

 

私、現存しない体育館の探し方を過去の巡礼で学んでおります。

 

 

このとき、たまたま目にしたバス停が『九電体育館前』でした。現存していない体育館がバス停にその名を残しているという・・・。地名って、過去の記憶を留めていることがありますね。

『橿原体育館 バス停』で検索すると・・・

 

ガーハッハッハ!

 

目星はつきました(^^)v

 

さあ、いざ行かんっ!

前回の尼崎巡礼の続き(同日午後)となります。

 

 

まずはムセイオン尼崎から阪神尼崎駅に舞い戻り

 

 

パパッとランチを済ませ、電車で約1時間半。

 

 

橿原の地へ。

更に乗り換えて。

 

 

畝傍御陵前駅。畝傍御陵はウネビゴリョウと読むようです。

ここから南西へ徒歩10分。

 

ズームインッ!

 ↓

目的地のバス停に徒歩で到着(^^;)

この体育館、現存しているのか!?

 

 

 

 

ジェイテクトアリーナ奈良!

 

真の名が橿原公苑・第一体育館、通り名が『橿原体育館』だったということでしょうね。

聖子降臨情報含め、事務室で訊いてみますかっ(^^)

 

頼もーっっ!!

 

体育館内に乗り込もうした私でしたが、入口にいらした女性が私を制して告げたのは

 

「すみませ~ん、今日は合同就職セミナーで関係以外は入れません。」

 

あらら(+o+)

 

やむなく退散。

 

フロアはこんな感じみたいです(奈良県公式HPより)

 

1966年竣工。ということは築59年!?

1981年当時のことは分かりませんが、現在のキャパは1階2,700人(移動席)、2階1,680人(固定席)の計4,380人とのこと。

聖子さんなら十分集客可能でしょうが、当時のコンサート会場としてはいささかキャパが大きいような気もしますね。

 
この体育館は、2031年開催予定の国スポに向けて建替予定で、2026~2027年に解体する計画だそうです。

巡礼、間に合いました(^^)v

 

せっかくですから古都・橿原の観光もしていきますか。

体育館の西側道路向かいに北参道入口。徒歩約10分で。

 

<橿原神宮>

 

 

 

北参道を引き返し、左折(北上)。徒歩約15分で。

 

<神武天皇陵>

 

神武天皇陵=畝傍御陵です。

墓だと思うと撮影は憚られる感じです。1枚だけ。

 

ホテルに戻る途中で『藤原京』を指し示す標識が・・・

気にはなりますが、40分近く歩かなきゃいけません(+o+)

まあ、グーグルマップには『藤原京跡コスモス花園』なんてことも書いてありますし、ちょっと寄って行きますか。

 

 

 

 

面積は平城京の3分の1とのことですが、広大ですねえ。

って、コスモスはどこよっ!?

季節じゃないってことでしょうかね(+o+)

 

天皇陵観光が祟ったわけでもないでしょうが、右足首が痛み出し、足を引きずりながらホテルへ徒歩30分。

 

 

 

なぜかストリートファイターの像が。

カプコン創業者が橿原出身なんだそうです。

えらい逞しい脚ですねえ(^^;)

 

万歩計は2万歩を超えクタクタです。そんなときの夕食はウナギですね。

周辺検索すると、近くの近鉄百貨店の中に発見。

と思って行ったら、鰻売場でした。

まあそこは百貨店。レストラン階へ行って

 

生き返ってホテルへ帰還(^^)v

 

※宣材写真です。

 

大浴場のあるホテルを選んだのですが、どうやら温泉ではなかったようです。足首への湯治効果は見込めませんかね・・・

あくまで個人的な感想ですが、冬場にしてはお湯がぬるく感じました(+o+)

 

何はともあれ、これで、奈良県の聖地もコンプリート(^^)v

と言いたいところですが、聖子さんは本当に橿原体育館に降臨されたのでしょうかねえ?

1981年のスケジュールに記載されていないのはなぜか?

実際に降臨されたのであればいつのことなのか?

通常会場の倍以上のキャパの体育館が使用されたのはなぜか?

そもそも、なぜ降臨地に橿原を選んだのか?

公式映像・音源の有無は?

このモヤモヤを払拭するにはムセイオンに行くしかありませんね。

そんなわけで、次回に続くかも知れませんよっ(^^)

お楽しみにっ!

 

 

最後は皆さん一緒にご唱和下さいっ!

 

 

聖子サイコーッッ!!

ダアアアッッッ!!!