お元気ですかっ!
このブログを支えて下さっているすべての方に感謝申し上げます。
この「公式ハッシュタグランキング(#新日本プロレス)」。私自身が驚くと同時に感謝は伝えねばと思って紹介してきましたが、ちょっとクドい感じがするので今回で最後にいたしますね(^^;)
奈保子&初代タイガーマスク。
これまた夢のあるタッグじゃないですか(^^)
新日本プロレスファンの皆さんにも感謝をこめて贈ります(笑)
さて、というわけで、前回に引き続き今回も奈保子さんです。
前回の記事にも少し書かせて頂きましたが、明菜さん登場までの聖子さんのライバルと言えば、やはり奈保子さんであったのであろうと。
ちょっと中途半端な表現になるのは私自身が当時の芸能界のことを知らないからなのですが…
もちろん、当人たちがお互いを『ライバル』と捉えていたかといいうと、そんなことはないのかも知れません。
あくまでファンを中心とした周囲の評価・判断ということになりますでしょうか。
1980年デビューの女性アイドルは大変な豊作状態で、聖子さんを筆頭に岩崎良美さん、河合奈保子さん、三原順子さん、柏原よしえさん、浜田朱里さん等、とても豪華な顔ぶれです。
従来、男性では御三家、新御三家、たのきんトリオ、女性では中3トリオなどと3人一括りで売り出す傾向があったのでしょうか?
80年デビューの女性アイドルにも同様の動きがありました。
スター千一夜には「聖子さん、奈保子さん、よしえさん」が3人組として水着で出演した回がありましたが見当たりませんね。
いずれの組み合わせにも聖子さんと奈保子さんの二人は不動です。
周囲が勝手にライバルとして認定するのであれば、何らかの指標は存在するのでしょうか。
レコード売上枚数?
ベストテン、トップテン等の歌番組でのランキング?
容貌や性格? これらは好みによるところが大きく、あまりに定性的です。
歌唱力も聴き手によって判断が分かれるところでしょう。そもそも当時は「アイドルは歌が下手」などという誤ったプロパガンダがはびこっていましたし。
ここはアイドル歌手らしく、アイドル雑誌での人気投票が落としどころとして一番よろしいのではなかろうかと(^^)
アイドル雑誌といえば、『明星』『平凡』に加えて『近代映画』ぐらいでしょうか。中でも『明星』の人気投票は『日本テレビ音楽祭』の『トップアイドル賞』に直結していましたのでご存知の方も多いのではないでしょうか。
<明星 1980年9月号(中間発表)>
<明星 1980年10月号(最終発表)>
ちなみに前年までは男性が郷ひろみさんが5連覇、女性は山口百恵さんが4連覇という状況でした。男女ともにこの1980年に大きな動きがあったということですね。
男性もそうですが、女性アイドルは80年組が既に大健闘。聖子さんが5位、順子さん6位、良美さん8位、奈保子さんが11位、朱里さん17位。
では『平凡』はどうか。
<平凡 1980年8月号(中間発表1)>
<平凡 1980年9月号(中間発表2)>
<平凡 1980年10月号(最終発表)>
『平凡』は集計期間が3カ月に亘ってたんですね。
ちょっと見づらいですけど、20位までの80年組は『明星』同様、聖子さん、順子さん、良美さん、奈保子さんの4名です。
『近代映画』もどうぞ
<近代映画 1981年1月号(中間発表)>
な、なんとっ。集計タイミングがずれているとはいえ、聖子、奈保子、順子の80年組3名が百恵さんを抑えてトップ3を独占っ!
おっ、今気づきましたが男性もたのきん3人がトップ3を独占ですか。
最終結果は?
<近代映画 1981年2月号(最終発表)>
おお、1980年度の人気投票1位は黄金コンビで着地ですか。
二人の写真、さわやかですねえ(^^)
百恵さんは引退したことでオミットされているようですね。
こうやってみると、雑誌によって時期が微妙に違っていて、そのことが結果にも表れていますね。
この後、まだ1983年まであります。
ご覧になる気力はありますか?(^^;)
ええ~い、乗りかかった船だ。
中間発表は端折って最終結果分だけ載せましょうかね。
<1981年度>
<明星 1981年10月号>
<平凡 1981年11月号>
<近代映画 1981年12月号(※中間発表)>
※最終結果は翌1982年1月号発表ですが、保有しておりません(+o+)
1位については後ほど紹介させて頂きます。
<1982年度>
<明星 1982年10月号>
<平凡>
『平凡』は1982年の人気投票は新人のみを対象として行っておりますので割愛。
<近代映画 1983年2月号>
<1983年度>
<明星 1983年10月号>
<平凡>
『平凡』は1983年は人気投票は実施しておりません。
<近代映画 1984年2月号>
『近代映画』については1981年度の最終結果掲載号である1982年1月号を保有していないのですが、この受賞対談で1981年度を含め3年連続で聖俊コンビが1位を独占していたことが記載されています。
というわけで、聖子さんがブレイク~初婚の期間は3誌すべてで1位を独占していたわけです。ただ、1981年度の『明星』では2位の奈保子さんとの票差は911票。『平凡』の票差は345票。『近代映画』は最終は不明ながら中間発表時点での票差は240票。いずれも僅差で、ほぼ同率1位状態です。
そして、実は…
<平凡 1981年10月号>
中間発表段階ながら、奈保子さんが1位です。この3誌の人気投票で聖子さんが他人の後塵を拝したのは、この時のみで、相手は奈保子さんであったと。
この頃は、少なくともアイドルとしての人気においては聖子さんと奈保子さんはがっぷり四つ状態だったのかなあとか。
1982年度は『平凡』の人気投票企画がありませんでしたが、『明星』では聖子さんと奈保子さんがツートップ状態であったことが分かります。そして1982年度末頃に明菜さんを中心とした82年組が躍進を始めたことも示されていますね。
なんとも冗長な記事になってしまいましたが、聖子&奈保子の人気検証をさせて頂いたつもりです(^^;)
最後に、私にかつて聖子さんの”幻の三次公演”情報をもたらして下さった先輩の言葉を。彼は実際に聖子さんの三次公演に参加したことを以前お伝えしました。
記事にも書いておりますが、彼は奈保子さんのファンだったわけですが、その彼の言葉はなかなか興味深いものだったので紹介いたします。そう、それは1980年代当時の奈保子さんの魅力について彼に尋ねたときのことです。
「奈保子さんの魅力は1番じゃないところ。」
芸能界という世界でガツガツと1番を目指すようなタイプでないことが魅力だったということでしょうか。
といったところで、今回は終わりです。
最後はもちろんこれ!
聖子&奈保子、サイコーッッッ!!!
ダアアアッッッッ!!!!
<追伸>
今日行ってきました。
最高でした(^^)v