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聖子、サイコーッ!
イチッ、ニイッ、サンッ、ダアーッッ!!

お元気ですかっっ!!

 

皆さん、聴かれましたでしょうか。

 

 

既に動画サイトにもあがっていますね。

ここはradikoを推奨する立場を取らせて頂きます(^^)v

 

私は広島在住なので聖子さんゲスト回を聴くためだけにプレミアム会員契約申込(^^)v

 

松任谷由実さんとの対談(?)は二人ならではの内容でしたね。

私的には、音楽について掘り下げる話も聞きたかったかなあ・・・

聖子さんは、45周年を迎えたことについて、これまで支えて下さったすべての方への感謝の気持ちを伝えていましたね。

もちろん作曲家、作詞家のような分かりやすい貢献をされた方もいらっしゃいますが、陰の功労者も数知れないでしょうね。

松任谷さんにお一人紹介して頂きましょう。

 

5分50秒~

「ねずみ男」呼ばわりされています(笑)

 

<若松宗男さん>

聖子さんをデビューに導いたソニーのディレクター。

 

 

このねずみ男・・・もとい若松Dはユーミンからの初めての提供曲『赤いスイートピー』について、『もう少しパ~ッと明るく盛り上げてほしい』というようなリクエストを出し修正してもらったという功績もあります。P.197に記載もされていますね。

 

この若松Dが、ミスセブンティーンコンテスト福岡大会のカセットテープ音源から、聖子さんの声を発掘したと言われています。

 

<コンテスト歌唱イメージ>

 

サイコー、こりゃたまらんっ!間違いなく優勝です(^^)

この聖子さんの声の良さに気付いたのは若松Dだけだったのでしょうか。そんなはずないですよね。コンテストの日に福岡市民会館にいた音楽関係者は気付いてたんじゃないですかね?

 

若松さんからも聖子さんの陰の功労者を紹介頂きましょう。

 

(作)編曲家・大村雅朗さん。

この方です。

 

この本、当然ながら聖子さんの話もたくさん出てきます。

私が一番印象に残ったのはこちら。

スイメモ収録時の様子を伝えて下さっています。

聖子さんのプロ意識の高さを表すエピソードですね。

そしてこの発言をされている鈴木さんとは・・・

 

チープ・トリックのライブ盤録音も結構ですが、聖子さんのライブ録音もしっかりしておいてほしかった(^^;)

 

鈴木さんといえば、この映像を見たことある方も多いのではないでしょうか。

 

みなさん、ことごとく聖子さんの声にヤラレているんですよねえ。

 

 

さて、聖なる子と書いて聖子。

聖子さんがかつて降臨した地を訪ねる聖地巡礼シリーズ。

 

 

今回も前回の続きで久留米編です。

 

<前回内容(途中からの要約)>

②1980/6/8(日)

 新曲キャンペーン(久留米)

 

・この日のイベントはKBCラジオの収録と認識していた。

・しかし客観的資料に基づいて判明したのは、ユニード久留米店屋上での『歌とサイン会』2回、及びレコード店でのキャンペーンが行われたということであった。

・とはいえ、6/8のKBC収録についても、そこに立ち会ったKBC・間島アナ本人の証言が伝承されており、その内容はリアリティーの高いものであった。

 

KBC収録が存在したのであれば、その実相はどのようなものであったか。

当然知りたくなりますよね。

 

やはりこのKBC収録の謎を探るには、あの男のことを調べるしかないっ🔥

 

 

KBC認定・世界アナウンスチャンピオン、キラー間島~っ!

 

 

<1981/1/27付 全国紙地方版>

私が唯一見つけることができた間島栄一アナの記事。

“キラー”とは程遠い雰囲気です(^^;)

1981年に46歳。ご存命であれば90歳前後・・・なのですが、既に鬼籍に入られています。改めてご冥福をお祈りいたします。

担当番組として『演歌番組』と『追い山』が紹介されています。

“追い山”についてはウィキをご参照下さい↓

 

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8D%9A%E5%A4%9A%E7%A5%87%E5%9C%92%E5%B1%B1%E7%AC%A0

 

『博多どんたく』とともに博多を代表する祭り博多祇園山笠のメインイベントといったところですか。

要するに彼こそKBCのチャンピオンでありメインイベンターなわけです!

 

そんな、チーフアナウンサーであり演歌番組主担の間島アナが新人アイドル歌手のキャンペーンに駆り出されたのはなぜか?

そもそも、この頃のKBCの聖子推しは地元出身歌手だとしてもあまりに突出しています。

なぜなのか!?

 

当時、聖子さんが出演したKBC自主製作番組はこちら↓

 

①1980/5/4  第1回福岡音楽祭収録(TV、ラジオで放送)

②1980/6/8  久留米キャンペーン収録?

③1980/8/3  KBCゴールデン歌謡ショー収録(ラジオで放送)

④1980/9/27  ’80KBC新人歌謡音楽祭(TV・ラジオ同時生放送)

⑤1981/5/2  福岡音楽祭新人ビッグコンテスト収録(TV、ラジオで放送)

⑥1981/5/3  第2回福岡音楽祭収録(TV生放送、ラジオも後日放送)

 

聖子さんの地元とはいえ、他の放送局とは熱量が違うんです。

もちろん、外形的には聖子さんオンリーの収録は謎の『久留米キャンペーン』のみですが、以降は聖子さんメインの番組です。この異常なまでの推しが、聖子絶頂期1983年のKBC創立30周年放送『松田聖子・故郷コンサート』に繋がったんでしょうね。

 

<1983/8/19,20 故郷コンサート関連記事>

 

1983年は4/6にも福岡サンパレス公演を主催し、4/17にラジオで放送しています。例の沖縄事件から復帰後2本目のコンサートです。沖縄公演のテレビ放送を補完する意味でも非常に貴重な未確認公式音源です。

 

聖子さんのコンサート放送って、1982年までは全国のラジオ局で頻繁に放送されましたが、1982年暮れの神戸コンサートとクリスマスクイーンのTV放送を契機として、ラジオからテレビへ移行しています。

 

1983年以降の福岡以外での聖子さんのコンサートのラジオ放送で、私が把握しているのは以下の通り。

 

①1983/2/13収録(2/20放送)

 ABC『松田聖子ショー』(30分枠)

 ※大阪厚生年金ホールでの「Seiko New Year Concert」

 

コメント欄#72にシュガー麗さんが放送情報を提供して下さっています。

 

「HERE I AM」の『振り向けば~』以外の音源があるとは・・・。

 

②1983/3/15収録(3/20、3/27放送)

 LF『夢で逢えたら』

 ※ファンを招待して新宿コマ・シアターアプルでの公開収録

 

※3/20放送分。続きも公開して下さっていますm(__)m

 

9分23秒から「Only My Love」

胸、締め付けられるやないか~えーん

この映像、3/20と表示されていますが、実際には3/27放送回で翌週の4/3が最終回となります(3/20は上記のシアターアプル収録の放送)。

 

③1983/5/3収録(5/28放送?、5/21かも)

 ABC『松田聖子ショー』(30分枠)

 ※大阪厚生年金会館大ホールで収録

 

コメント欄#73、#76にシュガー麗さんが放送情報を提供して下さっています。私のラテ調査では5/28放送ですが、シュガー麗さんの記録では5/21となっていますね。ラテの情報が絶対ではないことを私は知っていますので放送日の特定は保留しておきます。

 

④1983/5/4生放送

 FM東京『ザ・コンサート 松田聖子アイドルからの飛翔』

 ※新宿厚生年金会館。『ひとつぶの青春』からの流れ。

  FM東京のGWぶちぬきコンサート放送企画。

 

続きも公開して下さっています。どれだけ聴いたことやら(^^)

 

⑤1983/12/27収録(12/31放送)

 文化放送『聖子ランド・イン武道館』(60分枠)

 ※1984/1/1、4/2放送のTVが夜の部で、ラジオは昼の部か?

 

QRラジオ放送版をネットで見た(聴いた)ことはありません(^^;)

伝承によれば、聖子さんの調子はTV版より良かったそうです。

 

⑥1984/4/23、24収録(5/13放送)

 LF『愛にくちづけ』

 ※TVでは6/16以降にフジ系列で順次放送

 

 

 

⑦1985/3/31放送(収録日不明)

 LF『愛にくちづけ』

※銀河スタジオ(旧ニッポン放送社屋にかつて存在)での番組最終回公開収録。ミニコンサート風

 

 

こんな会場みたいですね。

 

②、④、⑥、⑦は自身がDJを務めたラジオ番組に関連したもので、⑤は前年のクリスマス公演に引き続きTV放送メインのプロジェクト。

そう考えると、純然たるラジオ中継って、①・③の大阪ABCラジオだけです。ABCもやりますねえ。KBC同様、朝日系列ですね。偶然でしょうか?

 

いずれにせよ、放映権料高騰により(?)、1983年の段階でラジオ局単独では放送できないコンテンツとなっていた聖子コンサート。

それをKBCは4/17(40分枠)、8/20(90分枠、当初は120分枠の生放送予定)と2回も放送した。

これ、ハンパじゃないっすよっ!

 

いやはや、前置きでもうお腹いっぱいですね。

続きは次回にしましょうかね。

 

 

 

 

 

うおっ、私の脳内にビジョンが降りてきました。

 

 

 

やはりそうだったのか・・・

 

時は1980年X月X日

KBCの役員室は重い空気に包まれていた。

そこには長年他局の後塵を拝していたことへの苛立ちがあった。

 

「私は何が何でも地域ナンバーワンの放送局にしたいのだっ!

ありきたりの施策はもういいっ!思い切った案を出してこいっ!」

 

社長の一喝が沈黙を切り裂いた。

 

テレビ、ラジオ双方の幹部が改革案のプレゼンを迫られ、その中の一人に間島アナもいた。

そして、プレゼン当日・・・

 

<間島アナ>

失礼いたします。

 

<社長>

まあ掛けたまえ。毎年『追い山』の中継ご苦労さん。いつも感服させられているんだ。もう何年になるかな。

 

<間島アナ>

ありがとうございます。今年で7年目になります。

 

<社長>

年に1度の我が社の重要番組だから、なかなか後任に任せるというわけにはいかないな。帯番組も持ってもらって忙しくさせているが、我が社も正念場だ。もうひと頑張り願いたい。早速だが君の案を聞かせてくれ。

 

<間島アナ>

はい、様々な課題はありますが、ことラジオに関して言えば、番組作りの工夫に併行して、より強力な音楽ソースが必要と考えています。

 

<社長>

うむ。

 

<間島アナ>

RKBはキー局TBSの『ザ・ベストテン』に地方ラジオ局のランキングを提供するとともに地方局からの生中継を行うことで最大限のシナジー効果を得ています。

一方、当社キー局のテレ朝は、『歌謡ドッキリ大放送』こそありますが、しょせん日曜午後のバラエティー。それさえも、うち(KBC)は2週遅れの土曜深夜放送となっています。これではレースになりません。

 

<社長>

うむ、だが、地方局から在京キー局へ番組編成の要請しても実現にはバーが高いし、時間もかかるぞ。

 

<間島アナ>

仰る通りです。ならば自ずと選択肢は自社製作番組の強化しかありません。

ときに社長は松田聖子という新人歌手をご存知ですか。

 

<社長>

松田聖子・・・? はて、そんな子が演歌にいたかな。ん、あのソニーのディレクターが推していた子か。あの子は演歌じゃないだろ。

 

<間島アナ>

社全体のことを考えれば、自分の担当分野にこだわっていられません。あのディレクターも彼女の声に惚れたようですが、実は私も福岡市民会館で彼女の歌声を聴いてしまったのです。もちろん魑魅魍魎が跋扈する伏魔殿のような業界です。歌声だけでデビューできる世界じゃありません。それでも彼女は出てきた。彼女は本物ですよ。

 

<社長>

ほほお、えらくご執心だな。

 

<間島アナ>

しかも彼女は久留米出身です。我が社の創業の地です。出身を同じくする歌手を応援しない理由はありません。そして何よりも彼女は我が社に利益をもたらす無限の可能性を秘めているのです。指をくわえていたのでは他局にかっさらわれます。

現にCMタイアップの関係で、フジがデビュー直後に夜ヒットに彼女を出演させるようですし、NHKもレッツゴーヤングのレギュラー起用を決定済。NTVも歌ベスにすぐ出すでしょう。TBSもベストテンのランクイン前に全員集合に出して囲い込みをかけるでしょう。いえ、もしかするとベストテンのスポットライトに地元からの中継という演出でRKBから出演させるかもしれません。その前に手を打たなければ我が社の出る幕はありません。

 

<社長>

それで具体的施策はどうなんだ。

 

<間島アナ>

企画段階の『第1回福岡音楽祭』を歌謡曲中心の内容に練り直して彼女をねじこみます。もちろんテレビ・ラジオの両方で放送する形に変更してラテ兼営局としてのシナジーを最大限に高めます。8月の『くるめ水の祭典』も聖子推しで・・・いや、その前に久留米でイベント入れた方がいいですね。その辺りは、私が自ら現場に入ってやりましょう。

9月はうちの新人音楽祭で全国放送もできますし、来年の福岡音楽祭までシームレスにイベント投入していきます。

 

<社長>

なるほど、君の熱い想いは理解したが、勝算はあるのかね。うちは既に土俵際で費用対効果は十分検証する必・・・

 

<間島アナ>

やる前に負けること考えるバカいるかよっっ!!ダアアアッッッッ!!!!

<バシーンッ!>

 

<社長>

(左頬をおさえながら)君はときどきキャラクターが豹変するようだな。“キラー間島”は伊達じゃないということか。

よし分かった。ただ、君は演歌の主担でもあるが、そっちはどうするつもりなんだ。

 

<間島アナ>

ご承知のように、演歌は音楽界の主流から外れていくでしょう。いかに、若い世代にその魅力を伝えていけるかが今後のカギとなります。

そこについても私に考えがあります。

興味深いデモテープを入手しておりますのでお聴き下さい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

<社長>

こっ、これはっ・・・。これが聖子の歌声なのか!

彼女に歌謡曲と演歌の二刀流をさせるというのか。

 

<間島アナ>

レコードは歌謡曲となるにしても番組の中で演歌を歌わせることはできます。

彼女に投資する以上、我々はその恩恵を受けなければなりません。彼女には働いてもらいますよ(ニヤリ)

 

彼の眼の奥にキラー間島の一面が垣間見えた瞬間であった。

 

<社長>

よしっ、君に任せたっ!

プロジェクトの名前をどうするかな。よしっ。

 

 

 

 

『元祖・聖子プロジェクト』だっ!

 

<間島アナ>

えっ、“元祖”・・・ですか?

 

<社長>

フフ、いずれ分かる時がくる。

 

KBCは一新人の聖子に全社の命運をかけて白羽の矢を立てた。

そして、本来は演歌番組担当の看板アナである間島アナに聖子番を託し、『元祖・聖子プロジェクト』がスタート。

 

KBCは福岡地区において1980年に開局以来初のプライムタイム首位の座を獲得。翌1981年にはゴールデンタイムでも首位の座を獲得と快進撃を始めたのであった(ウィキ記載)。

 

 

 

で、結局、1980/6/8のKBC収録の“新曲キャンペーン”の実相はどうなのかって話に戻りますが(^^;)

 

まずは当日の番組表をご覧下さい。

この日の大阪は雨でプロ野球放送は中止。穴が開いたところも利用して聖子特番となったのではないかと妄想していたわけですが(笑)、今回の聖蹟調査でこの時間帯はデパート屋上での歌とサイン会であることが判明しました。

改めてもう一度番組表を眺めると

 

そういうことですよ。

間島アナ自身の担当番組『それ行け演歌大作戦』で東町公園で収録した新曲キャンペーンの模様を放送した。もちろん『裸足の季節』も披露したでしょうが、そこは演歌番組。

『ナツメロ演歌』コーナー用に聖子さんにたっぷり演歌も歌ってもらい、放送したっ!

演歌目当てで番組を聴いたリスナーに衝撃が走った!

この歌手は誰だっ!

ナツメロにも関わらず、新しい息吹が吹き込まれていたっ!

現代の演歌・シン演歌の誕生だっっ!!

それは聖子の歌謡曲・演歌二刀流誕生の瞬間でもあった。

キラー間島の真の名は『フィクサー間島』だった(^^)v

 

 

ええっと、ここまで記事にお付き合い頂いている方はいらっしゃいますでしょうか(^^;)

 

KBCの過去の放送素材について、あくまで伝聞ですが、テレビ映像は残っているらしいんですよね。

ラジオ音源は残っていないそうですが・・・

でもそんなの関係ねえ

 

きっと誰かのカセットテープに残っているはず🔥

 

これからも追い続けるしかないっ🔥

 

JR久留米駅でランチを食べながら、心に誓う私でした(^^)v

 

 

というわけで、最後はいつも通り。

皆さんもご唱和下さい。

 

 

聖子サイコーッッ!!

ダアアアッッッ!!!

 


今回の福岡巡礼、次回が最終回となります。

久留米を後にし、福岡公演を満喫した私が、翌日向かった先はっ!

 

すっかり、愛想が尽きているかもしれませんが、よろしければお付き合いください(^^;)