「あきらめない」戦禍の祖国に示した | 川島正仁の南米体験歌

川島正仁の南米体験歌

川島正仁は、東京オリンピックの年(1964)、高校を卒業し、翌年19歳で南米アルゼンチンに移住します。日本を最後の移民船「アルゼンチナ丸」に乗船し、横浜港の大桟橋から出航しました。その時からの苦しい移民生活を、歌とともに綴ります。

ウクライナ・マフチフ選手

陸上の世界最高峰シリーズ、ダイヤモンドリーグ第8戦が7日、パリであり、女子走り幅跳びでヤロスラワ・マフチフ(ウクライナ)が2メートル10の世界記録を樹立した。従来の記録はステフカ・コスタディノワ(ブルガリア)が1987年に跳んだ2メートル09.試合後はロシアによる侵攻が続く母国とパリ五輪への思いを語った。大きく腕を振った助走から勢いよくジャンプし、体を反らした。振り上げた両足はわずかにバーへ触れたが、落ちない。マットから飛び降りると、手で顔を覆って喜びを爆発させた。ウクライナ国旗を肩にかけ、報道陣の取材に応じたマフチフは、「この世界記録はウクライナのため。決してあきらめず、戦争が終わるまで戦うことを示したかった」と話した。ウクライナ中部ドニプロ出身。侵攻が始まった2022年2月24日は爆撃音で目を覚ました。車で3日間かけて母国を脱出。欧州各国で練習を続け、昨年の世界選手権(ブタペスト)では初優勝を果たした。マフチフはウクライナ国旗と同じ青と黄色のアイメイクをして試合に出場している。「多くの人が私をウクライナ出身と気ずいて、母国の状況を尋ねてくれる。ウクライナの戦争について忘れられないように話をしています」現在はエストニアで練習を続ける。優勝した昨年の世界選手権前にも拠点とし、自分にあった場所だと感じているからだ。26日に開幕するパリ五輪は自身初の金メダルを目指すとともに、使命感を背負って臨む。「かなりのプレシャーを感じている。多くの人が見る五輪は、戦争が続く中で、私たちは戦い続ける、私たちは強い、というメッセージを伝える良い機会だから」

上記は、7月8日の朝日新聞に掲載された記事である。私はロシアのウクライナ侵攻について何度も記載したが、どう考えてもこの侵攻はプーティンの自分勝手な誇大妄想から招いた「気違い沙汰」であり、最終的にはかっての「ソビエト連邦」の復活である。しかし彼は「この侵攻は、ウクライナのナチス傾倒が原因である」とい言って自らの非を決して認めない。米国やNTOが「民主主義」を守る名目で武器やお金を援助すればするほどロシアはエスカレートし、攻撃を強めている。このような「愚かな行為」を一日も早くストップして欲しい。やめるべきだ!残念ながら世界中のリーダーがいかなる「知恵」を絞っても正確な答えは出ない。以前から述べているように、世界中で活躍しているロシアのアスリートが一体になって「世界平和、戦争やめろ!」のスローガンを打ち出すべきだ。それを世界中のマスコミが大きく報道すればさすがのプーティンも少しは考えるだろう。この戦争は決して我々にとって良いことではない。「プーティンやめろ!」