元白鵬、回し姿での初日 | 川島正仁の南米体験歌

川島正仁の南米体験歌

川島正仁は、東京オリンピックの年(1964)、高校を卒業し、翌年19歳で南米アルゼンチンに移住します。日本を最後の移民船「アルゼンチナ丸」に乗船し、横浜港の大桟橋から出航しました。その時からの苦しい移民生活を、歌とともに綴ります。

宮城野勢、出直し稽古熱く

夏場所の初日を3日後に控えた9日、江東区の伊勢ケ浜部屋の稽古場に宮城の親方が回し姿で登場した。上がり座敷では伊勢ケ浜親方(元横綱旭富士)が目を光らせ、稽古場の隅では照ノ富士が筋力トレーニングに励む。新旧3横綱による指導体制は所属力士たちにとってこれ以上ない恵まれた稽古環境と言っていい。伊勢ケ浜親方は宮城野親方に対し、「45回優勝した横綱のスキルを力士たちに伝えてほしい」と注文する。まわしを締め、弟子たちと直接触れ合う宮城野親方の指導スタイルは出直しへの強い決意の表れだろう。「とにかく私は相撲が好き。相撲ともっと関わりたい」との抱負に、弟子の不祥事発覚後も親方として指導の現場に立てることへの感謝の思いがにじむ。伊勢ケ浜親方からの提案で、宮城野親方は弟子一人一人の家族に対し、当面の部屋閉鎖に至った経緯の説明と謝罪のために全国を行脚した。弟子たちの両親や祖父母らと「膝を突き合わせて」対話し、保護者らから「実際にあって安心した」との言葉をもらったという。他人の子息を預かるという親方業の責任の重みを改めて感じる機会になったようだ。伊勢ケ浜親方から再教育を受けたうえで、日本相撲協会執行部が部屋持ち親方としての素養と自覚を備えたと判断しないと宮城野部屋を再興できない。宮城野親方は「今は指導を受ける側。弟子たちと共に頑張り、一緒に成長していくというのが言葉として合っていると思う」と謙虚に語る。

個人的にも「大ファン」だった。これ程強い相撲とりはもう決して出ないだろう。ケガもなく体は実に柔らかい。これだけの実力を備えるにはどれほどの稽古をしただろうか、若い時にモンゴルから言葉も生活習慣も全く異なる異国に来て「相撲」という日本伝統技に触れ、ここまで昇華するのだ。そして親方になるため日本人に帰化し、部屋を起こした。しかし運悪く一人の弟子の素行が悪く、その責任を取って現在「指導下」という特別な境遇にいる。

「白鵬」耐えてください。頑張ってください。そして貴方のこの貴重な経験を活かし、日本の「相撲界」を「近代化」してください。