官僚一人のリストラで失業者5人が救われる | 川島正仁の南米体験歌

川島正仁の南米体験歌

川島正仁は、東京オリンピックの年(1964)、高校を卒業し、翌年19歳で南米アルゼンチンに移住します。日本を最後の移民船「アルゼンチナ丸」に乗船し、横浜港の大桟橋から出航しました。その時からの苦しい移民生活を、歌とともに綴ります。

公務員は一度その身分を手にしてしまえば、生涯手放すことはない。それだけの手厚い保証をされるわけだから、国民の信頼を得るために、その前提となる公務員制度改革に、自ら踏み込む覚悟を持たねばならない。残念ながら、今の官僚、公務員にそれだけの信念と覚悟を持っているとは思えない。あまりにも恵まれた「環境に満足」し、これを守るだけのサラリーマンに変貌しているに過ぎない。ギリシャが破綻を招いたきっかけの一つは、「公務員の身分制」を最後まで温存したことだ。このままでは、日本も同じ道を歩みかねない。限られた国家予算を各部門で切る詰め国民のサービスを削らなければならない状況にあっても、公務員だけは今までと守られるのは、どう考えても可笑しい。突き詰めれば、こういうことだ。「国民の生活と公務員の生活、どちらを優先するのですか?」「リストラにあって失業した」この人の家族を加えれば、失業の被害者は今や千百万人にも達する。一方、政府や官庁には、たいして仕事がない人間がたくさんおり、さらに無駄な事業を廃止すれば、数万人の公務員が不要になる。前にも述べたとうり、国家公務員の場合、キャリア官僚なら幹部で千5百万円以上の年収があり、ノンキャリアでも50歳代では1千万円近くもらっている。ならば、民間の失業者対策に一人当たり、いかほど使われているかというと、失業保険の額は、ノンキャリアの報酬に遠く及ばないし、短期雇用の場合は、失業保険すらでない。父親が失業したばかりに、進学を諦めざるを得ない若者や子供たちも沢山いる。そういう人たちには、年間200万円程度の公的補助があるだけで,かなり救われるはずだ。つまり、仕事がないにもかかわらず一千万円の年収を貰っている国家公務員を一人リストラするだけで、5人の失業者が助かる計算になるのである。

この文章は、現官僚・古賀茂明氏の著書「官僚の責任」の中の1項である。残念ながら彼はこの責任を取らされて、今年中には退職せざるを得ない状況にある。皆さん、これがまぎれもない事実なのです。この国は、民主主義国家でも何でもありません。「官僚システム、学歴社会」の国です。戦後、確かに官僚の指導によって、我が国は不死鳥のごとく蘇り、見事に経済大国に発展しました。日本中どこへ行っても物は溢れ、私たち国民は「豊かさ、便利さ」を得ました。しかし、このために人間にとって最も大切な宝「心」を失ってしまいました。「官僚社会」はこれ以上機能しないのです。既に退廃してしまっています。日本人は優秀です。歴史上、かってない「大震災、原発事故」にもかかわらず、全国からボランティアが被災地に押し寄せ頑張っています。他の国々では考えられません。しかし「政治」が機能していません。皆さん、なぜこの国には「政治家」が育たないのですか?私は、「人間教育」だと思います。幼い頃からの「哲学」の教育が足りないのです。私が小さい頃は、「塾」などはありませんでした。教室で先生の授業を一生懸命聞いていればそれでよかったのです。授業が終われば、みんなで近くの広場で砂遊びをしたり、ビー玉、かるた遊びをして楽しんだのです。このように仲間と喧嘩をしたり、仲良くなって自然に人との触れ合いを感じ、成長していくのです。残念ながら現在の「エリート教育」には、この心の触れ合いの時間がありません。ただただ勉強し、よい点を取って優れた学校に進学し、将来「エリート」になることが「成功」だと教えられているのです。