直ちに稲毛区支部長でもあり、県会議員のK氏に相談した。「おお、それは良い、ぜひ出たまえ、応援するよ!」そして佐倉市のK
議員に手紙を書いた。「今の日本の政治は最悪だ!このことを改革しなければ日本の将来はない、ぜひ私を後継に指名してください」。話はK支部長からも伝えてあった。そして早速返事は来た。「貴方は世の中のことを十分に理解している。世間のことをよくわかっている。あなたに任せよう。出来る限りの応援をする。」今までに半生を綴った「花の道」を送ったり、政治に対する気持ちを十分に伝えたつもりであったが、「貴方はこの世界をよく理解している」このような言葉を繰り返していた。これは何を意味しているのだろうと思ったがそれ以上深くは考えなかった。私の気持ちは固まった。確かに党の公認そして連合の推薦をもらっていても私は佐倉市の住民でもない、友達もいない。このことは実に不利だ。しかしそんなことは言っていられない。私は一度決めたことはすぐに実行するたちだ。しかし会社をたたむわけにはいかない。となると仕事をしながらの戦いになる。「これは厳しいな!やったるぜ!」そしてまず一戸建ての家を借りた。2階建ての4LDKのまあまあの形だった。すぐに住民票を移した。しかし「選挙」のことはまるで無知なので真っ先にK議員の自宅を訪ねた。「よく来たな!もう家を移したのか?それで人は集まったのか?」私はこれでK議員の全面的な支援が得られると信じていた。それは甘かった。一週間たってもK氏からは何の連絡はなかった。「どうしたのか!何を考えているのか!」不安はあったがもうK議員を頼りにはできなかった。そのとき奇跡が起きた。日本の政治にはとても大きな出来事だったが、私には風が吹いてきたのだ。民主党世田谷区選出の国会議員石井氏が何者かによって刺殺されたのだ。私は個人的にはあったことはないが素晴らしい政治家という評判だった。そしてここで秘書として働いていたS君が3人の友達とともにサポートしに来てくれたのだ。「この度石井議員が亡くなったため仕事があぶれたのでぜひ手伝わしてほしい」との理由であった。おかげで選挙の準備がスムースに動いた。ポスターを張ったり、役所に届け出をしたり、これには大いに助かった。しかし何といっても私はここの住民ではない、と友人もいない。どこから手を付けていいか見当もつかない。そこでこの町に住む高校の同級生を思い出した。彼はここでは著名人であり、以前「さくら祭り」委員会の委員長も何度か務めていた。さっそく彼に会いに行ったが、彼は不動産やをやっており、見るからに景気が悪そうであった。しかし私はこの彼の人脈に期待せねばならなかった。さすがに彼は商売人私のこの弱みを感じ取り「川島、すまないが今会社の状態は思わしくない、200万円貸してくれないか?」来たな!と思ったが断われなかった。彼は「したり!」と考えたのだろう、さらに「あと500万円貸してくれないか?」私は考えた。「これは深い穴に落ちてしまったな、このままではさらに深淵に落ちてしまう」ここで私はK支部長に相談した。「先生、このままでは私は地獄に落ちてしまう、落ちないうちにここで引き下がったほうがベターだと思いますが」泣きを入れた。そしてこの後とんでもない電話がかかってきたのだ。それはここの県会議員K氏からであった。「川島さん、あなたはお金持ちだねえ、私に今1000万円くれたらかたしてあげるよ!」そうかこれが彼の本性だったのか!しかし選挙はもう動いてしまった。意地でも辞めるわけにはいかない。翌日100万円の現金をもって彼の自宅を訪ねた。「先生、今お渡しできるのは、これだけです。残りは選挙が終了してから払います」K氏はさすがに受け取らなかった。結局私は5200票で敗戦したがよく頑張ったと思う。幸い仕事は何とか持続できた。私があまりにもこの世界に「無知」だと考えるのかそしてこの無理がたったったため体を壊し「口内炎」にむしばまれてしまいこの先20年とりついてしまった。