我が家が節分で豆まきをしない理由 | さんにん日和

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2009年1月生まれの息子と私と2016年4月生まれの愛犬、そして時々夫の記録。

 

 

 

 

こんにちは~、皆様お変わりなくお過ごしでしょうか~。

今日は我が家では豆まきをしないことを書いてみようと思います。

これは私がろくでもない記憶をもっているせいで豆まきをしないだけで、行事を批判する等の意図はありません。

私もこんな記憶を持たずに普通に節分に豆まきをする大人になった方がよかったのですが、そうはなりませんでした。

今回この記事を書こうと思ったのは、息子が久しぶりに「なぜうちは豆まきをしないの?」と、先日の節分に聞いてきたからです。

その問いかけで色々と思い出してしまい、ブログの記事にすることで昇華させたいと思いました(笑)。

ちょっと長いお話ですし暗い内容でもあります(似たような内容は前も書いていますが…)、苦手な方はここで閉じてくださいませ。

 

 

 

今年の節分に、息子が久しぶりに質問してきました。

うちは私が積極的に豆まきをすることはありません。

 

 

もちろん伝統行事だということは理解しています。

でも自分の嫌な記憶をどうしても呼び起こしてしまいます。

 

 

苦手な豆を投げられるときに感じる痛みや怖さを、まざまざと思い出します。

豆で追い出される鬼は、あたかも小学生の頃の私のようです。

 

 

 

 

息子がまだ幼稚園生くらいの頃は、いっしょに豆まきをしたこともありました。

 

 

でも小学生の時に、鬼がかわいそうだから「福はうち~鬼もうち~」と言ってねと息子にお願いしたら。

 

 

泣かれまして(笑)。

じゃあ息子の好きにさせようと思いました。

わたしから誘うことはしないけど、本人がやりたいと言えば好きにさせました。

本人も、絶対に毎年やりたい!とはならず、小学生高学年になるころには「やりたい」ということもなく。

 

 

しかし今回、中学1年生になって久しぶりに質問してきたのでした。

今回は「鬼」というだけで追い出すのはかわいそうだからしないよ~と伝えたら、泣かずに納得していました(笑)。

 

 

おまけ

 

 

いじめで石を投げられた記憶は、その後何年何十年と私を苦しめました。

それが見えない傷となり、さらに自分を傷つけます。

しかしそれも時が経つとともに風化し、そして5年前にきてくれたワンコが傷を癒してくれました。

人によって与えられた傷は人には癒せないこともあるんだとわかりました。

 

 

 

石でも言葉でも、安全圏から誰かに向かって投げるようなことを私はしないようにしようと戒めていますが、時と場合によっては私も石を投げる立場になるかもしれません。

その不確実さを常に意識しています。

節分がくるたびにこのことを思い出しそうです(;'∀')。

 

ではまた~