神という単純な生き方 | まーちゃんのブログ

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誰かに読んでもらうつもりで書くと、自分の考えがよくまとまってすっきりするので、このブログを始めました。

人間はどれだけのものが必要なのでしょうか。着るもの、食べるもの、住む所があれば、それで十分だった時代は100年前に終わりました。21世紀の人間は、車から目薬まで、毎日なくてはならないものに囲まれて生きています。しかもそのほとんどが、何の苦もなく手に入ります。それはお金のおかげです。

私が大学を出たころ、35年前は、年収130万もあれば十分だと思っていました。その収入で1年ちょっとで100万円も貯めることができたのです。毎日キャベツと大豆を食べて暮らしていましたが。

家族を持って、税金を払って、人と付き合っていくには、その当時でも倍の収入が必要だったと思います。人間の社会は複雑です。お金も複雑です。それは人間自体が複雑だからです。人間が複雑さを表面化してきたと言ってもいいでしょう。もともと複雑な要素を持った人間が、時代が進むにつれて、隠し持っていた複雑さをあらわにしてきたのです。

なぜでしょうか。なぜ人間は複雑になる必要があったのでしょうか。それは幸福の不定性にあります。

幸福は、人それぞれ全く違います。かと思うと、ほぼすべての人が幸福だと思うこともあります。例えば健康、若さ、愛。幸福は無数の階層に分かれ、それぞれの階層で各個人の幸福の深さと色合いが違います。すべての幸福の追求に対応できるように、様々な製品が生み出され、膨大は法律が制定され、複雑な金融システムが構築されてきました。だから社会が複雑なのも、その中で生きることが複雑なことも避けられません。

生きることは複雑です。時には、ほっとしたいと思います。何も考えず、ただ歩いていればいい、そういう道はないのかと思ったりもします。しかしそれは危険な道です。迷子になったら戻って来られない道です。私たちが幸福に生きるには、この複雑な世界に縛られ続けなければならないのでしょうか。答えはノーです。

たった一つだけ方法があります。でもそれは勇気を必要とします。なぜならその方法を私は一生貫いた経験がないからです。人生の終わりに、良かったと、本当に言えるかどうか、自信がありません。ただ迷子にはなりません。戻って来る必要がないからです。なぜなら出発する必要もないからです。家にいるのに迷子になることはできません。そして時間も労力もいりません。今この瞬間に指を鳴らすように、世界は単純で幸福になります。

それは神を信じることです。キリスト教でもなく、仏教でもなく、イスラム教でも神道でもほかのどんな宗教でもなく、あなた自身の神を信じることです。あなたと神の間には、文字も儀式も解説もありません。あなたはそれを神と呼ぶ必要もありません。あれ、とか、それ、と呼んでもいいのです。あなたはそれを誰かに強要することはないでしょう。あなた以外の人にとって、「それ」は無意味だからです。にもかかわらず、「それ」は世界中の人を幸福に導きます。あなたがそう信じるからです。単純に。


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