「結局、宇宙は有限?無限? 宇宙ファンも混乱する問題を物理学者がとことん解説」 | 定年後の風景

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いつものグーグルニュースで目ぼしいもの取り上げてます。まあこの辺の問題は近頃よく分らんようになってて何か勉強になるかと最新情報のNHK番組見たりすると、ああそうかと思うし、また別の最新の番組見るとああそうかと思う、特に頼りない盛り上がらん問題になってると個人的には思うのですよ。

 

間違うててもある程度これやと自分の好みでもええので、自分の好きな思い込みでも持っておいて安心しておきたいのですが、それが出来へん、定説が無い、分れへんとそう言うことを端的に書いてる記事でおました。

 

しかもそれを熱心に書いてるどころか、極めて短めに書いてますさかいに、この人はほんとにちゃんとした最近の物理学者なのかと疑いを持つような記事は、初めてかも知れまへん。あとで確かめときまっけどね。

 

まあなので、驚きの主張も特に無いようにも見受けられ、ブログに上げるかどうかぎりぎりの線にあるのも確かでおます。だから最後の筆者の確認済むまで、余り信じん方がよいと思いますよ。今回は記憶喪失症の数学博士の映画とどちらを書くか心底迷ったのでした。そちらはそちらで、また考えると書くことも無かったんですよねえ。

 

そして早速本記事の内容に入ると、いきなり「まず、宇宙がいかにして誕生したのかは全くわかっていない。」と書かれてもねえ。当たり前やろ。誰も見てへんからな。それでも定説的には、ほぼ点から光速で爆発状に膨張していると言う数式が、今までの観測値と一番近似してるんちゃうん?

 

それを現状の定説と言うんちゃうんかいな。最後に観測値と完全に一致するまで認めんと言うならほぼ永久に「全くわかっていない」となる。即ちこれは自らが神になるまで「分った」ことにはならない。

 

またその時は「観測」自体が不要で、即ち人類の所業は不要で、当然に神は全知全能で一瞬にして全てを理解するのは神の定義ですらあります。と言う哲学論神学論になりまっしゃろ?そうしてそしたら今から何を述べようとしてるかと言うと「今回は、最後の「宇宙はかつて点だった」という広く流布しているとおぼしきこの宇宙最大の誤解の周辺を掘り下げてみたい。」と言うことらしいです。

 

はていかなる展開となることやら。ここまで大くくりの話になってくると、それもう別にどっちでもよろしわとなって来るのは最後までの感想だったでしょうか。まあ哲学神学論に近くなって来るですからですわ多分。

 

まあこの方の元の主張は重厚でまともで、我々みたいな素人向けに思いきり過度に噛み砕いたからこそこう言う論調になってしまったのだと思いますけどね。さあどうなりまっしゃろか。ここら辺から個人的にはちょっと珍しい目新しいが解決にはならない文言が出て来てます。

 

正確かもしれませんが、同時に詭弁でもある文言が出て来ます。宇宙が有限か無限かの議論は「「我々が現在観測できる宇宙」と「観測できるかどうかに関係なくその外に広がっている宇宙」という二つの異なる概念を明確に区別せずに説明しているためだ。」らしいです。

 

するとそのすぐあとに、この記事の基本的な主旨結論が出て来て、ああそうかと個人的には差して驚きも無く分ります。「現在の標準的宇宙論では、宇宙は無限に広がっており果てもないと解釈されています。その意味において、宇宙の大きさは無限大です。

 

ただし、天文学者が単純に「宇宙」と呼ぶ場合、それは「我々が現在(原理的に)観測できる領域の宇宙」(地平線球)をさすことがほとんどです。」後半は分りにくいと言うかイメージしにくいですけどね。

 

それでここから短い記事の2ページに入ります。そしてこの2ページ目の半ば辺から、この記事全体の主旨が書かれてるように思えます。「しかし、我々が現在観測できない宇宙(マルチバースと考えてもよい)までを含めるならば、決してそれは正しいとは言えない。

 

その外にある宇宙が現在無限に広がっているとすれば、過去に遡ってもやはり無限に広がっているはずで、少なくとも我々が考えるような意味の点ではない。」これしかしあれやん、我々が子供の頃考えてイメージしてた宇宙像そのまんまに思えるんでっけどどうなんだっしゃろ?

 

全く単純でイメージし易いけど、もう大人になって来ると、もうこんなのどうでも良い小島よしおと思えるようになって来るのは、遂には自分も終末の老人脳に至ったのか、よう分りまへんわ、となるのでした。

 

そしてこの端的な短い記事は、次の文言で締めくくって、個人的にさして新しい気運は無いように思えました。大体色んな個別にもっと詳しい情報から知って持った自分の全体的総合的なイメージに合致したままと思いましたよ。

 

「我々が現在観測できる半径138億光年内の宇宙は、138億年前にはサイズが極めて小さい体積の、高温かつ高密度の状態にあった。しかし、宇宙全体はその領域を超えてはるかに広がっており、無限の体積を持っていたと考えても、現在の観測事実とは矛盾しない。

 

ただし、数学的な意味での無限大の体積を持つ宇宙が、物理的に実在するかどうかは、直接観測で証明できるものではなく、むしろ哲学的な問題に帰着する。」直感ではその通りだと思います。まあそれをプロの文言で確認出来たことが今回の大きな収穫だったでしょうか。

 

しかし一つ違和感持つのは、これまでも素人視点でいくつかブログに書きましたが、この宇宙論はデータと数式しか無く、それを言葉にしたものがこうして書かれ、語られイメージされますが、それはどこまで行っても宇宙そのものでは無く、宇宙は今のところ数式でしか表現出来ないことに辿り着いたのが素人個人の収穫なのでした。

 

これは数式を知らない我々には極めて退屈な結論でもあるのでした。そしてこのプロの論者の方は、最後に哲学の方へ向かいましたが、それだとさらに帰着出来ないだろうとは想像するのでした。

 

 

(追記)あっ、これはエイプリルフールに騙された。