「終活で準備することは大きく分けて4つ(その3)葬儀と墓 | 定年後の風景

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順番に行きましょう。その内終わると思います。これまで書いてて、一つ気づいたのは、何も伝えられないままで急死した場合のために、机の引き出しに、簡単に、ノートPCに終活ノートの「Eノート」を保存してあると、フォルダ名とか書いた紙を入れておく名案と思しきを思いつきました。

 

しかし、これだと遺品整理中にしか見つけられずに、肝心の死後直後には見つけられずに、間に合ないので、駄目でしたね。何かある筈と、引出を探す家族など居ませんからね。と言う事は、やっぱりこれは、孤独死対応と同じですね。

 

緊急連絡先とか、急ぎの内容は、ドアなどの目立ってすぐ分る場所に貼り紙するしかないことに気づきますね。Eノートがあり、その保存先もここに書くしか無いですね。家族と住んでるのに、こんな貼り紙するのは変ですよね。

 

やっぱり話して伝えておくべきでしょうが、これも中々タイミング難しい話ですよね。最初の最初のこの伝言が、割と難関だと知りますね。


さて次の大項目「気になる葬儀・お墓の話題」に入り、父母とも10年違いで、同じ町内会の会館で葬式をやり、地元の妹の知り合い葬儀屋さんに、確か二回とも父母の遺した貯金で30万くらいで、昔ですから小さいですが、それなりに本格的な葬儀してたと思います。

 

ま、昔は一般にそれ以外の選択肢は無かったですね。それで、お付き合いのあった自分から見た、叔父叔母、従兄弟らは、全て呼んで飲食もしてました。父母本人から見る兄弟、義兄弟、甥姪達でしたね。その他の会社関係は断って、人数も決まり、皆親戚で顔見知りで、良い葬儀が出来ました。

 

但し近所の方々は顔見知りなので、焼香だけには来てました。父の時は、危篤近くに、事前に兄が家族と帰阪してくれてて、妹と二人で葬儀内容は決めてくれてました。母の時は兄は出張中で、私と妹で葬儀の準備から金額も全て決めてました。

 

地元の妹の顔見知り葬儀社だったので、信用出来てやり易かったです。これで15年から25年位前の話しとなります。それで父母はどうしてたかと言うと、墓は無しで、遺骨は天王寺の一心寺に共同納骨し、近くの四天王寺内のお堂に、生前名で二人の名前を刻んだ菩薩像1体を10万円で奉納してありました。

 

なので、所謂墓参りは、この菩薩さんと合せて、近くの一心寺にお参りに行きます。この一心寺の共同納骨は、昔で言う墓の無い人の、無縁仏の扱いで、親戚にも詳しく知らせて無かったようですが、今や墓の無いこの方式は主流になってると思いますよ。

 

この一心寺に、確か当時6万円で永代供養出来て、毎年永代供養しましたと、お知らせが来てたと兄は言ってて、そのハガキも見せてもらいました。これは本来はと言うか、普通は永代供養の案内ハガキが毎年来ます。

 

なので、その供養のお経までに、寺に行って、そのハガキを渡して、5千円か6千円払って、戒名書いて渡すと、順に呼ばれて、その札をお堂に並べて、お経を読んでくれて、供養してくれると、そう言う方式になってます。

 

一心寺は大きなお寺ですから、大変な数のお参りの方が来られてて、流れ作業で5人ずつ位次々と前に呼ばれてお経を受けます。お坊さんは3人位同時にお経を上げてたと思います。お盆などに行くと、大きなお堂の中に入り切れずに、待つことになるのでお盆は避けます。

 

それだと毎年お金払い続けるのかとなり、どうしてたかと言うと、本来では無いと思いますが、供養を申し込まずにお堂にだけ入って、暫くお経だけ聞いて、共同納骨の御仏像にお参りだけすると、暫く経って、永代供養しましたと、案内ハガキが来て、参拝しなくとも供養のお経が上げられてることが分ります。

 

つまりは最初の6万円の支払いだけで、まさしく永代供養がされてることになります。でないと遺族もいずれ皆死にますから理屈会いませんよね。しかしこれを何年続けるのかの取り決めは知りませんが、少なくとも遺族が生きててお寺に参れる間は、この方式は執り行うと思ってますけどね。

 

同じく四天王寺内のお堂の菩薩像も、いつかは何らかの整理するかもですが、今のところはお堂が残る限り、番号が振られた同じ場所に、日本が滅んで四天王寺が無くなるまで、残り続けると思ってます。勿論、立派なお堂の地下に、ちゃんとした美麗なガラス張りの中の振られた番号の所に、菩薩さんはお供えされています。

 

お参りがあってもなかっても、お供え続けられることになります。なので、この方式を自分にして欲しい希望となります。生前の兄に聞いておくと、大阪に生まれ育った明かしに、自分もそうして欲しいと、一旦10万円を預かりましたが、一旦そのお金は生前に返してあります。

 

実際にそうする時に、普段も連絡取ってるご長男の甥さんにに、どうするか話が伝わってるか聞くことになります。もし私と連名で名前書き込むなら、5万5万で折半して菩薩さんを供えるか聞くことになります。そうすると、家内や嫁いでる妹は、どうするかはまだ聞いてません。連名は二人までです。

 

まあ、心の中では決めてある筈で、答えは早いと思いますよ。気がかりなのは、今時、供養も菩薩さんも当時の少なくとも金額は2倍から3倍になってるとは思いますよ。菩薩さんを納めるお堂は、既に母の没後3年ほどで満杯になっており、既に当時で次のお堂を建設予定と現地の係の方は言ってました。場所や規模は分りません。

 

今日はこれで午後休きっちりになり、この項目は疲れました。また葬儀や供養関係の言葉を知らず、適宜に暫定の言葉で書いてあります。さて思いの通り上手く運ぶでしょうか。葬儀は家族葬もしくは見送り葬でも可で、この場合は遺影も無しで8.1万円で済む広告もあります。

 

遺影は撮ってないし、没後も要らないと思ってます。戒名も要りません。この項目が決めてあると言うものの、一番疲れました。こうして見ると、あの時代に父母は実に先進的でした。こんな方法があるとは夢にも思ってませんでした。

 

兄は長男で知らされてたのか。しかしやはり、生前には正面切っては言いにくい筈で、手紙ででも兄だけに知らせてたんでしょうか。そう言う手紙来たら電話でもするでしょうけど、そう言う話は兄からは無かったので、やっぱり聞いて無かったと思いましたよ。

 

あと次回は、自分のことや、葬式の参考広告を探して貼り付けておきます。