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東京・横浜物語

西麻布に生まれ育ち、現在は横浜に居住する筆者が、
色々語って行くブログです。

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昨夜は布団剥ぎがなく、

両手も布団の中にあり、

ほほ温かかった。


しかし毛布が少しズレていて、

左肩に数センチの隙間があった。


その数平方センチメートル部分が冷えていた。


妙に冷えに敏感になっている。



風呂に入る時、

やけに寒くてヒートショックがヤバいと思ったほど。


体感温度マイナス2度だったか。


どうりで。



週に何回洗濯する?


ほぼ毎日。


ジムやランニングや登山に行った日は1日2回する時もあるほど。




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「キングダム 第78巻」


ようやく韓を滅ぼしたと思ったら、

再び戦争の準備。


そして開戦。


すると動きが異常に早い。


一気に死んだ?


さすがに手強い趙の李牧。


余談:

史実を知っているとこの戦争がどうなるのかが分かる。

それは内部の分裂により崩壊して行く。

秦よりも遥かに優れた知将がいてもダメなのだ。

無能な味方、卑劣な味方がいたら最後、崩壊する。

その兆しが凄く見えて来たのが78巻だった。



移住するなら暑い国?寒い国?


暑いのが苦手なので寒い国。


しかし南の島なら良いかも知れない。


(^^;;


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夢を見ていた。


母と妹と3人でロンドン郊外らしき場所を歩いていた。


道がやけに広く、

ここは本当にイギリスか?と思っていた。


母と妹は目的の店があるらしく、

ウキウキしていた。


ふと気付くと私は逸れてしまい、

1人になっていた。


しまった、全然分からないぞと思うも、

腕時計を見たらGPS搭載型で、

これなら大丈夫だと早速マップを起動させた。


しかしエラー表示。


これはダメだと諦める。


そのうちにやたらとトイレに行きたくなり、

探すと公衆トイレがあり入って用を足そうとしたら、

子供が来て、ボクがしたいのに、と言う。


便器は沢山あるので、ほらそこにもあるよ、と言ったら直ぐに子供はトイレに向かった。


私も用を足し終わるも、

何故かまだダメ感がある。


しかし周囲はいつの間にか大勢の子供がいた。


ここは日本人用の小学校だったか、

トイレどうしよう?と思ったところで目が覚めた。



ドラマ「ばけばけ」と高石あかりさんについて

 

≪恋愛とユーモアが決定的に違う件≫

 

私達日本人は生まれてからずっと日本人をしているので、

日本的なる物は全て当たり前だと思い込んでいる。

 

だが、意外にも人生の中でも最重要とされる物が諸外国、

特に欧米諸国と決定的に違っている面もあり、

知ってから非常に驚くケースがある。

 

これは外国語を学んでも全く理解する事が出来ないし、

そう簡単に克服も出来ないから厄介極まりないのである。

 

それが副題に掲げた「恋愛とユーモア」だ。

 

NHKの朝ドラ「ばけばけ」では外国人男性との恋愛結婚を描いているが、

このドラマで非常に考えさせられるのがヒロインの高石あかりさんの演技となる。

 

実は最初から何かがかなり違うと思っていた。

 

しかも決定的に。

 

先ず最初に押さえておきたいのは、

実は私自身も歳を食ってから知って非常に驚いたのだが・・・・・

 

「フランスには告白の文化がない」と言う驚くべき実態だ。

 

日本人の恋愛とは、

「ある日突然の告白」から幕を開けるケースがほとんどかと。

 

口を利いた事もない「先輩」に女子は突然告白しがちだ。

 

男子も男子で口を利いた事もない「マドンナ」に突然告白する。

 

これ、フランスでは有り得ないらしい。

 

彼らはデート文化の中で生きていて、

気になった人は直ぐにデートに誘い、

自分と合うのかどうかを探ると言う。

 

ちなみに恋愛後進国(今や恋愛困難時代でもある)の日本においては、

デートが目撃された時点で付き合っていると見做されてしまう。

 

この後進性。(大苦笑)

 

この事を以前ブログに書いたら、

アメリカの某州に暮らしている日本人女性から、

「私の暮らす州にも告白文化がない」

と教えてくれて、

それまで普通だといい歳になるまで信じ込んでいた恋愛観が崩壊した。(笑)

 

と、ここを押さえた上で、

最近やたらと頻出している、

イギリス人女性と付き合っていた日本人の友人が再び登場する。

 

その金髪青目の彼女に何度も言われた事があるのだが。

 

「どうして日本人は会話の時にユーモアを全く言わないの?」と、

ちょっと悲しそうな顔をして。

 

その日本人の友人は、間違いなく、

日本人の中ではトップクラスのユーモアを持つヤツだったのだが。

 

しかし彼女にかかると「ふつう」らしい。(笑)

 

その後の人生展開において、

私達日本人をからかう国際ユーモアの1つに、

「日本人は冗談を言う時に『これは冗談ですが』と前置きをする」

と言う、笑うに笑えない完全なる「真実」があるのを知った。(苦笑)

 

割と真面目な風貌していたイギリス人彼女は、

意外にもお茶目で面白い事をズバズバ言って来ていた。

 

この辺の感覚は日本人女性とは全く違っていて、

最初は随分と戸惑ったのも覚えている。

 

ちなみに私達日本人はユーモアについて勘違いしているケースが多い。

 

基本的に日本人女性は自らユーモアのある言動をしない。

 

聞いて朗らかに笑うタイプが明るくて感じがいいとされている。

 

しかし時折、日本人女性でユーモアを前面に出そうとするタイプがいて、

大きな勘違いをしてしまう。

 

日本の女芸人に特に顕著に見られるが、

「異様な見た目」「奇行」「奇声」「下品な言動」を頻発するタイプ。

 

これは欧米諸国のユーモアとは全く違う。

 

彼らは「言葉」を非常に重視するため、

日本の漫才とかコントとは全く違う、

「スタンドアップコメディ」なるものが人気だ。

 

普通の見た目の人が毒舌を駆使して、

言葉のみで大笑いをかっさらう日本では余り見ないタイプの芸となる。

 

そして実はコメディアンの地位も日本とは違う。

 

亡き父が映画「アマデウス」を観た時、こんな事を言っていた。

 

「サリエリ役の俳優が賞を獲ったが、

 実はあの映画で一番上手いのはモーツァルト役の若い役者だ。

 何故なら演技で一番難しいのは人を笑わせる事だからだ。

 真面目な役柄は意外にも難しくない。

 だが、人を笑わせるには天性の資質がないと無理なんだ。」と。

 

落語マンガ「寄席芸人伝」では、

この感覚を落語家の間では「ふら」と呼び、

それは天性の資質であって努力でどうこうなる問題ではないとしている。

 

そして悲しいかな、それは事実だと強く感じている。

 

イギリス社会の中に少しだけいた時、

ヤツらは生活の全ての中において、

ユーモアを最重要視しているのが嫌と言うほど理解した。

 

生まれてからずっとユーモアとかジョークとかエスプリの中で生きているのが、

欧米列強の真実の姿なのである。

 

ここで高石あかりさんの登場となる。

 

彼女は女優であり美人だ。

 

だが通常の日本人女性の美人とは、

ドラマの中では立ち居振る舞いが全然違っていた。

 

強い「ふら」を感じる。

 

美人なんだけど「ふら」がある。

 

これはなかなかに珍しい。

 

日本の女優の中で滅多にいないように感じる。

 

私達日本人は生まれてからずっと「ふら」は、

芸人以外は全く必要としていないから、

磨く事はほぼ有り得ないまま大人になって行く。

 

そしてほとんどの職業でもプライベートでもパーティーでも笑いは必要とされていない。

 

そもそも日本人女性にとって日本人男性からすると、

「ふら」はむしろ邪魔で要らないものの筆頭だ。

 

日本人男性は一般的に女性の微笑みは好きだけれど、

女性自身が放って来る面白さは不要であり、

むしろ嫌ってしまう原因の筆頭ですらある。

 

だからこそ高石さんの「ふら」の演技はドラマではギクシャク感があり、

何とも言えない味を出している。

 

この感覚、最近どこかで見たなと思い出したところ、

一昨年末のドラマ「下山メシ」において、

志田未来さんが冒頭魅せていた何とも言えない気まずい雰囲気に似ている。

 

言葉のやり取りが欧米のスタンドアップコメディとは真逆で、

思い切り不器用で、上手い言葉が全く出ないが、

何か面白いと言う、独特な日本女性の「ふら」。

 

これはある種のコミュ障だ。

 

「下山メシ」では主人公の女性が元々のコミュニケーション下手な設定であり、

「ばけばけ」では主人公のトキは本来なら武士の娘であり、

それなりの家に嫁げたはずなのに運命の悪戯で外国人と結婚してしまい、

モロにコミュニケーション障害の本拠地に叩き込まれる面白さと皮肉と。

 

ドラマの制作者が意図的なのかどうかは分からないが、

私は非常に巧妙に作られた「脆さ」を強く感じている。

 

それは、今のところ好意的に描かれている夫妻なのだが、

史実では実は、

「何が一番辛かったと言って、ラシャメン(蔑称)と呼ばれたこと」

と述懐している点にある。

 

ドラマで描かれている「ふら」は天性のものではない。

 

コミュニケーションギャップが作り出す滑稽さだ。

 

欧米諸国の魅せる言葉によるユーモアとは全く違う世界。

 

私達日本人は、言葉によるユーモアを知らない。

 

見た目の滑稽さを未だに面白さと勘違いしている。

 

それを敢えて際立たせる気まずさ。

 

これは意図的なのか偶然なのか。

 

全く私には分からない。

 

だが、面白い。