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東京・横浜物語

西麻布に生まれ育ち、現在は横浜に居住する筆者。
最近は不摂生で死にかけてからの復活劇と、
ダイエット、筋トレ、マラソン、登山関係の記事が多いです。

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冷酷なる芸術差別について:「大ゴッホ展」で強く感じたこと


意外にも私達日本人は自分のことを分かっていないケースは多々ある。


その中でも非常に分かり難い芸術差別について書いてみたい。


土曜日は上野の森美術館で「大ゴッホ展」を観て来た。


この時、大変な混雑だったのだが、

(入場に2時間、「夜のカフェテラス」の行列に約30分)

終始、非常に快適だった。


その理由は芸術空間が持っている、

非常に冷酷な選別作用にある。


芸術は平等を掲げながら、

実際には全く平等ではない。


この事は何度か取り上げている、

フランスの社会学者ブルデュー「ディスタンクシオン」に詳しい。


以前NHKの番組で解説した時、

「趣味とは属している社会的階層により決まっている」

と断言していた。

(図参照)


ここでは芸術を趣味とする人について書いて行く。


ブルデューは教養と資本を中心に区分けしている。


芸術を好む層をイコール教養(文化資本)のある人と見做している。


つまり人間とは4種類いる、と。


1.お金持ちで教養のある人

2.お金持ちで教養の無い人

3.貧乏で教養のある人

4.貧乏で教養の無い人


芸術に凝る人は、日本社会においても、

ほぼ例外無く、1か3に属している人しかいない。


では、教養とは一体何なのだろうか?


最近では知識をひけらかす嫌味なヤツ扱いをされているキラいがある。


しかし本来は豊富な知識や経験をベースに、

他人を幸福にするものでなくてはならないはずだ。


そんな教養の一つに芸術があり、

これはヨーロッパにおいてのみ、

極めて顕著に、中流以上の教養人が、

「社交として仕掛けて来る」極めて厄介なものだ。


日本国においては、金持ちがパワー動機を満たす口実にしているのも一部見られるが、

残念ながら芸術の世界を真に楽しむのは簡単ではない。


特に絵画でも音楽でも、古典になった途端に極めて難解になる。


いや、難解どころか、芸術を解さない者に強制させるのは非常に大きな苦痛を与えるものですらある。


冷酷で分かり易い実例を挙げよう。


アップした写真は私が撮影した、

ゴッホ「夜のカフェテラス」の本物だ。


これを観た時に何を感じるのか?


そもそもこれに何かを感じるためには、

貴方のこれまでの人生が問われているのである。


昔、友人がヨーロッパのその種の女性と付き合い始めた時、

私は紹介されて話をしたのだが。


それまで知っていた同世代の日本人女性とは全く違った事を話し出され、

度肝を抜かれた経験がある。


それが芸術社交だった。


これまで私の知る限りでは、

ヨーロッパ人の中流以上しかしない。


例外は少しあるが、

アジア人ではいない。


アメリカ人にもいない。


つまり、ヨーロッパ人の中流以上は、

階級社会でもあるからなのか、

冷酷な選別作業をプライベートでは初対面から仕掛けて来る。


これは非常に恐い。


何故なら、

「貴方は芸術を解する付き合うに値する人なのですか?」

と問われているのに他ならないからだ。


芸術の世界が極めて厄介なのは、

その難解さを打ち破った時に得られる報奨が大き過ぎる事にある。


そのうちの一つが恋愛だ。


ヤツらは芸術社交を駆使し、

共通の豊富で尽きぬ話題により親しくなり、

デートに誘い恋愛に発展させて行く。


これを仕掛けられた日本人女性はひとたまりもない。(笑)


日本人男性だと87%はポカンとする。(爆)


大混雑していた「大ゴッホ展」。


しかし私は久しぶりの大美術展の雰囲気に酔い知れていた。


違うのである。


雰囲気が全く違う。


芸術を解さぬ者には苦痛をもたらすこの空間は、

おかしなヤツらを全て、綺麗サッパリ排除するパワーがある。


特に古典になるとその威力は倍増どころか、

100倍くらい強くなる。


国立能楽堂や歌舞伎座の雰囲気はまさしくソレだ。


近寄る事すら許されないのである。(笑)


不摂生が原因で倒れる前の私は、

つまり5年以上前の私は、

間違いなくその空間にいた。


だから当時の記事と今の記事は全く内容が違い、

別人になってしまっている。


だが、本質的なところは変わってなどいない。


変わりようがない。


良くも悪くも私はその種のモノに価値を見出す生き方をして来ているから。


私の視覚は美術や星に敏感に反応し、

私の聴覚はクラシック音楽に敏感に反応する。


これは既に幼い頃には構築されていた。


そしてこれは間違いなく「3」に属している両親により強く意図的に仕掛けられて作り上げられている。


日本の社会は何故かアジア諸国の中では例外的に芸術に強い。


意外に知られていないが、

ヨーロッパの大美術館は、

収蔵する作品を他国に貸し出す場合、

実は無料だったりする。

(出典を忘れた。失礼。本で読んだ)


ただし移送費と保険が莫大な負担になるのと、

そもそも、どこの国のどの美術館にも平等に貸し出してはいない。


物凄く厳格な目には見えない超冷酷な差別が存在している。


ゴッホやフェルメール他、有名な画家のマスターピースは、

アジア諸国の中ではほぼ日本でしか開催されない。


理由は、日本以外の国では実績も信用も無いからだ。


極端な話、戦争状態の国に大切な国宝を貸し出す訳は無い。


美術に興味の無い、無教養な者が多い国に貸し出す訳は無い。


貸したら最後、帰って来ないおそれのある国に貸し出す訳は無い。


極端に、恐ろしいまでの選別作業が他ならぬ美術館は美術館同士で、

国まで巻き込んで行われている。


よく観察してみると、ヨーロッパの国々以外で、

大規模なヨーロッパの画家の美術展は、

アメリカか日本でしか開催されない。


私達日本人は、居ながらにして、

ヨーロッパの厄介で偉大な作品を鑑賞出来ると言う、

圧倒的に有利な芸術環境に暮らしている。


これは先代達が築き上げて来た誠実さと努力の結晶だ。


これだけは手放してはならない歴史の遺産であると思う。


芸術は人を容赦なく選別する。


しかし一度その世界に足を踏み入れたなら、

金や地位や肩書きは意味を失う。


美に屈し、それを理解した時にのみ分かる。


人は美の前でのみしか平等になれない冷酷な現実を。


酷く差別的であり、極端に平等な世界でもある。


だから大勢の人が「大ゴッホ展」や「フェルメール展」に大行列する。


そして面白い事にほとんどの日本人はこの冷酷な現実を知らずに嬉々として楽しんでいるのである。


これをユートピアと呼ぶ。(笑)


冷酷な余談:

私は5年以上前は、美術館、博物館、国立能楽堂、歌舞伎座にやたらと通っていた。

あるいはクラシック音楽のコンサートか。

そこでは当然古典芸術を鑑賞していた。

反対に映画館や現代の演劇にはほぼ行かない。

理由は明確にある。

誰にでも分かり易い世界は、

鑑賞を一発で台無しにするバカが頻繁に来るからだ。

映画館で隣にいたヤツがうるさい、などの話はやたらと耳にするし、自分も体験している。

だが芸術の世界では、皆無ではないが、1000倍くらいの違いがある。

だから私は映画館に行く時こそ最も緊張し警戒する。

反対に前述した美術館や歌舞伎座などは最も安心出来る場所なのである。