星野君の二塁打 | 東京・横浜物語

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「星野君の二塁打」

 

かなり昔、小学生だったのか中学生だったのか、

はたまた高校生の頃だったか記憶は定かではないが、

確か道徳の教科書?に「星野君の二塁打」と言うものが掲載されいた。

 

非常に興味深く読み、学校の授業で取り上げられた記憶はないのだが、

その内容は今でもよく覚えている。

 

スポーツ、特に日本のスポーツ部に関して色々と昔から思うところがあり、

考えさせられた内容だった。

 

WIKIにも載っていたのでかなり有名な児童文学らしい。

 

内容としては、星野君と言う強打者が少年野球団にいた。

 

だが大切な試合で打てないままでいた。

 

そうして非常に重要な場面において監督は星野君にバントを命じた。

 

だが星野君は何となく今度は打てそうな気がしていた。

 

そこで監督に「今度は打てそうな気がするんです。打たせて下さい。」と頼むも、

あっさりと却下される。

 

結果として非常に良い球が来た時、

星野君はヒッティングをする。

 

見事に二塁打となり、チームは勝利した。

 

だがその後のミーティングで監督は星野君に当面の試合出場禁止を命じた。

 

この問題について、当時の私は、

日本の学校における運動部には非常に大きな反感を持っていたので、

その軍国主義的な一面が見られる悪例だと思っていた。

 

つまり監督は絶対的存在であり、

まして野球部員は坊主頭にしなくてはならないと言う異常な世界であり、

そんな部活動を礼賛する親も学友も異常者の集団である、と思っていた。

 

実はこの感覚は今でもある。

 

日本のスポーツ部における活動にはかなりの異常性を今でも感じている。

 

だからと言って海外がいいとも思っていない。

 

この物語は軍国主義的な面を扱っているともWIKIにも書いてあり、

私は確かにそれを強く感じる。

 

非常に厳しい上下関係。

 

監督と部員、先輩と後輩、この絶対的関係は私達日本人に極めて大きな影響を生涯に渡ってもたらす。

 

現在の私は部活動を必ずしも悪いものとしては考えていない。

 

むしろ若い頃に肉体を厳しく鍛えて行くのは人生における最大級の宝物である、

とすら思っている。

 

だが精神における感覚には未だに悩む。

 

秩序と自由の問題は究極の場面において生死に関わる重大な事態となる。

 

例えば戦争の時、上官の命令は基本的に絶対である。

 

しかし死ぬと分かっていても突撃しなくてはならないのだろうか???

 

たった1つしかない命を命令で落としてもいいのだろうか???

 

「星野君の二塁打」は突き詰めて行くと非常に恐ろしい究極の問題に突き当たる。

 

野球の問題として考えれば、話は簡単で、監督の命令に背くとは何事か!となるが、

チームがもしプロであるのなら、監督を超える存在であるオーナーにしてみれば、

二塁打を放った星野君は間違いなく英雄になる。

 

監督や上官の命令を常に優先させると言う考えは明らかにおかしい。

 

現場の判断も非常に大切なのは間違いない。

 

さらに命のやり取りをする戦争において考えてみると、

「星野君の二塁打」は結果良ければ全て良しであるから、

間違いなく星野君はここでも英雄となる。

 

ちまちました作戦により味方を危険に晒した監督(上官)こそが悪い、となる。

 

もちろんこれはスポーツを扱った問題なので、

あくまでもスポーツとして考えるべきなのであろう。

 

ちなみにサッカーやラグビーと言った競技は高度な作戦はあれども、

乱戦となるため野球ほどの絶対性は感じられない。

 

実際、ラグビーでは監督はベンチにすら入れないと言う。

 

試合は選手達のもの、と言う精神が根付いているかららしい。

 

サッカーは野球とラグビーの中間点くらいのイメージがある。

 

ここではその良し悪しを問うものではない。

 

「星野君の二塁打」はあくまでもスポーツとして考えたら、

今でも星野君が悪い、となるのであろう。

 

だが、勝てた選手は間違いなく喜んでいるはずだ。

 

結果が重要なのか?

 

過程が重要なのか?

 

こう言った問題も出て来る。

 

いずれにしても「星野君の二塁打」が持つ意味は令和の時代においても何とも考えさせられる。

 

今はメジャーリーグで大活躍している日本人選手も多い。

 

アメリカの野球のルール変更はかなり大胆に行われているように感じる。

 

欧米系の連中はルールを絶対視していない。

 

変だ、都合が悪い、と思ったらどんどん変更して来る。

 

欧米人が「星野君の二塁打」を読んだら何を思うのか?などと言うのも興味深い。

 

この問題において、今の私はそう簡単にこうである、と言う結論は持っていない。

 

反感、共感、何とも複雑に入り乱れている。