ランニングとの出会いとブルデュー「ディスタンクシオン」的考察 | 東京・横浜物語

東京・横浜物語

西麻布に生まれ育ち、現在は横浜に居住する筆者が、
色々語って行くブログです。

#ダイエット#筋トレ#ランニング#登山#富士登山#クラシック音楽#美術館#能#マラソン#ジム#横浜#東京#バッハ#アート#フィットネス#山登り#トレッキング#クライミング#ボルダリング

「ランニングとの出会いとブルデュー『ディスタンクシオン』的考察」

 

以前していたランニングを長い中止期間が経過してから再開して、

間もなく3年になろうとしています。

 

そもそも私は長距離走は苦手だし大嫌いでした。

 

何故こうもするようになったのか?を考える時もあります。

 

明らかなのは20代後半に通っていたドイツ語教室にいた中年の女性ランナーのお陰でした。

 

非常に明るく積極的な凄いランナーで皆を誘い始め、

クラスでは徐々に参加する人が多くなっていました。

 

当初私は長距離走が大嫌いだったので断っていましたが、

何となく心を動かされたのもあり、

一度行ってみたのでありますが。

 

想像以上に非常に面白い世界で、

やってみようと思い立った経緯があります。

 

おそらく2~3年くらいは続けていたと思います。

 

しかし結婚を機にドイツ語もランも辞める事になり、

その後は運動とはほぼ無縁の生活になっていました。

 

以前NHK100分de名著でブルデュー「ディスタンクシオン」と言う、

ほとんど知られていない本の紹介がありました。

 

これは非常に衝撃的な内容で、

要するに普段私達が好んでしている様々な趣味と言うものは、

偶然好きになったのではなく、

社会学的階層と無縁ではない、と言う驚くべき内容でした。

 

分かり易く言うと、

金持ちだけどバカが凝る趣味、貧乏だけど教養人が凝る趣味、

貧乏でバカが凝る趣味とは明確に分けられている、と言うもの。

 

例えば喫茶店である音楽が流れて来たとします。

 

ある人はその音楽を聴いた瞬間に運命の一曲に出会えたと感じます。

 

この偶然の出会いに感謝する、と。

 

しかしブルデューはこの出会いは偶然なんかではない、と言い切って来ます。

 

例えばその一曲がクラシックだった場合。

 

そこに運命を感じるには、生まれ育ち、教育、教養、

経済力、親の資質等々、様々なハードルがあって、

要するにクラシック音楽を聴ける下地や素養を持っていない限り無理なのだ、

としています。

 

事実、同じ場所で同じ曲が流れても運命の一曲どころか何も感じない人も普通にいます。

 

番組で使われていた図はブルデューの暮らしたフランスのものですから、

日本人には理解出来ない物も含まれています。

 

特に図の左側のル・モンド、ブーレーズ、ル・ヌーヴェル・オブセルヴァトールは、

知らない人の方が多いと思われます。

 

要するに金はかからないけど、

ちょっと格式のある小難しい物としたら分かり易いかと。(笑)

 

問題は「ランニング」「マラソン」と言うスポーツをする行為が、

ブルデュー社会学ではどの層に位置付けられるのか、となります。

 

直ぐに分かるのは、ランをするのに資本は必要ありませんので、

図の右側でないのだけは確かです。(笑)

 

図の左側か下側か。

 

なかなかに難しい区分けになるかと思います。

 

このいずれになるのかは確かなところでして、

私の本来の趣味を考えると極めて合致しています。

 

バッハと言う教養系金無し趣味か、

釣りと言う無教養金無し趣味を持っているので、

間違いなくランニングはこのいずれかと。(笑)

 

そして私は幼い頃から改めてスポーツは嫌いではなかった、

と言うのが良く分かりました。

 

スポーツ嫌いはそもそも走ろうなどと絶対に思いません。

 

全てのスポーツの基本と言ってもいいランニング。

 

図のどこに位置しようとも、

スポーツ嫌いには出来ない趣味であるのは間違いないところです。

 

従って幼い頃から何らかのスポーツに親しむ生活をしていない限り、

いきなりは難しい趣味であるかと思います。

 

私がリアルに知っている限りで言うと、

幼い頃からスポーツ嫌いで大人になってからハマッている人って、

いるようでいません。

 

スポーツ嫌いは一生スポーツ嫌いで行く可能性が高いと感じています。

 

ましてランニングは苦痛だけのイメージが非常に強いスポーツでもあるため、

スポーツ嫌いがやる確率は相当低いとも思っております。

 

私が何故今ランニングをしているのか。

 

これは確かにブルデューの論は正しいように感じます。

 

偶然ではなく、元々スポーツが嫌いではなく、

ハマる要素はあり、

そうして出会うべくして出会い始まったのだ、と。

 

実際、同じクラスにいた人でも参加しない人はいましたし。

 

この論はかなり冷酷にも思いますが、

何となく普段から思っていた事を、

一気に白日の下に曝け出して来た感があって小気味良さもあるかと。

 

経済資本と文化資本の問題で言うと、

周囲でマラソン好きを眺めてみると、

意外に教養人が多いのが分かります。

 

ちなみにランニングを始めても続けられない人も多く、

実に68%が半年も継続出来ないと言う統計があるほどです。

(2016年、日経ビジネス、有森裕子)

 

ランを続けるにはそれなりに戦略的に臨まないと難しいと強く感じます。

 

ノーベル賞を受賞した山中伸弥教授を筆頭に、

意外にも文化人が多いので、

図の左側に位置するのではとも思います。


いずれにしてもランニングの世界はお金が基本的にかかりませんし、

身体は健康になりますし、

精神的にも無敵感が得られますし(笑)、

とても面白いと思っております。


そしてまさか歳を食った今再開し、

さらに20代よりも明らかに上達したところも気分がいいです。


(^ν^)