アルコールハラスメントの本質的な問題 | 東京・横浜物語

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西麻布に生まれ育ち、現在は横浜に居住する筆者が、
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「アルコールハラスメントの本質的な問題」

 

ポイント:お酒の世界は想像以上に強大で、

     強固で完全な価値体系が構築されている。

     それは1人の人格を完全否定するくらいの威力がある。

 

昭和時代に盛んに行われていて、

死者まで続出していた一気飲みなる愚行はともかくとして。

 

改めて現在でも問題視されているアルコールハラスメントについて考えますと、

本質的なところにあるのは、

「酒が飲めない者に対する蔑視」にあると非常に強く感じています。

 

あくまでも私的な体験なので例外は多々あるようですが、

ヨーロッパの白人は遺伝的にほぼ100%アルコール分解酵素2つ持ちなので、

また身体も大きいためなのか、

一緒に飲んだ時に、いわゆるアルコールハラスメントを体験した事がありません。

 

飲まなくても個人主義が徹底しているためか、

他人の酒量にいちいち口を出して来ません。

 

あくまでもマイペースで飲んでいるように見えました。

 

また、職場の人と飲む習慣がほとんど無いとの事で、

その意味でも日本のような酒席は少ないと思われます。

 

反対に、約半数しかアルコール分解酵素2つを持たない、

世界で一番酒に弱い日本民族と一緒に飲むと、

酷いアルコールハラスメントを受け続けます。(苦笑)

 

このアルコールハラスメントは男でも女でも、

手を変え品を変え、実に巧妙に行われています。

 

個人主義に抵抗があるためなのか、

ともかく他人の酒量を徹底的に気にして来ます。

 

差しつ差されつ、なる言葉もありますように、

他人の酒が無くなったら注ぐ習慣までご丁寧にあります。

 

鬱陶しい事この上ありません。

 

さて、私の亡き父は凄く酒が好きでした。

 

従って私の物心がついた頃から既に非常に激しいアルコールハラスメント言動を繰り返していました。

 

ただし他人に対してアルコールを強要するような事は一切なく、

むしろその種の人を軽蔑していましたが。

 

が。が。が。

 

自宅では「酒が飲めない人を徹底的にバカにしていました」。

 

「アイツは酒も飲めないヤツだから」は口癖でした。

 

人と親しくする基準が酒にあったと言っても過言ではありません。

 

私は検査をしたところ、アルコール分解酵素2つ持ちの、

いわゆる呑める口なのが分かっていますが、

強い訳でもなく、また酒が好きな者でもありません。

 

父からすると私は酒が飲めない者に見えるらしく、

「酒も飲まないようなヤツが偉そうな口を利くな」が口癖でした。(苦笑)

 

「男が行きつけの飲み屋の1つや2つ持っていないでどうする?」

も立派な口癖でした。(苦笑)

 

お酒の世界が持っている価値観は、

前述しましたように想像以上に強大だと感じています。

 

個人主義が認められない日本においては、

他人と同調するのを良しとされるため、

楽しい酒席で飲まないヤツなど人間扱いされないケースすらあるかと。

 

約半数が酒に弱いか飲めない遺伝的体質を持った我が日本人ですが、

酒に弱いからこそなのか、

酷いアルコールハラスメントが未だに横行していると思います。

 

私は少しイギリスにいた頃は、

パブは凄く快適であり、

好きな場所の筆頭でした。

 

しかし日本に戻り、

酒席に行くのは苦痛でした。

 

酒くらい自分のペースで飲みたいし、

体調不良の時は食事だけにしたいし。

 

まして他人の酒量など気にもしたくありません。

 

相手の酒が無くなっていたら大罪のように振る舞う日本の酒の飲み方。

 

どうかしていると、ずっと思っています。

 

身体を思い切り壊して以降はお酒の世界とは疎遠になっておりますし、

おそらく最近はアルハラなる言葉も出て来たため、

少しはマシになっているとは思いますが。

 

日本社会の中では半数の酒飲みと言う存在と、

半数の酒に弱いか飲めない存在。

 

数は拮抗しているのに何故か酒飲みの言動が異常に幅を利かせています。

 

この理由は、亡き父の言葉に隠されていると最近強く感じています。

 

「人間の楽しみの基本は酒と歌と踊りに決まっているだろうがっ!!」です。

 

確かに令和時代の今でもそんな印象があります。

 

様々な行動パターンはありますが、

何をするにせよ、最終的にみんなでちょっと一杯と言う行為はそう簡単に否定出来ません。

 

つまり酒とは楽しい事の筆頭だと言う思い込みがある訳です。

 

飲まないヤツ=楽しい事をブチ壊しにするヤツ

 

これが日本社会の半数に過ぎない酒好きの論理になる訳です。

 

後の半分はもちろんそうは考えていません。

 

飲み会=鬱陶しい避けたい行動の筆頭として考えてます。

 

実は最近、久しぶりに飲まないか?と酒好きに誘われたのですが、

最近の私はソーバーキュリアス体制を築いておりますので、

「飲むのは嫌。登山かランニングかジムでのトレーニングしようぜ」と言ったら、

即座に断られました。(笑)

 

今まで私は散々亡き父からアルコールハラスメント受け続けて来たのに気付きまして、

今後はアルハラにはエクササイズハラスメントで対抗したいと思っております。

 

一緒にジム行こうぜ、と。

 

徹底的に酒飲みの精神をスポーツで叩き直したいと目論んでおります。(笑)

 

(^W^;v

 

余談:耐性形成について

以前にも書きましたが、非常に重要な事なので切り口を変えて再び書きます。

お酒を飲み始めると、最初は少量でも直ぐに酷く酔っ払います。

しかし習慣化して来ると少しの酒では全く酔わなくなります。

この段階を耐性形成と言います。

世の中の酒飲みの全てはこの耐性形成の段階を非常に好意的に解釈します。

ようやくオマエも「強くなって」一人前の呑み助になったな、と。

しかしこの段階は既に身体がアルコールに必死になって対抗しようとしている危険な状態であり、

一歩間違うとアッと言う間にアルコール依存症になる段階です。

少量の酒で酔うのは耐性形成まで行ってないので歓迎すべき状態なのですが、

世の中の酒飲みはそうは考えないので厄介極まりません。

何故か大量に飲むのを良しとします。

酷い話であります。