「3.11と体力の口先人生」
テレビでニュースを見ていたら東日本大震災についてやっていて、
ちょうど13年前だったのかと色々思い出しました。
横浜地方は震度5強だったので、
大きな被害は出ませんでしたが、
全ての交通機関は止まり、停電も起こり、
未曽有の事態になりました。
この時に初めて帰宅難民なる言葉が出て来て、
帰れなくなる人が続出し、
また道路と言う道路が自動車で埋め尽くされて麻痺状態になりました。
さらにアッと言う間にコンビニやスーパーから食料が姿を消しました。
非常に印象的だったのは、
普段から登山をして鍛えている人は都心から横浜市の自宅まで難なく歩いて帰り、
全く運動していなかった人は同じように都心から帰宅を開始したのですが、
途中の鶴見で力尽きた例があった事になります。
当時、私は東日本大震災以前から災害対策の書庫を持ち、
盛んに情報を交換していました。
その頃の私は50kmを歩ける体力が欲しいと言ってはいましたが、
口先だけで特に努力をしていた訳ではありませんでした。
都心の学校に通う娘を迎えに行き、
徒歩で往復出来る体力をと言うのがその根拠でした。
この時に明らかにされたのは、
普段から鍛えていない人は、
都心から横浜までの25km程度すらも歩き切れない、
と言う冷徹な現実でした。
ではその後、私は改心して何らかのトレーニングをしていたのかと言うとさにあらず。
その頃は既に芸術三昧の生活が定着していて、
また、これは別記事で詳しく述べますが、
「ウォーキング」はやたらとしていたので、
自分はそれなりに体力があると思い込んでいたのであります。
実のところ本心では「都心までの往復は出来る」と根拠もなく思っておりました。
いや、根拠はありました。
体力指標と言うのはかなり分かり難く、
休日に20,000~30,000歩を難なく歩いていると、
自分は凄いと思ってしまいます。
普段からこれだけ歩いているのだから、
きっと歩けるはず、と思い込んでいたのであります。
ウォーキングについてのこれ以上は別記事にしまして、
1つはっきり言えるのは、
普段から何らかのスポーツをしているか、
(ウォーキング以外の)トレーニングをしていない限り、
加齢と共に悲惨な体力に落ち込んでいると言う冷徹な現実です。
それどころか、
不摂生な生活をもししていた場合、
具体的に言いますと、
当時の私のような、これだけ歩いているんだから、などと言い訳しながら、
大盛飯を食らい、酒を飲んでいたら、
非常に早い段階で破滅がやって来ます。
それが数年後なのか10年後なのかは個人差がありますが、
私の場合は、それでもやらないよりはマシなウォーキングを盛んにしていたのもあったのか、
破滅は10年後にやって来たのであります。
災害対策とは、健康があって初めて生きて来るものであり、
病気やケガをしていたら最後、
もちろん走って津波から逃げる事など出来ないのは当たり前であり、
子供を迎えに長距離を歩くのも不可能であり、
さらには避難生活では早い段階で限界を迎えてしまうでありましょう。
何らかの形で普段から鍛えていて、
体重や体脂肪、コレステロール、塩分、糖分等々、
全てを標準にキープし、健康状態にしておかないと、
震災の悲劇度は一気にアップしてしまうのは昨今起こった大地震の現状を見れば明らかであります。
ちなみに今から3年半ちょっと前の私は、
医師から末期ガンの可能性を指摘されていましたので、
災害対策以前の問題であり、
早い話、大地震の前に病気で死ぬぞと言われていたのであります。
つくづく今の私が思うのは、
普段からの健康が一番大切であり、
それを蔑ろにする行動は最悪なのですが、
意外にも気付きにくい面がある現実であります。
やはり飲酒や大食いと言う誘惑があるため、
そこを抑えて普段から節度ある生活と言うのはなかなか出来ない、と。
そうして以前から書き溜めていた記事の1つ、
ウォーキングについて切り口を少し変えた話題をアップしたいと思います。
(登山トレーニングにからめた記事になります)
終わり
余談:
3.11の時、普段は外出を滅多にしない、
父と母、娘は外出していました。
この時に安否確認が直ぐに出来ず、
非常に焦ったのを鮮明に覚えております。
電話が輻輳状態となりほとんど繋がりませんでした。
当時はまだスマホ時代ではなく、
ガラケーで何度もかけ直していました。
あれから13年が経過していますが、
今年の能登半島地震においても電話の状況は余り当時と変わらないようで、
復旧には何日かかかるようです。