「20歳頃の自分にケリをつけられるのか?」
20歳の頃、私は丹沢バカ尾根の中腹でリュックサックを放り出し、
登山道に仰向けになって倒れ、空を見ながら肩で息をしていた。
バカ尾根・・・正式名称は大倉尾根
だが大倉尾根と呼ぶ関東圏の登山愛好家はいない。
バカみたいにキツいからバカ尾根と呼ぶ。(笑)
登山道の入口には「富士山や北アルプスと同じくらいキツい」と明記してある。
ちなみに最新鋭のコース定数で調べると、
バカ尾根越えの丹沢主脈縦走になると、
富士登山の吉田ルート(コース定数42)を軽く上回り、
「55〜60」と言う数値になっている。
これは富士登山最難関の御殿場ルートと同じだ。
さすがにビビッているので、
神奈川県警の山岳救助隊に電話して意見を伺ったほど。(笑)
ちなみに山岳救助隊の意見でも丹沢主脈縦走は富士登山最難関の御殿場ルートと同じ累積標高を持つと言われた。
一応当方は遅いながらもフルマラソン42.195kmは走れ、
富士登山は吉田ルートと富士宮ルートから登頂していると伝えたら、
「バカ尾根を越えて一気に最高峰の蛭ヶ岳まで行けそうに思う。
しかし心配なら途中の丹沢山で1泊したらどうか?」
とのアドバイスをもらった。
非常に良いアドバイスだと思い、
そうする事にしている。
もちろん歳を食ってからの単独行なので、
ここはしっかりとフルマラソン能力を再確認してからでないと無理だ。
20歳の頃・・・・・
それまでオートバイや自動車を乗り回していて、
突然このままではいかんと思い立ち、
余り深く調べないでバカ尾根登りをして、
本当に死ぬかと思った。(笑)
しかも当時は運動などまるでしないで、
若いから大丈夫と言う若者特有の傲慢さでやって来て、
見事に酷い目に遭った訳だ。(笑)
しかし若さとは凄いもので、
最後の方は10m登ってリュックを放り出し、
10m登ってまたリュックを放り出しを繰り返し、
何とか塔ノ岳頂上に立ち、
再びバカ尾根を下り、夜になってから麓に着いた。
この頃から用意だけは周到だったので、
暗い登山道を強力なライトで照射しながら何とか下山は出来た。
それ以降、バカ尾根登りはトラウマとなり、
ヤッていない。
それでも一昨年、富士登山に挑戦した時、
前哨戦として表尾根縦走からのバカ尾根下りは何とか辛勝した。
歴代の丹沢登山の中では一応一番楽に表尾根は登れた。
バカ尾根下りも何とか膝も腰も無事のまま出来た。
もちろんメチャクチャ疲れたが。
だが今度の登山は丹沢主脈縦走。
バカ尾根を越えたら主脈線に入り込んで行く。
むしろバカ尾根を越えてからが勝負となる。
一昨年はコース定数42の富士山吉田ルートでも充分死にそうになったのだが。
その時のランニング能力は35kmだった。
昨年、コース定数40の富士宮ルートから登頂した時はランニング能力がフルマラソン42.195kmになっていたのもあるのか、
麓に下りて来てからもかなり余裕があった。
そこそこ進化しているため、
間もなくフルマラソン能力さえ再確認出来れば、
トラウマのバカ尾根登りに再挑戦しても大丈夫だと思うのだが。
何よりこの間に富士登山を2つ獲れているのは大きな自信にもなっている。
しかし明らかに今までの登山とはレベルが違っている。
先ずはバカ尾根を登り切り、
その後、主脈線に突入して丹沢山まで行けるのかどうか。
勝負は初日に決着がつく。
バカ尾根で力尽きたらハイそれまでよ、となる。
一昨年のバカ尾根下りを思い出す。
長いんだ、バカ尾根。
物凄く、長い。
信じられないくらい、長い。
一昨年、バカ尾根を下りてる時に確信したのは、
「これは絶対に登れない」だ。(笑)
しかしバカ尾根を越えられない限り、
富士登山の御殿場ルート(コース定数60)や北アルプス表銀座縦走(コース定数89)など出来る訳はない。
老いてからのバカ尾根攻略は一筋縄では行かない。