りん散歩、古河公方公園で「古河桃まつり」を楽しんでいます(2026年3月20日に歩きました)。

古河桃まつりの運営本部前で
古河桃むすめさんを撮らせていただきました。
場が華やかになりますね。
「古河桃まつり」は今年で50周年。記念の年に訪れて良かったです。
私が訪れた時は濃いピンクの「矢口」がほとんどでしたが
その後紅白の花桃の品種「源平」も咲いていたそうです。
夜間にランタンのイベントもあったそう。

そして、ガマの油売りのパフォーマンスも。
こちらは古河総合公園の桃林の由来の碑。
江戸時代に入り、江戸で幕府の要職として働いていた古河藩主・土井利勝は領内で薪が不足していたことを知り、江戸から桃の種を古河へ送ります。
桃の木は成長が早く、枝が薪になるほか実も食べられるので領内で奨励されました。古河城付近は桃の木が多く植えられていて桃花の名所となり、明治時代には観桃会が行われるほど古河市民に親しまれました。
その後対象~昭和初期には病気により桃の木が激減。1973年に古河総合公園の計画が着手されるとそれを機に花桃が植樹されて現在の桃林になったそうです。

次いでこちらは桃花と菜の花の競演です。
ピンクと黄色の組み合わせで鮮やかですね。
いやあ、やはり晴れていたらきれい・・・は言わない約束でしたね。

でも両方撮ろうとするとなかなかピントが合わないのですよね。

そうにゃんも満足したかな?

のんびりとカモが気持ちよさそうに泳いでいます。

「トラエモン道」と書かれている石碑。
「こんにちは。ぼくトラエモンです」
・・・ではなくて「トラエモン」とはこの辺りの小字だそうで、「虎右衛門」という村役人に由来しているそうです。が詳細は分からず。

さて、そろそろ古河公方公園を後にしますか
と何気なくポケットの中に手を入れて確認すると
「あ!そうにゃんがいない!」
いつの間にかお供のそうにゃんが行方不明になってしまいました。ポロリとポケットから落ちて気が付かないまま進んでしまったようです。
でもさっきまで菜の花や桃の花と一緒に撮っていたしどこかにいるはずだ
「戻ってきてほしい」と思いながら、ひとまず今まで歩いてきた道を戻って探すと

あ!いた!良かった!
道の脇にごろんとねているそうにゃん。
おそらく歩いている道に落ちたのでしょうが、気が付いた方が脇の方へ置いてくれたのでしょうね。
どなたか分かりませんがとても助かりました。ありがとうございます。
これから気をつけなくちゃ。

そして古河公方公園を後にして歩き始めます。
気になっていた古河クリーンセンターの煙突。
マンホーラーであり、ごみ処理場煙突マニアですからね。
各地の煙突写真のコレクションもだいぶたまってきました。
煙突の周りにあるワイヤーのような飾りは何でしょうかね?調べたけど分からず。

のどかな雰囲気です。

大通りに出ると「ばんどう太郎」という、うどんやそばをメインにした和風レストランがあります。
古河総合公園に行く前の交差点でご婦人たちに場所を尋ねられたのがこのばんどう太郎さんでした。初めて来たのに道を聞かれましたが合っていて良かったです。
ばんどう太郎は千葉・埼玉・茨城・栃木で50店舗以上もあるチェーンなんだとか。
時間の都合で寄れませんでしたが、今度見かけたら食べてみましょう。

さらに進むと土手沿いの道になりました。

振り返ると渡良瀬川を渡るアーチの新三国橋があります。

階段があるので上って見ると

古河城本丸跡があります。

ほう、そうですか、と見るも土手の下には草っ原が広がるだけで特にこれといって城跡らしきものは何もないようです。
前に古河城は日光参拝時に将軍家も宿泊するくらいの格式高い城だという事は述べましたが
現在はほとんどその遺構が残っていません。
※Wikipediaより
かつてはこのように渡良瀬川沿いにあったようですね。
関東でも有数の規模だった古河城ですが、明治6年の廃城令にともない翌年には建造物が取り壊され、その一部は民間に払い下げられました。
その後、渡良瀬川の河川改修により流路を変えるため古河城の主要部分がほとんど破壊されてしまいました。
こちらのリンク先にかつての古河城の写真(明治3年ごろ)が残っています。
⑥に続く。