夏です。年々温暖化が進んで気温が高くなり、来週からは35度を越える本格的に異常な夏がやってくる気がします。まだ夏休み前ですが、今年も放課後、近くの海や川でこっそり遊ぶ子らが全国でいることでしょう。大人に隠れて川などで遊ぶのは、子どもらにとっては禁断の木の実を食べるのに似てぞくぞくした満足感を味合わせます。

 

川にはところどころに急に深くなって足の立たない場所があって、毎年少しずつ深みの様子が変わりますが、素潜りでそんな所に潜む鯉や鰻などを発見したりすると更に好奇心が掻き立てます。深みに住んでいる、めったに姿を表さない見慣れない魚たち。皆さん、あぶないですよ!

 

しばらく前に、マンションの火災警報装置がけたたましく全館に響きわたりました。入居して初めてのことで、火事はどこだろうと思わずドアを開けて玄関に出、階段の途中のバルコニーに立って、首を長く出してマンションを見渡しました。ここは中規模のマンションで私の階からは全体が良く見渡せます。しばらくすると、チラホラと人の顔が覗くのが幾つかの階で見えました。

 

だがどうも火事らしきものは近くにも離れた場所にも見えません。もしかしたら警報機の誤作動かもしれないと思って一旦は家に引っ込みましたが、念のためにと思って階段を降り、一階に着くと7、8人がすでに集まり、管理人が何やら謝っている様子です。やっぱり警報機の操作ミスだったようです。

 

改めて集まった人らを見ると、ほぼ初めて会う人たちばかりでした。中規模のマンションですが、長年住んでいても一度もお顔を見たことのない人たちばかり。これでは何かが実際に起こった時はきっと困るに違いありません。

 

そのとき心をよぎったのは、中に会ったことがない魅力的なきれいな人が数人いたように思えたこと。管理人は繰り返して謝っていましたが、時々誤作動か何かで、皆を一階のスペースに集めてくれてもいいかも知れません…。われらのマンションには、めったに姿を現さないこんな美人が住んでいるんだと男たちは心のひそかな楽しみを持てるかも知れません。

 

今は大都会の川はどこも遊泳委禁止で、川の深みで飛び込む子どもらの姿はまったく見かけませんが、今の深みは川でなくマンションにあるんです。中規模マンション、大規模マンション、高層マンション。あちこちに深みがありますが、それぞれの深みにどれだけ魅力的なお方がお住みなのか、本当のことを言えばマンションの男の住人らはそんなことを考えながらエレベーターに乗ったり、階段を上り下りしたりしているんです。人の心にこそちょっと危ない所が潜んでいるかも知れません。禁断の実は21世紀でも人の心をくすぐります。

 

「人間の道は自分の目に清く見えるが、主はその精神を調べられる。」(箴言16章)

 

   7月18日

 短い出会いでも長く心に残ることがあります。新鮮な出来事であったり、心惹かれる場面であったり、日常を破るような一瞬であったりしたからでしょう。反対に、時間的にやたら長くても、あまりに長たらしくて心に留まらないこともあったりするものです。

 

 この間、例のようにウオーキングに出かけて、区境の静かな住宅地を通って台地に立ち、そこから見える森の樹々や洋風の建物や木間隠れに見えるフランス学園を見ながら、くねる階段を右手に降り、背の高い銀杏の木をまいて途中のベンチが見え始めた時、久しぶりにそこに人が休んでいました。行き過ぎようとして振り返るとどこか異国情緒を留める女性で、アレっと思いつつ、左に曲がって階段に向おうとしましたが、思い直して声をかけたのです。日本人は東洋人の人種のるつぼ的な顔をしていると普段から思っていますが、日本人にもそのような女性がいます。

 

 話しかけてみて、この若い女性はネパールから5か月前に日本に来たまだ18歳の女の子でした。長い名前を教えてくれましたが、ここではSさんと言っておきます。カトマンズから少し離れた所の出身で、両親は豚や鶏を飼い、稲作農業で生活しているとのこと。豚も鶏も日本語で言っても分からず、私は豚の鳴き方をまねたり、雄鶏の鳴くかっこうをして声高らかに鳴いて見せたので、Sさんは声をたてて笑って、そうだと言いました。片言の日本語ですが、本国で4年間日本語をネパール人から習ったそうです。東京で、今運送会社で働き、休みに日本語を習い、3人でシェアハウスで暮らしているとのこと。引っ込み思案な孫娘と同じ18歳ですが、勇敢にも誰も知人のいない国にやって来たことに甚く心打たれました。若いネパール人Sさんの目の動きや笑顔が遠く異国のヒンズーの国を思わせて私の胸に焼き付きました。

 

 この森の辺りは私の好きな所で、時間があると今日はあそこに寄ろうと思って、中央図書館まで出かけ、帰りは中央公園の森を抜けてここに来るのですが、公園のサンゴジュで囲まれた小さな広場の一角は必ず通るコースになっています。というのは、この一角に非常に背が高く、2本のケヤキが広々と高い天蓋を作って聳えているのを見ることができ、その天を衝く枝ぶりはなぜか私に勇気を与えるのです。

 

 もう一人も簡単に記しますが、心に留まる人。日本人ですが、私が腰掛けていた見晴らしのいい台地のベンチの隣りのベンチに来て、オレンジ色の毛吹きのポメラニアンを足元に放して休みましたが、そこに2人の小学生が連れ立って来てポメラニアンと遊んだので、彼女は彼らの母親だと思って見ていましたが、しばらく遊んだ子らはひと言も言わずに去って行きました。へえ!子どもらは知らない人でも、かわいい犬の所には親しげに寄って来るのだと知って、驚きながらこの女性に話しかけたのが話のきっかけでした。30代と思った女性は小学生の母親どころか二人の娘さんはもう大学生だそうで、年齢は40代後半かも知れません。警戒するかと思いきや何ら用心する様子もなく、馴れ馴れしくはありませんが会話は打てば響くように流れるように続いたのも驚きでいた。やや離れた家から遠出して、疲れてベンチに掛けたようです。犬の話に尽きましたが、トリートメントが高く自分の美容院を節約しているとか。私は警戒されないように気遣いながらの話でした。心に残ったのは、区境の人通りの少ない空き地にある二つのベンチなのに、あまり警戒心もなく自然な話し方をする人で、その自然な上品さと素直さに驚きました。別れ際に、スマホでかわいいポメラニアンを撮らせてくださいと言って女性も一緒に撮らせてもらったのですが、どっちを撮りたかったのか罪なき男とは言えません。ポメラニアンも素直で明るく社交的、毛並みのいい美人でした。「も」と書いてしまいました。やはり罪なき男ではないようです。

 

 最後にごく短く男性のこと、彼とは王子の音無親水公園の橋の下の河原で会いました。今はホームレスですが、以前は会社を経営していました。彼とは少し立ち入った話をして、社会への見方で大いに考えさせられました。

 

 「心を調べる方は見抜いておられる。魂を守る方はご存知だ。」(箴言24章)

 

   7月16日

 

 

こういう精神現象はあるのだろうか。それはいつ頃だったかはっきりしなくなったが、まだ両親と同じ8畳の和室で寝ていたのだから小学4年生の秋ごろかも知れない。あるいはもう少し後の5年生になっていただろうか。部屋がそれほど暗くなく、寝床の頭の側に障子と廊下と庭に面する雨戸があったと記憶するので、4年生になる春休みに引っ越した新しい社宅であったのは確かだ。

 

その頃私は、しばしば悪夢に襲われていた。悪夢というと夢の中で恐ろしい場面や縁起の悪いものにうなされるようなことを想像するが、私のは本当の夢でなく、はっきりと目覚めているのだが、目の前の情景が奇妙に波打ってしわしわになったり、ひん曲がって歪んだり、それが恐ろしく脅迫的なものになって見え、時におどろおどろしい仏像のようなものになって迫って来るのだった。いや、迫って来るだけでなく、目の前の場面が遥か彼方に離れて行くこともあった。この奇妙な精神現象は一種の幻覚だったのかもしれない。また、実際に外部から音が聞こえるのでないが規則的な気持ちの悪い音が迫って来て、眼に見える波打ったり歪んだりした場面と共に、その脅迫的な音で自分は圧倒されるのであった。

 

この精神現象は多い時は毎日のように襲われたし、週に一度は起こっていたのでないかと思う。短ければ30分程でおさまったが、時々どんなに意識を変えたり、それに抗って恐ろしい精神状態から脱しようとしてもにっちもさっちもいかず、1時間以上この悪夢に苦しみ悩まされる場合があり、一旦脱したと思ったのに再びこの悪夢に連れ戻される場合もあった。

 

私はこの精神現象のことを誰にも言わず独りで戦っていた。最初の頃は軽かったし、すぐによくなったので高をくくって遊びのように思っていたが、だんだんとこの悪夢から脱することができなくなり、それに悩まされて夜床に入るのが子ども心に恐しくなっていった。

 

そうしたある朝、目覚めたもののこの悪夢からなかなか脱することができず、布団の上に坐っても、体をつねっても何をしてもやみそうになく、困り果てて精神的に狂いそうになり、これが気が狂うということかと自分の発狂を恐れた。それで台所から戻った母に、今、部屋の中が波打って歪んでいるのでないか、そういう風に見えないかとすがるような気持ちで初めて尋ねたのだ。ところが母は、普段とちっとも変っていないよとのんきな顔で私に言って、私がこれほど苦しんでいるのにまた部屋から外に出て行ったのである。

 

私が人間の孤独を感じたのはその瞬間であった。人は独りだ。誰も私の内面を理解できないと少年の私は自覚した。一番自分を理解している筈の母が私に起っていることをまったく理解せず、私はこの世にただひとり置き去りにされている気持ちになった。

 

それと共に、自分はすっかり気が狂って何も分からなくなり、自分でも自分が分からなくなる日が来るかも知れないが、それでも、自分が狂ってこんな状態になって置き去りになっても神だけは知っておられるだろう。絶対者が知っておられるならそれだけでいいと一瞬のうちに思ったのである。

 

当時はまだ悟りという言葉を知らなかったし、絶対者などという難しい言葉を知っていた訳でなく、キリスト教に触れてもいなかったが、今思えば、それは少年の心の核心部分に起った神の前での悟りのようなものだったと思う。

 

それから幾年も歳月が経ち、やがて詩編の、闇の中でも見ておられる神、私が知る前に知っておられる神、弱い時に強い信仰と出会ったが、あの少年時代の長く続いた恐ろしい日々の中で起こった出来事が、その後のわが身に信仰という形で起こるとは少年の私はよもや思わなかった。今では、たとえ自分が重度の認知症になり、自分の名前も分からなくなっても、神はその自分をご存知だと確信するようになった。すっかり母に委ねて熟睡している幼児のようであっていいのだと思っている。

 

悪夢はその後も高校時代まで続いた。授業中さえ嫌な音が襲って来たり、目の前の景色がぐしゃぐしゃにしわくちゃになったり、教壇にいる教師が遠く離れた所にいるような奇妙な見え方になったりした。だが今はどんなことが起ろうと大丈夫であった。たとえ気が狂っても、このことを知ってくださる神がおられると思うと心は落ち着いておれたからである。そして思いがけず青年時代に信仰に導かれたが、やがていつの間にか恐ろしい悪夢はすっかり消え去ってしまっていた。

 

「闇の中でも主はわたしを見ておられる。夜も光が私を照らし出す。闇もあなたに比べれば闇と言えない」(詩編139篇)

 

難民とか難民キャンプという言葉がよく聞かれる時代です。世界で1億3000万人をはるかに越えたのですからこれは当然のことです。ただ難民という言葉をひんぱんに使う日本人であっても、難民と呼ばれる人たちが実際にどんな中でこれまで住み慣れた家を後にし、ほぼ何も持たず、どんなふうに国境を越えて外国に逃げたのか、よく知らない中でこの言葉を使っている場合が多いと思っています。という私自身が、家をそのまま後にして、難民となって国外に逃げて行く人々の実際の姿がよく分かっていません。

 

それを初めて教えてくれたのが、知人のボゼナ・セインさんでした。ポーランドの東部の住み慣れたヴォリン郡シュトン村で農場を経営していた両親は、ポーランド西部から侵入したドイツ軍を逃れて、毎日一夜の休みと食糧を求める難民たちに食事を作って迎えていましたが、そこへ不可侵条約を破って、東からソ連軍が突然ポーランドを侵略して住民をソヴィエトに強制移送。生後数か月、ゼロ歳で、若い両親はたった25分の猶予を与えられ最小限不可欠と思えるものをできるだけ持ち、家畜移送用トラックに乗せられて零下40度になるシベリアのアーチャンゲルに移送されて難民生活を経験しました。その後、各地で様々な厳しい試練とまれに素晴らしい親切も経験しながら、2年半かかってウズベキスタン、タジギスタン、イランなどをさ迷いながらインドに着くのです。そして10年かかってオーストラリアのシドニーに着きますが、その間に両親が離婚するという生涯拭うことができないトラウマも経験しました。

 

彼女が書いた家族の歴史は、驚くほど悲惨な事実を伝えていますが、それと共にユーモアとウイットに富む彼女の筆致は素晴らしく、シドニーに至って少女時代を過ごすまで続いていて、15年ほど前にいただいたものですが、今もときどき繰って読み返しています。

 

それでも難民についていたって無知な私ですが、最近あるところで知り合いになったある方が勧めてくれた「マルカの長い旅」を読んで、目から鱗が落ちるような気がしました。これは実在の人物をもとに、ドイツ人作家のプレスラーが想像を膨らませて描いた小説ですが、2011年度の高校の部・課題図書になった作品です。当時のポーランドとウクライナの国境近くの田舎、ラヴォツネで開業医をしている母ハンナと長女ミンナと次女マルカの七カ月の難民物語。彼らはユダヤ人で、ドイツ軍が迫るなか、まさに何も持たずに直ちに嶮しいカルパチア山脈をこえ、ドイツ兵やユダヤ人に偏見を持つ人々の目を避けて、道なき山道を辿って隣国に脱出する物語ですが、7才のマルカを信頼できるポーランド人に一時的に託したことから離ればなれになり、やがて母ハンナが偽造IDを得て勇気を奮い起こして地元に戻り、逮捕を恐れず勇敢にマルカを探し出すという息を飲む迫真のドラマです。後半は、ハンナとマルカの親子双方の視点で話が進んでリアルさが一層際立ちます。

 

恐らくこの課題図書を読んだ当時の高校生は多くの影響を与えられて、今30歳前後を過ごしているでしょう。私は、12月の章から最後までの旅の物語は、涙につぐ涙で、よくもこの訳者は多くの男どもを泣かせる女性に違いない(笑い)と思いました。恐らく知人になった訳者ご自身が、泣きながら、涙で文字が見えなくなりながら、感動で心を揺さぶられながら翻訳していたのでないでしょうか。

 

難民らのヒストリーはそれぞれ違って驚くほど多様であるに違いありませんが、難民のことを殆ど知らない私たち日本人が、難民の姿を知るために、ぜひ読んでおきたい1冊だと思いました。アッ、言い残したことが1つあります。昔、ユダヤ人はハイマート・ロス(故郷喪失の民)の民だと習いましたが、この本を読んでいて急にハイマート・ロスという言葉が胸に甦って来ました。

 

「ヨセフは起きて、夜のうちに幼子とその母を連れてエジプトへ去り、ヘロデが死ぬまでそこにいた。」(マタイ2章)

 

            6月10日

 

 

 

 

主夫の料理についてはもう何度か書きました。「これ、おいしいわ」と言ってくれると、それが励みにもなり、いつの間にか1年が過ぎて、1日3食、ほぼ1000食を作りました。

 

で、今日はキッチンに立つ主夫でなく、つくろいものをする主夫のことです。主夫の私は、ミシンや裁縫をするのが結構好きなのです。縫物をすること自体も好きなのですが、静かに椅子に腰かけ黙々と縫物をしたり、つくろいものをしているのが何とも言えないほど心地よいのです。心が落ち着くのです。恐らくその時、血行が良くなっているに違いありません。少なくとも血流が体内を平和に流れているのが分かるほどです。無心。現代人にとってこれほど贅沢な時間はないと思えてきます。

 

今では靴下の値段は知れたものです。ですから靴下をつづくって履いても別に家計が助かるというほどのことはありません。しかし、靴下のつま先に穴が開いたりすると同系色の端切れを探してきて裏からつぎを当てたくなります。私がこんなことをするとは以前は思ってもみませんでしたが、思ってもいないのに、どうしてか書斎の机の引き出しの奥、度が合わなくなった古いメガネの隣りに、ネクタイの端切れ、ズボンの端切れ、服やシャツの端切れなどがけっこうたまっていて、違った色や柄も結構あります。で、それを適当に取り出してはさみで切り取り、その時は靴下の裏側からつぎを当てると実に履き心地が良くなりました。

 

「女と靴下は強くなった」と言われ始めたのはもう50年ほど昔でしょう。ところが最近、女性の方はますます強くなった感じですが、靴下は次第に弱くなりよく穴が開くようになりました。これって、私の靴下だけではないでしょう?昔は、「鬼のパンツ」の歌のように何年履いても破れたためしがなかったですが、最近のはいつの間にか破れたり、穴があいたり、薄くなっているので驚いています。この分だと、私のように靴下をつづくる人が増えているかも知れません。

 

この冬はシャツの襟が傷み始めたので、そのシャツの下の部分から布を切り取って縫い目に沿って縫い付けました。襟のリフォームはなかなか難しいですよ!首が触れますからうまくしないと着心地が悪くなります。もういいかげん他のものに変えてもいいのですが、外国で買った愛用の服なので、自分の分身のような愛着があって手放せないのです。もう一着のシャツは、襟の芯を作って縫い付けるというなかなか工夫がいるリフォームをしたのです。この時は、丸2日、どういう順番でどこの糸をどう解(ほど)き、どう縫って、どう修理をするかと色々と算段して、食事を作っている時も、外出している時も考えるという、面白い日常生活の送り方をしてしまいました。

 

夏は半ズボンのジーパンをはいていますが、これは長ズボンを自分の好みの長さに切ってミシン針が折れないように慎重にまつったもので一点もの。野球帽はエンブレムにルッチェルンで手に入れたマッターホルンの絵柄のフェルトを縫い付けたもの。これも世界でたった一つの一点ものでお気に入り。ところがそれを、3週間前に石神井川の畔でなくしてしまったのです。すぐ引き返したのにどこにもありませんでした。まるで家族を失ったような気持ちになっています。見つけた人がいればご連絡ください

 

スリッパの修理はうまくなりました。底が擦り切れたり、足を入れる部分が擦り切れて破れたり、物によって色んな破れ方をしますが、破れた所に少し厚みのある布をノリで張り付けるだけでも結構長持ちします。底の場合は糸が入った厚目の粘着テープがいいですね。傘の修理はまかしときなはれ。ビニール傘でも骨を補強すれば実に長く持ちますし、強風にもメッチャ強くなります。骨は雨風の強い日に路上に捨てられたビニール傘を拾って来て、適当にペンチで切って補強用に使えばいいので割に簡単です。一番うまくなったのは、鋏一丁で自分の散髪をすること。最初は頭の後ろなどは多分見れたものじゃあなかったでしょうが、やれば結構うまくなるもの。やればやるほスキルは上達します。そろそろ長くなってきたので、今晩辺り風呂場で散髪しようと思っていた所でした。

 

主夫のつくろいもので書き出しましたが、最後はひとりものの生活術に近づいてしまいました。

 

「水の中を通るときも、わたしはあなたと共にいる。…火の中を歩いても、焼かれず、炎はあなたに燃えつかない。」(イザヤ43章)

 

       6月7日