2026年8月15日の朝は、千鳥ヶ淵の戦没者墓苑で7時半から開かれる祈祷会に出ようと思い立った。これまであまり多くは出てこなかったが、今後出ても、自分の年齢からして何回参加できるだろうかと思うと、もしかすると5回もないかも知れない。すると今年の参加は欠かせないものに思えた。それで6時半に起きて、急いで身支度して出ようとした。ただ妻の朝食があるので少しだけ準備してあげて、あとは自分で食べてもらおうと急いで取りかかった。ところが準備をしているうちに、どこでどう勘違いしたのか、いつの間にか7時10分になっているのに平気な顔で準備していた。ハッと気づくや、もはや慌てて駆けつけてもほぼ集会は終わっているはず。なぜ勘違いしたのか全く思い当たらないが、じつに思いがけない失敗である。こんなことがあれば今後数回も参加できないかもしれず、吹っ切れない思いでとにかく外に出た。

 

 出ると同時に、今日はいつものウオーキングのコースをやや遠回りしながら歩いて、ウオーキングしつつ千鳥ヶ淵に集まる人たちと物理的に空間を超えて連帯して歩こう。私だけでなく、何かの理由で参加できないでいる人たちがどこかでそれぞれのやり方で戦没者たちを覚えながら今後を思い、非戦を祈っている人たちだってあるかもしれない。多分あるに違いない。そう思うと気持ちが落ち着いてきて、兵隊と民間人を合わせて日本の300万人の犠牲者らのことを思い、それだけでなく日本軍が殺した2000万人という膨大な外国人犠牲者たちを思って歩き出すことになった。

 

 川辺に出て歩き始めると、青草の中で愛らしい青いツユクサが足元に咲いているところがあり、しばらく行くと月見草が黄色い花を天に向けて咲いている。さらにしばらく行くと、野生化した朝顔が美しい赤色を見せてところどころに笑顔を見せて咲いている。ああ、真夏だ。81年前の日本の野辺はもっとのどかで、これらはもっと美しく可憐に咲いていただろう。そして、それらの草花を、何日後かには戦場にツユと消えていく若い兵士たちの瞳が別れを告げながら眺めていたに違いない。頭上ではミンミンゼミとツクツクボウシとちいちいゼミと関西で鳴くクマゼミまでが入り混じって、ジャンジャンと鳴いていた。2026年の夏の真っ盛りだ。

 

 やがていつも一服する高台のベンチに着くと、2つの被爆記念日頃に書いた「2026年8月に想う」を読み返しながら、「そうだ、今から図書館に行こう。今日はぜひとも、『日本のいちばん長い日』を借りて読もう!」と思いついて、やや遠回りしてある人を訪ねた後、さらに先にある図書館に向かった。図書館によってはこの本は置いていなかったり、あるのになぜか知らないが貸し出さないところがあるが、私が行った図書館は幸い貸し出し可能であったので、さっそく開架に本を見つけて借り出し、そのプロローグから読み始めた。ただ、あの15年戦争のように長い、長いプロローグであった。

 

 『日本のいちばん長い日』は、1945年8月15日の全面降伏に至るまでのたった一日(前日の正午から15日正午まで)を、徹底抗戦派と、ポツダム宣言の即刻受諾派と、クーデターを起こして一か八か最後の一兵まで戦い抜こうとの帝国陸軍と、昭和天皇を中心とした、いつ果てるとも知れない、総力をかけて揉み合うような、7月27日のポツダム宣言から8月14日までの議論の末に「天皇の聖断」にたどり着いた一日として半藤一利が描いたものだが、私は数日かけて読むことになるだろう。それほどこの一日は何日もが煮詰まり、何か月、何年かが煮詰まったほどのものであった。

 

 それにしてもこれを読む限り、これは、日本という国、日本人というものの正体の一面を抉り出す好著と言っていいだろう。また日本というのはどうしてこうまで根深い、決して早急に克服できそうにない難渋なエートスを持っているかと気づかせるものである。まだ読み切っていないが、再び戦争に向かわないことを切に願って粘り強く考えながら読みたいと思っている。魂に根ざす復讐心は留まることを知らない深い恐ろしい海だ。

 

 「カインのための復讐が7倍なら、レメクのための復讐は77倍。」(創世記4章)

 

 

 最近のテレビの幾つかのワイド番組は、ウクライナ戦争とイラン戦争があるために軍事評論家たちの独壇場と化しています。そのために自衛隊関係者の出番が多く、いつの間にか中国と台湾関係も何度も厳しく取り上げられ、今や戦時に向けて体制を整えることが不可欠であるかのような雰囲気さえあります。いつからこんなきな臭いことが、堂々と話される世の中になったのでしょう。まるで軍備増強が当たり前であるかのように主張する人物らが時々テレビを独占することもあり、多くの人が不安を感じています。

 

 その決定的な引き金になったのは、高市首相の登場と台湾有事の際の自衛隊による対応発言が最初だと言っていいでしょう。それが大国ロシアの侵略で継続していたウクライナ戦争とアメリカ+イスラエルによる突然のイラン攻撃で、輪をかけたように各地の戦争の現状分析が茶の間に登場したのでした。こうしたことは戦後ずっとなかったことで、その背景に日本の周辺海域への中国の出没に対する警戒感による自衛隊装備のバージョンアップとトランプによる軍事費アップの要求があります。いずれにせよ、中国への防衛増強論がいつの間にか独り歩きして、あれよ、あれよという間に国家予算に占める膨大な防衛費アップがいつの間にかなされました。

 

 いったい防衛や戦争準備が、この高度に発展した国際化時代に一番妥当かつ有効な自国を守る唯一の手段なのでしょうか。顧みてわが国では大地震が頻発し、温暖化による自然災害が各地で発生し、インフラ網の経年劣化もあり、いつ大都市圏でも大災害が発生するか分かりません。資源輸入国であり、食糧自給率も低く、いったん首都圏で大地震でも発生すれば戦争などしている暇があるでしょうか。新幹線網、電力網だけをとっても実に脆弱で、事が起これば日本社会はズタズタに寸断されたうえに、それが40度を超える猛暑期間に起これば、何がいったい戦争でしょう。

 

 単純に考えても、今の社会で戦争などできるはずがないのです。軍備増強で備えをしても、それは焼け石に水に過ぎません。しかも自衛隊に行く人すら極めて少ないのです。徴兵ですか?それとも傭兵でも雇って国を守ろうというのですか?ロボット兵力やドローンの強化で戦いますか。足元を見れば、ちゃんちゃらおかしい議論です。

 

 今必要なのは、軍備増強による備えでなく、平和の備えこそ最も必要であって、それが最も現実的な備えだと私は思います。戦争のない、平和な国際社会を創り出そうという強力な意志を持った政策こそ、一番平和な日本を守る道だと思います。建前でなく、政治家はそのような強靭な意志を持たねばならないのです。

 

 ところが、高市政権と維新や参政党も含めた極右政権は、中国に対する太い外交ルートを少しも作ろうとしないところに、日本の危機の所在があります。中国の軍事危機を問題にする前に、高市政権の頭に、戦争を進めて、戦争をいやでも作り出しかねない思想的な危険性が潜んでいることが危険なのです。この女性の奇妙な薄ら笑いの奥に隠された陰険さが危険なのです。

 

 今、私たちがすべきは戦争準備でなく、平和を作る準備であり、その思想でしょう。せっかくの戦争放棄を世界に向けて約束し、81年間維持して来た平和憲法です。この道に堂々と立ち、この道に立ち返って、粘り強く、身を入れて平和国家の道を切り拓くのが日本の正道です。

 

 これが2026年8月の広島、長崎の日に思うことです。戦争だけは絶対してはなりません。絶対に、です。あの戦争で300万人の日本人が死にました。そして、日本人が決して忘れてならないのは、日本軍が海外で2000万人以上を殺戮した事実です。国内では平和主義者を弾圧し、殺しもした事実も忘れてはなりません。2度と戦争だけはやめましょう。どんどん金を使って平和の準備をすべきです。防衛の準備だとカモフラージュして、国民をだまして戦争準備をすることは、絶対あってはなりません。国民を決して欺いてはなりません。

 

 「欺いて語る舌よ…。平和をこそ、わたしは語るのに、彼らはただ、戦いを語る。」(詩編120篇)

 

 

 

 ある教会にいました。プロテスタントとしては普通の教会よりも礼拝が豊かで、特にパイプオルガンが響く中、聖餐式が荘厳でした。まるで儀式と化した聖餐式です。聖餐が終わって献金があり、前列の太めの婦人が祈りました。その第一声から言葉が生き生きして活きていました。日本語を久しぶりに聞いたように思ったのです。先ほどとは違って、儀式ばらない、胸に響く祈りがなされたのでした。彼女の名はAさん。

 

 午後、外部から来たある講師がその教会で講演をしていました。今の右傾化しつつある日本を憂いつつ、戦前の日本はどうであったのか、あるテーマを中心に話されました。多くの人に取材した、心に留まる話です。もう80歳をとっくに過ぎた女性で、今の時代を憂いつつ、80数年前に治安維持法で引っかかって3年半の刑務所生活を余儀なくされた父親のことにも触れ、聞き応えある講演でした。この講師がまだ若いころに新潮文庫から出した本は素晴らしい本です。文章が若々しく伸びやかで、縦横無尽に展開してビンビンと心に響いて来る筆致に私は魅了されました。こんな書き方を一生に一度でもすることができれば誰でも思い残すことはないでしょう。そしてその後、かなりテーマが違う社会派のテーマに移りましたが、やはり今日まで健筆をふるってこられたのです。Bさんと言っておきます。

 

 ところで、午前の礼拝の献金で祈ったAさんは源氏物語研究の第一人者で、いつであったか、例年皇居で開かれる新年の歌会始めの召人になった人だったのです。この教会にはそういう人がぽつぽつ集っているのです。いつの時代だったか知りませんが、美智子妃にある創作的な手作りものを教えていた多才な人もありました。私は、その人からあるときあるものを頂いたことがあります。宝のような品でした。

 

 ところでこの源氏物語研究の第一人者であるAさんは、ある男性の小説家と馬が合うというか、その人が源氏物語をユニークに解釈して展開した小説を、研究者として高く評価していて、いつだったか意気投合しながらも丁々発止する座談会をしていました。その著名な小説家の名をCさんとしましょう。Aさんは、Cさんの他の小説の作風にもそうですが、何より源氏物語への独特な切り込みのすばらしさに惹かれている様子でした。私はまだC氏の作品を読んだことがないので何とも言えませんが、源氏物語の第一人者がそういうのですから、そのうちC氏の作品を読みたいと思っています。

 

 さて、この日の献金の祈りをしたAさんは、今言ったように源氏物語研究の第一人者で、午後の講演をした女性Bさんの夫が、なんと今書いたこのCという小説家だったのです。BさんとCさんはご夫婦だったのです。これはじつに奇遇だったと言っていいでしょう。この2人の女性たちがその日、同じ教会にいたということです。しかも午前と午後にその教会にいたというのでなく、午前の礼拝に2人が出席して同席していたのでした。互いに同席していることを知らなかったでしょうが……。

 

 そして私が奇遇と特に言うのは、午後の講演者のBさんから私がじかにお聞きしたところでは、何と、この有名な小説家C氏とBさんはいつか別居し、離婚していたというのでした。私はこの一部始終を知った時、思わず、「エッ?!」と叫びました。

 

 人が出会い、人が分かれ、人が惹かれ、そして人が2度と会うことなく去っていくとはいったい何だろうかと、不思議な思いで人の世の姿を覗く気がしました。日本人ならこれを「世の無常」というのでしょうか。キリスト教ではこれを何というのでしょう。プロビデンスでもなく、デスティニーでもなく、単なるアクシデントでしょうか。ただ悲喜こもごも伴った、第3者にも涙や哀愁をさそうアクシデントかも知れません。一言でいえば、そういうややこしい不条理な世の現実にもかかわらず、インマヌエル。「神、我らと共におられる」ということになりますか? ?

 

 「『見よ、おとめが身ごもって男の子を産む。その名はインマヌエルと呼ばれる。』この名は、『神は我々と共におられる』という意味である。」(マタイ1章)

 

 

 昨日は、一抱えもする松の木のような太い閃光が地上に向けて何本も落下しました。それは恐ろしい耳をつんざく雷鳴で、雷が大好きな私でさえさすがに震えてしばしば耳を覆ったほどです。耳を覆わなければ一瞬にして鼓膜が破れて聞こえなくなっていたでしょう。

 

 図書館からいつものコースで帰る途中、帰宅時間に少し余裕があるので、若者たちがよく利用するジェイ・ト・エルに立ち寄り、文庫本を取り出して一休みしたのです。最近建ったこの高層マンションはむろん頑丈そのもの。ところがしばらくすると、入り口の自動ドアが開くたびに遠雷が聞こえ始めました。だが雨雲レーダーでは、雷は荒川の北側を東に進んで足立区方面に行くはず。私はスマホでそれをチェックしてからここに入ったのでした。安心できる建物にいて、小気味いい遠雷をBGMに読書できるのも隠退生活のささやかな楽しみです。

 

 ところが15分もするとレーダー予想と違って、雷がどんどん酷くなって近づいて来るではありませんか。雷好きの私は本を閉じて、誰も出ていないビルの4階のひさしの長いテラスに出ました。見ると恐ろしいほど真っ黒な厚い雨雲が荒川の向こう側で垂れ込めています。その時、突然近くで一発目の轟音が鳴り響いたのです。日頃のいかなるデカイ鬱憤(うっぷん)も吹き飛ばすような轟音です。それでも私には雷の轟音も心地よく、よくも休憩でここに立ち寄ったものだと喜びました。

 

 しばらく前に新装した東十条駅前の広場を見下ろしても、雨は一滴も降っていません。無料の特等席のような舞台から雷を正面に見て楽しめそうですし、やがて雲は東に去っていくことでしょう。何度も書きますが雨雲レーダーではそうなっていました。今夜は隅田川の花火以上に胸がときめくひと時です。私はスマホのカメラを取り出し、天から地上に直接落下するこの太い閃光の柱をキャッチしようと今か今かと待ち構えました。

 

 それから5分ほど経ったとき、遠方でなく突如頭上で耳をつんざく轟音が鳴りわたり、この高層マンションですらぶるぶると振動しました。閃光の柱はもの凄く太く、これまで見たこともない恐ろしいもので、雷好きの私が恐れ怯えたのです。するとにわかに猛烈な雨が降り出し、強風が湧いて、ますます雷鳴が激しく頭上で何度も落下します。カメラどころでなく、長いひさしを持つテラスが一瞬にして水浸しになり、私は犬がしっぽを巻いて逃げるように急いで3階に降り、先ほどのジェイ・ト・エルに潜り込みました。潜り込む時に見たのは、霰(あられ)まじりの激しい風雨で、霰が3階の広い通路にばらばらと落ちて散って行きます。人が来て自動ドアが開くと、ジェイ・ト・エルの中まで霰が飛び込んで行きます。中に入ると、世には私のように雷好きの人間がいるのでしょう、何人かが読書をやめて、急いでドアの方に行って目を凝らしています。館内放送が流れました。まるで皆を安心させたい、落ち着かせたいというような案内で、雷雨で館内放送を聞いたのは初めてです。

 

 雷雨に見舞われるまでのウオーキングでは、バギーに2才ほどの子どもを乗せてベンチに座る男性とおしゃべりを楽しんでいました。ネパール人のヒゲの濃い父親で、7年前にポカラ近くから来日しました。向こうでは大学の経済学部を出たそうで、来日後は日本語学校に通い、今は日本のレストランで働く28歳。3年前にやはり来日のネパール人女性と結婚し、将来は数か国の料理が楽しめる国際色豊かなレストランを日本で経営したいそうです。だが今の東京は家賃が高く、2人の収入の約半分が家賃で消え、悩みが多そうでした。別れようとするとまだまだ話したそうで、自分はよくここに来るのでまた会いたいと言っていました。また会いたいと言ったネパール人は彼が初めてです。ネパール人はいま日本に30万人。人生の旅路半ばで行き悩み、出口を求めて日本人の隣人を求めているのかもしれません。ただ遠くの空に暗雲が見えたので、「では、また」と言って、後ろ髪をひかれる思いで立ち去ったのです。のんきな私のことです。多分再会のために舞い戻ることでしょう。

 

 「旅人をもてなすことを忘れてはなりません。そうすることで、ある人たちは、気付かずに天使たちをもてなしました。」(ヘブライ13章)

 

 

 外国で自分に似合いそうないい柄のシャツを買ったことがあります。少し高かったが、自分へのお土産に一着ぐらいは持っていてもいいと思ってはり込んだのです。物をあまり買わない自分だから、おおよその大きさを見て気前よく買っちゃったのです。

 

 ところがホテルでそれを着て驚きました。首回りも胴回りもぴったりだったが、腕の長さがただものではありません。10㎝も長く、これを着て外出すればテナガザルが歩いているとも見られかねません。どうするか。しばらく袖をまくり上げて外出することにしましたが、まくり上げては都合の悪い場所や失礼な場所があったので、その後は肩の近くで少したぐって着ていましたが、よく観察すれば格好は悪いものの遠目にはあまり目立たず、いつも着ることになりました。ズボンの裾上げテープのような腕を短くするテープがあってもいいのにと思いましたし、アームバンドをはめてもよかったでしょう。

 

 これはサイズの問題ですが、文化の導入となるとなかなかうまくいかないかも知れません。ましてやキリスト教を日本に導入するとき、日本人の体には洋服よりも和服の方が着やすく、体にぴったりなじんで心が落ち着くという人は多く、キリスト教を着ているとどうも体になじまない、心が落ち着かないという文化人もあり、ではどうするのかということになります。遠藤周作などの、体に合わない洋服的なものを日本人の体に合う着物的なものにするという問題提起は、キリスト教世界をはじめ、あちこちで話題になってきましたが、遠藤の死後、小説「沈黙」「深い河」のころは盛んだったこのテーマは、最近ではあまり耳にしなくなっていました。

 

 ところが昨日、あるところで、「Enculturation of Christianity in Japan」というテーマで、ICUのマーク・ウイリアムズさんから興味深い話をお聞きしたのです。私にはもう数十年ぶりの話でしたが、おそらくイギリス人にとって、これは世界にある日本人の問題意識として特記されるものだとお考えになってのことでしょう。

 

 ところで日本仏教でも、平安時代から仏教を日本人の心性にどう根付かせるかは真剣な問題だったようです。例えば高野山を開いた弘法大師・空海は、四国と近畿に無数のため池を作る灌漑事業を展開し、米作で生きる農民に寄り添いました。灌漑に打ち込んだ彼の思惑には、仏教を農民の草の根からのものにし、やがて朝廷にまで真言の影響力を持つものにしようという隠れた政治的狙いがありましたが、彼の灌漑事業はいわば仏教の日本化のため、日本人の心性に深く入って行く一方便(いちほうべん)であり、Enculturation の文化活動だったと言えるでしょう。

 

 空海で興味深いのは、仏教は過去佛、現代佛、未来佛として、キリスト教と似て、過去、現在、未来(かつていまし、今いまし、やがて来るべき方)の思想を展開したことでしょう。またそれ以上に興味深いのは、彼は、一度は入滅したが今や復活し、やがて未来佛となって現れると説いたことです。そしてこの復活して今も生きていることの事実性を表すために、彼の死後、現在に至るまで、高野山の僧たちが今も生きている空海の廟に毎朝食事を届けて来たのです。約1200年間、この食事を届ける日常は一日も絶えたことがないのです。それだけでなく、この食事は毎回、毒味をしたものをお届けするのです。まさに今も生きておられるゆえに毒味なしにお届けすることが決してあってはならないのです。

 

 日本人の体に合わない洋服のようなキリスト教信仰を、和服のようなキリスト教に変えたい。その願いは分かります。しかし今や、多くの日本人は和服よりも洋服の方が着心地がよく体にぴったり合います。今着流しで和服を着る男らは、ダンディさを売りにする一部の文人や囲碁や棋士たちだけかもしれません。ただ最近の洋服はチープになり、いつでも買い替えて趣味に合う新しいものに気ままに着替えするものになりました。男でも数10着、女性では100着を超えるものを持つものも多くいるそうで、信仰もチープなもの、小さな価値として扱われているのかもしれません。そして人間自身もどんどんチープになっているかもしれないのです。

 

 「あなたはわが目に尊く、重んぜられるもの、わたしはあなたを愛する…。」(口語・イザヤ43章)