クリスマス~正月三が日にかけての2週間弱という期間は、はじめとおわりとでガラッと世間の空気感が変わってしまいますが、共通していると思われるのは、そこらじゅうで“お祭り”っぽい賑やかさや華やかさがあること。その中には“慌ただしい”があったり、おととし以降はコロナ禍の影響を多分に受けたりしていますが、もともとのキリスト教や仏教、神道といった宗教をベースにした厳かさよりも、「クリスマス商戦」とか“デートする日”のような方面が目立つような。
とりわけ、2022年はクリスマスが土日というところからスタートしていますので、尚更という感覚ですが、モテない君たる筆者まるゆいが書いている当日記では、逆張り?のごとくまずは静かな場所をセレクト。
#実は、筆者は24日と25日で計4公演めぐっております。。が、
“忙しそう”やんけ
何が“逆張り”やねん
…というツッコミはとりあえず受け付けません(笑)。
ということで、12月24日は土曜日のお昼は、ほぼ3年ぶりのこちらの劇団さんのステージです。
(2019年12月29日@上井草)
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Aqua mode planning(AMP)さん。
当日記のテーマに“えんげき”を加える端緒となった劇団さんのひとつであります。“おと”と同様、前にこの舞台に出ていた方…というところからたどりついたのですが、こじんまりとした空間で演じられる会話劇に、謎解きのような醍醐味がたくさんあると、当時感じたものです。
演目は短編3本立てで、これも3年前と同様の構成。そして全体をとおして「息継ぎフェルマータ」というお題。3年ぶり、つまり先程のリンクの公演以来のリアルなステージということで、パンフレットからも演者さん、作者さんの強い想いがにじみでてきます。
フェルマータとは、「音符や休符を延ばす」音楽記号であり、パンフレットではわりと“後付けにした意義”として書かれていますが、、
フェルマータという単語を検索すると、イタリア語で「停止」の意味…
そして、パンフレットには、この音楽記号が丸い形をしているところから、彼の地イタリアでは「コロナ」と呼ぶ…
そんな、後付けと言うにはあまりにも揃い過ぎた偶然の数々からは、やはりあくまでも演じる皆様の意気込みと一緒に、ちゃんと初めから考えられたタイトルなんだろうなと思うわけです。
ん?
復活ではなくて、停止…
何を止めなければいけなかったのか、いやらしいほどではないけれど、ちょっと重ための短編会話劇3部作でした。
「取り柄は良い返事」
伊藤ゆかりさんの一人芝居スタイル。設定は9歳の小学生の女の子。
みためは、いかにもゆかりさんらしい立ち居振る舞い。ランドセルを背負い、お題の通りに“元気よく”演じられる様子は、ほのぼのとした雰囲気満載。。。
“おとなが行く場所”を某テーマパークと言ってみたり、小学生っぽい恋バナ等々、しばらくは楽しそうなお題です(会話劇なので、爆笑という感じではありません)。
ですが、本人はまったくわからないままに、いつの間にか残酷なことをやってしまっている…というのも、また子供ならでは。ないほうが良いに決まってはいますが、時としてそういう事態もあるわけで。
“みてはいけないところ”を見てしまったこの子は、膨らませた妄想を事実と区別することができないまま、それを周りの大人にしゃべってしまいます。その結果が“残酷な結末”。大きくなってから“ずっと後悔”という重たい話。どこか“停止”することを子供のうちから気にしないといけないのか…となると、子供たちの気の遣いかたも大変なものと思うわけで。
「一人ぼっち、二人」
もともとは4人家族。しかし、死という別れをへていまは2人。
そして、姉妹のうち、舞台に登場してくるお姉さんのほうは、亡くなっているお母さんの連れ子。。
つまり、いま“家族”として暮らしているのは、父親と、“血がつながっていない”娘さん…。
お母さんが亡くなったのは、おそらくは2011年という設定かと思われます。セリフに「復興」という言葉が出てくるあたり、3・11で…だったのでしょう。そして、演じる時点では妹さんも亡くなっていて、さらにはコロナ禍で父親はリモートワーク…。一応、効果音には家庭的な音があるとはいえ、ただでさえぎごちないと思われるこの二人の関係が、さらに悪化しかねない場面。。
しかし、そこに亡くなったはずのお母さんとお姉さんが、それぞれ父親と娘を励ましに?登場します。
もちろん、影の声。だけれども、当然忘れることができない家族の声は、それぞれの心の中を少しだけほぐしていったようで、、
オープニングに比べて少しだけぎこちなさが和らいだ父親と娘の姿を観ながらのエンディング。
3話の中では少しだけホッとできる展開で締められていきます。
ともに当日記ではお初の加園陽一さんのちょっと頼りなげな父親の姿、キムライヅミさんの悩み多き女子高生としてのお姿が、シチュエーションをきちんと呼び起こしています。
「夢くらい見させて」
よくありそうな“ぶっとんだ夢を見る”男子と、“意外なほどに現実的な”女子というカップルが登場。それぞれ西恭一さんと長友美聡(サリー)さんが演じています。
よくありそうな…となると、
男子がみる“夢”とは、お給料が上がり、宝くじで大金を当て、そのお金でしたいことをいろいろと…
たぶんこういうことをみんなが言っていたのは、30年以上前のバブル景気の頃が最後だったような気がします。筆者が勤め始めたころにはすでに“就職氷河期”に突入していましたから、少なくとも“お給料が上がり…”というのは実感としては今一つ。。。
そして、5年後、10年後、30年後、50年後…と、これだけぶっ飛んだ中身が“全部実現した”という前提で熱っぽく話していく男子。。エネルギッシュですが、いまどきとしてはちょこっと空回りなひとでしょうか。
いただいてきた台本(“おと”でいえば各演者さんのCDのような位置づけです…)を読み返してみると、ここまででほぼ8割費やされています。
一定数、「夢見る女子」はいるとはいえ、一般には女子のほうが現実的とよく言われます。このカップルも、女子の方はお付き合いの最中でも生計を立てることに精一杯。しかしこれもまた、最近の実感としては行き過ぎなところが多々あるわけで、突如場に登場したのは“余命宣告”。そうなるまで放っておかざるを得なかった…というケースが、ときおりニュースでも見聞きする昨今。。。
台本の残り2割で描かれたのは、“人生の終わり方の夢”。
たしかに、おしまいにするだけだから、それでも良いのかもしれないけれど。。。
このエンディングがやっぱり一番堪えます…
終わり方に差はあれど、3話とも現実の筆者の身に起きたら耐えられないかもしれないと思うものばかり。
現時点では、筆者の身には全部想像。
ですが、コロナ禍を経た2022年の終盤の時点では、このとおりのシチュエーションではないとしても、いつ何時、何が襲い掛かってくるかますます混とんとしたご時世であるのも事実であります。
舞台なので、「では○○に備えておきましょう…」といったお堅く道徳的な締めではないけれど、素直に3年ぶりの現実のステージをお祝いしつつ、いろいろと考えさせられる場でありました。