vol.450 朱鷺舞う"ジパング" 佐渡島ツーリング④ 島を一周(後編) 見所豊富 南佐渡 | 旅ブログ Wo’s別荘

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  佐渡ツーリング、第4回です^グッド!

 

前作では、島の北半分(大佐渡)を走りました。

今作ではあと半分、南半分(小佐渡)をこれから走るんですが、"小佐渡"という名ではありながら、実は見所や集落数は大佐渡より多く、盛り沢山な地域ですベル

菱形を2つ重ねた形の佐渡島、その下半分の光景はいかに?

早速スタートです^DASH!

 

前作/北半分の時は、西岸(佐和田地区)からスタート、北端へ廻って南下し、両津港へ辿り着きましたが、今作ではその続き、両津港から走り始めて、時計回りに南岸を走り、ゴールが佐和田地区です^カエル

佐渡一周県道には所々に↑の標識を見かけます。同島を舞台に開催される『佐渡国際トライアスロン』のバイクコースが、この一周県道の距離となっています自転車

↑標識にある、約30km先の赤泊港、そして約50km先の小木港が南部の主要地点になります。佐渡島南岸を、これからゆっくりと走ってゆきます^かたつむり

両津港から南下して最初の峠、↑みかえり峠を下ると~

大川集落へ入ります。↑海岸から橋の架かった小島が見えます。

隠れた名所らしいので行ってみますハチ

『津神島』といいますウサギ

島の入口に佇む↑お地蔵さん。"波除け地蔵"といい、北前船の風待港として賑わったここ大川に、嵐から避難してきた石見国の船の係留作業中亡くなった乗組員の慰霊をして建立されたとの事。

江戸期の大川集落は廻船問屋も立ち並び、佐渡の玄関口として大変栄えたといいます(※現地解説板による)

津神島への↑橋を渡ると~

神社があります(※津神神社)

その本殿の脇を通り抜けると・

↑何やら和風の塔が。これは・

1885(明治18)年に建てられた"私設灯台兼お寺"との事で、現地看板には『善宝寺』とありました。大川港に出入する和船や漁船の寄付等で運営されていたそうですひらめき電球

 

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そして大川集落の近くには、これまた知られざる名灯台があるとの事で、訪ねますクローバー

2015年購入して以来、北海道~九州まで、僕のわがまま旅に付き合ってくれた↑Wo号、ついに佐渡まで連れてきました。8年以上経つのに全く元気です^虹

駐車場から海岸の灯台までしばらく歩きます走る人

↑階段の上に、灯台が見えます目

着きました、↑姫埼灯台ですひらめき電球

現地の橙光会看板によると、現役として日本最古の鉄製灯台との事。1895(明治28)年初点、佐渡島で最初の灯台でもあります星

その歴史的価値から、世界航路標識協会から『世界の灯台100選』も選ばれているとの事ですキラキラ

灯台フェチのWo大満足w

 

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姫埼灯台に満足し、再びWo号で佐渡南岸を走ります馬

海岸に沿うように、時折集落が現れます家

次の立寄りスポットは~

又々灯台ですが、この地は『鴻ノ瀬』、『松ヶ崎』と呼ばれ、佐渡~本州間の最短距離に位置します旗

対岸の本州まで約35km、江戸期にはここも先程の大川と同様、北前船の寄港で賑わいましたが、大型船の接岸設備はこの後行く小木港のほうが充実していたため、明治以降衰退し、港としての機能は失われたそうです。

ここ松ヶ崎付近は、海流の関係で礫(※海中の岩や砂)が集まり、多くの種類の岩石が見られるとの事。まさにジオパーク、自然の石博物館の様相です宇宙人

そんな松ヶ崎には、↑かつてこの地に船で来航した高僧ゆかりの寺があります。このお寺は~

松崎山本行寺です(※日蓮宗)

鎌倉で布教活動中だった日蓮上人が鎌倉幕府に捕えられ、佐渡へ配流になった際、上陸したのがここ松ヶ崎の地だったとの事。日蓮は当地で三晩を過ごし、その後小佐渡の山脈を越え、国中平野の収容施設へ向かったとの事です。佐渡逗留は2年半に及んだそうです。

そんな歴史を秘めた本行寺、人影もなく静かでしたあじさい

梵鐘が、↑ガラス張りの中で大切に保管されていましたベル

松ヶ崎の静かな集落の中にある、本行寺でした黄色い花

 

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次の大きな集落は、赤泊です。

↑途中には海洋深層水の採取施設とかも波

赤泊に入りました。わりと大きな街です^家

赤泊港の駐車場にWo号を停めて休憩コーヒー

幕府御用船のモニュメントが印象的な赤泊港宇宙人

先程の松ヶ崎が『本土と佐渡との最短距離』と前述しましたが、現在主要な港がある地として本州との距離が一番短いのが、ここ赤泊です。ここで、赤泊港について少し掘下げたいと思いますメモ

 

前述の通り、越佐間の最短港として知られる赤泊港ですが、交通結節点的には、この後に行く南西部の小木港のほうが重要性が高く、せっかくの地の利を発揮できずにいるのが同港ですあせる

赤泊港には、↑佐渡汽船のターミナルもあります。

しかし、2018年を以て旅客輸送は休止(※事実上の廃止)されました。

島の動脈・国中平野から延びる国道350号は、前述の小木港に繋がっており、小木~直江津航路が佐渡南部~本州を結ぶ役割を担っています。又、対岸の本州側をみても、直江津は交通要衝としての重要性が寺泊より高く、航路距離は赤泊~寺泊より長くても、需要や重要性があるという事ですね・

 

一方で、↑写真左側をご覧下さい、フェリーが停泊しています船

↑の船は、2020年まで沖縄県の粟国島で運行していた『フェリー粟国』で、現在は神戸市の船会社が所有し、貨物船として同港~対岸の寺泊港間で運航しています。

赤泊~寺泊間は、その名から『両泊航路』とも呼ばれ、元々は佐渡にとって重要な航路です。しかし赤泊港は港湾設備の面で佐渡汽船が持つジェットフォイル(※水中翼船)が接岸出来ず、又フェリーも、日本海の荒潮をもろに受ける地勢の赤泊港は"天然の良港"とはいえず、特に冬季は欠航率が多かった事から、旅客輸送にはやや不向きな状態でした。

今後の両泊航路は貨物航路として、越佐最短距離のメリットを生かしていく形となるでしょう波

 

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赤泊を出て、佐渡島南岸を引続き南西へ馬

朝、両津を出てから↑最大の街へさしかかりました。小木の街ですねこへび

先程赤泊のところで前述しましたが、小木には佐渡汽船のターミナルがあり、本州・直江津との間にフェリーが運航しています。いわば『佐渡の南玄関』ですドア

両津から海岸沿いにここまで来ると"佐渡一周感"を実感します^リサイクル

この小木~佐渡最西端の沢崎鼻は『小木半島』といい、見所の多いエリアです。これから沢崎鼻までゆっくり走りながら、いくつか見ていきます目

まずは、小木名物『たらい舟』をご覧下さい。フェリー港の隣に観光専用の港もあります^船

港の桟橋を見ると~

お~

沢山のたらい舟が浮かんでいます!^

広い佐渡島、ここ小木では、佐渡一の名物といえば金山やトキではありません、『たらい舟!』ですw^^グッド!

菅笠姿の女性船頭さんが2~3名の乗客を乗せ、港内を一周してくれます(※希望により客が漕舟も可)

ごくふつ~の港の中を、丸いたらいが人を乗せてゆらゆらする光景はなんか不思議な感じで、楽しげな光景でした^星

 

たらい舟のりばの近くにある、↑『幸丸展示館』

中へ入ると~

大きな和船が展示保存されていました。

この『幸丸』、1940(昭和15)年に建造された、佐渡と本州間を航海していた最後の和船だったとの事。主な動力は帆で、風向や風力によって所要時間は大きく変わったそうですあせる

 

寺泊の廻船業者が所有し、本州側から日用品を、佐渡からは木材や薪、水産物等を運んで往復していたそうですが、1961(昭和36)年に引退、古来越佐間を結んできた和船の伝統はこの船をもって終止符を打ったとの事です(※現地解説板による)

小木港から、さらに小木半島を西へ進みますカメ

↑標識の通り、小木半島西部には『矢島・経島』『宿根木』という2つのスポットがあります。訪ねてみますしっぽフリフリ

小木港から約2km、変化ある海岸美の光景、矢島・経島に着きました。その名にある2つの小島がメインの景勝地です波

ビジターセンターもあり、佐渡南部の観光地として欠かせない場所となっています宇宙人

↑遊歩道が両島へ続き、南佐渡の海岸美が間近に楽しめる名勝です^波

そして、ここでもたらい舟が楽しめます。

小木港よりここのほうが景色良いかも^グッド!

↑たらい舟の"艇庫"

元々は、佐渡で貝類や海藻を獲る沿岸漁業のため使われていたものですが、いつの頃からか観光にも利用され始めたとの事。観光用のたらい舟は客用の席が3人分程あり、漁業用のものより一回り大きいそうで、ちゃんと"観光専用仕様"になっているとの事です目

 

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さらに小木半島を進み、宿根木集落へ入りますクローバー

海岸も美しい宿根木ですが、ここの特徴は、佐渡でここだけという独特の雰囲気を醸し出す街並です。どんな街並なのか、Wo号を停めて集落内を歩きます男の子

集落内へ一歩入ると、木の板張りオンリーの家屋が並びます家

そして、縦横に延びる激狭の路地、迷路のような街並が宿根木の魅力でもあります女の子

約1haの集落に、約110軒の民家がひしめき合う宿根木、佐渡の他集落には見られない密集ぶりで、廻船業や船大工等、船に関連した仕事を業とした人々が形成した集落だそうです(※国重伝建造物群保存地区)

家の外壁に使われている木板は、船を解体した際に出た木材を流用したものがあるとの事船

街並は、廻船や漁業で栄えていた往時をとどめる形で保全され、佐渡南部きっての名所です(※駐車場は集落入口と海沿いにあり)

↑船板を使用している家。現地解説板には"腰板"とあり、船に使われる間にはフナクイムシに食われるので数年で取替える必要があるとの事。しかし建材的にはまだ充分使えるので、家屋の外壁に転用されてきましたてんとうむし

集落の奥には公民館が^

宿根木のHP(※あるんです)によると、佐渡の文化は『国仲の公家文化』、『相川の武家文化』、『小木の町人文化』の3つに大別されるそうです。

相川については前作までのシリーズでご覧頂いた通り、金山を治める奉行所を中心に据えた街でした。又、同島の中心地となっている国中平野は、先程松ヶ崎のところで日蓮上人が国中平野にあった収容施設へ配流された話も書きましたが、順徳上皇ゆかりの御陵(※後程行きます)もあったりと、公家/皇室関連の旧跡もあります。

 

一方、ここ宿根木のある小木地区は、廻船の寄港地として栄えた"経済の地"、いわば商人中心の文化だったそうです。勿論、金山の富が佐渡へ人を引き寄せたというのもありますが、佐渡南部の人々はそれだけにとどまらず、廻船で全国へ商いに打って出ていたそうです波

 

宿根木集落の一番奥には、時宗の古刹・称光寺があります。

同寺の↑山門は1713年築との記録があり、集落で最古の建築物との事。

廻船業で栄えた富を、高度に集積した集落へと築き上げていった宿根木の街並、まさに佐渡文化の奥深さを今に伝え、今も生活の息吹を保つ街です星

宿根木の家屋の中で特に有名な、↑"三角家"。路地の形に合わせて三角形になっています。元々は四角だった建物をここへ移築してきた時、三角形に改造したそうです(驚)

1846(弘化3)年頃の築との事です。

集落内には称光寺川が流れ、そこに架かる石橋は瀬戸内から運んできた石材を使ったものもあるとの事、又、屋根の瓦は能登半島からのものだといいます。かつては佐渡の富の1/3程が集まっていたという宿根木、今もその栄華をとどめます。

印象深く不思議な感じもする、宿根木の集落でした・

 

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宿根木を出て、小木半島の西端、即ち佐渡島最西端を目指すんですが、その途中に~

『犬の形をした岩がある海岸』というスポットがしっぽフリフリ

↑看板の向こう側の海を見ると~

崖の割れ目に・

お~

たしかに、↑ワンちゃんの後ろ姿です^

その名も『犬岩』だそうですわんわん

 

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小木半島の端まで来ました虹

ここにも、お約束の灯台です^ひらめき電球

灯台の手前に、↑"岡ノ平遺跡"と銘記された広い空地がありました。ここ"遺跡"とはいっても太古のものではなく、幕末に佐渡奉行所が外国船への警戒のため築いた台場の跡との事です。

しかし近世のわりには残っている史料が少なく、史跡指定は2004(平成16)年と近年です。特異な形状の施設跡等が全国的にも稀少だとの事で、大切に保全されています(※佐渡市史跡)

そして灯台、沢崎鼻灯台です。佐渡島最西端地点ですひらめき電球

(※1928年初点)

↑橙光会看板によると、歌人・与謝野晶子も当地を訪れ、

《沢崎の 灯台に身を なぞらえて はし鷹立てり 一つの岩に》

と詠歌したそうです。さい果て感が伝わる歌ですね・キラキラ

佐渡最西端から見る日本海、白波が岩場に打ち付ける美しい海岸美が広がります波

 

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沢崎鼻からは方向を北に変え、国道350号を上がっていきますDASH!

↑国道標識の下の地名に"西三川"とありますが、当地を流れる川で平安末期、佐渡で最初の砂金採取が行われた記録があるとの事です¥

ゴールも近くなってきましたが、シリーズ中毎回通っている佐和田地区の南方、真野地区にさしかかりました。ここでラスト立寄りです。

当地には、"真野御陵"という、皇室関連の旧跡があります。

なぜ佐渡島に?という事ですが、これからみていきますヒツジ

 

御陵入口にあった土産店の外に、↑赤い庭石が展示販売されていました。これ『佐渡赤玉石』といい、石英の一種だそうです。赤を"魔除けの色"として、佐渡の家庭によく置かれているとの事です宝石赤

土産店から少し歩くと~

石垣に囲まれ、周りとは雰囲気が異なる緑深いエリアが見えてきます霧

『真野御陵』です。

↑入口です。入ってみます男の子

現在も宮内庁管理のようです。

入れるのは入口からホンの少しだけで、その先は↑木の柵で固く閉じられています。各地にある皇室関係の陵墓と同じ雰囲気です。

 

・で、この真野御陵は誰のお墓か?という事ですが、ここで少し纏めておきます。

 

真野御陵、正式名は、『順徳天皇御火葬塚』といい、佐渡へ配流中に亡くなった第84代天皇、順徳天皇(※薨去時上皇)が荼毘に付された場所とされています。祀られているのはここの近隣にある真野宮との事です。

 

ではなぜ、都にあるはずの天皇が"島流し"などという穏やかでない事態になったのか?ですが・

順徳天皇が即位していたのは1210-1221年、鎌倉時代に入り、既に武家が国を治める世になっていました。

とはいえ、まだ平安期までの1000年に及んだ朝廷政治の残滓も生々しく、朝廷vs武家の勢力争いも残っていた時代で、アノ後鳥羽上皇が院政を敷いていた時期でもありましたあせる

 

朝廷と鎌倉幕府間がキナ臭くなり、後鳥羽上皇は鎌倉幕府第2代執権・北条義時を討つべく承久の乱をひき起こすも失敗。後鳥羽上皇と共に、倒幕に傾き乱に参画した順徳天皇(※乱に備えて既に譲位していたため上皇になっていた)は、乱の失敗後、鎌倉幕府の沙汰により佐渡へ配流。帰京は叶わず、ここ佐渡で生涯を終えたとの事です。

 

この佐渡という地が古来から、本州と遠く離れているにも拘らず、政治/経済/文化のあらゆる面で濃厚に、日本全体の歴史とリンクしていた事が、島内各所を廻る中で実感できました波

柵の前から望遠で、↑陵の方向を撮る。菊のご紋がある鳥居付の門が確認できます。思いがけず佐渡島にもあった"菊のカーテン区域"でしたあじさい

 

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そして~

夕刻、国中平野まで戻ってきました!

これで前作/今作あわせて、島を二日間で8の字状に一周した事になります。Wo号佐渡一周、完了です^^クラッカー

宿に戻ると、ニャンコが先に寝床で待っていましたwネコ

 

今作ここまでです!

次作・第5回で今シリーズ最終回です。次作では、これまで出さず温存しておいた^、"佐渡を語るにこれは欠かせない"、国際保護鳥・トキ関連の名所を訪問し、トキについてたっぷりおおくりして有終にしようと思います。お楽しみに^グッド!