vol.421 "ついに廃止決定" かつて北海道経済を支えた幹線・留萌本線に乗る(留萌街ブラ付) | 旅ブログ Wo’s別荘

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 この夏、北海道へ行って参りました雪の結晶

昨年はツーリングでしたが、今年は鉄道で訪ねました。当初の目的は、北海道新幹線開業に伴い廃止が決まった函館本線の通称『山線』(※小樽~長万部)にのんびりと乗る事でしたが、出発直前になって”緊急案件”が飛び込んできましたあせる

 

 留萌本線(※深川~留萌)のうち、石狩沼田~留萌間が来年(2023)に部分廃止がほぼ本決まり?という話が聞こえてきて、「えらいこっちゃ!」という事で、急遽日程を変更して乗ってきました。同線の現状と歴史、そして勿論Woの意見も書いていきます。また、留萌市内のプチ街ブラも付けます。ではスタート^ヒツジ

早朝の札幌駅、ここから~

札幌駅の朝は意外と遅く(笑)、同駅発の一番列車は5:50発の新千歳行・快速エアポート、その次が僕がこれから乗る、6:00発の函館線・旭川行普通です電車

ホームへ上がると早速やってきたのが・・

↑北海道名物、僕の大すきなキハ40です^^

旭川まで電化されている函館線ですが、だいぶん以前から札幌発朝一の便はディーゼルカーで運転されています。多分、旭川から奥で使われているDCを苗穂工場へ出入場させる役目を兼ねているものと思われますかたつむり

なお、札幌~旭川間を走り通す普通列車は、現在一日この1本だけですウサギ

2両編成、18キップの時期なので激混みかと思って覚悟してたんですが、札幌発車時は各ボックス1名確保という感じでした^

夜明けの札幌駅を出たキハ40は~

朝の石狩平野をひた走り・馬

約2時間20分であせる深川駅到着

(※所要時間、特急より倍近くかかりますw)

北海道の主要駅は、ホントどの駅も広々としています。

その片隅に・

留置線に1両、キハ54が停まっていました。留萌線用だと思われますてんとうむし

留萌線の発車まで時間があるので、一旦改札を出て、駅前を少し歩いてみます男の子

絵心のある駅員さんがいると思われます、↑ホワイトボードの機能を120%生かした案内掲示^^星

駅舎は↑です。北海道っぽい感じがします^

駅から東側へつづく、広い駅前通りヒヨコ

途中に、元銀行だった建物を改装した、地域交流センターがあったので、ネタ取りにおじゃまします^

『プラザ深川』ですブタネコ

(※後程調べるとこの建物、アノ拓銀の深川支店だったそうです)

内部は、↑1Fは休憩等も出来るロビーや情報コーナー、2Fは貸し会議室等になっていますお茶

バス停の案内や時刻表も完備されてましたが、↑の通り深川駅周辺のバス停は行先や会社により7ヵ所にも分かれていて、これはもう少し改善の余地がありそうです・あせる

地元紙・北空知新聞が置かれていましたが・・

置いてあった三日分のうち、↑二日分のトップ記事は、これから乗る留萌線の廃止に関してでした。地元の関心の高さが窺えます。

 

 既に全国でも報道されていますが、この度JR北は地元に対し、留萌線のうち2023年で留萌~石狩沼田間を部分廃止し、残る沼田~深川間は2026年で廃止するという”2段階廃止案”を示しました。

 

留萌線沿線4市町のうち、留萌市は既に廃止容認の姿勢です。あとの3市町(※深川市・秩父別町・沼田町)は反対の立場で、JRはこの「温度差」もくみ取った上で上記の案を提示したと思われます。

 

現地で同紙を読んでわかったんですが、上記の「反対3市町」の間にも微妙な温度差があり、特に同線存続に積極的なのが沼田町です。同町から深川市方面へ通学している高校生が多く、また沼田町では鉄道を生かした街づくりを以前から推進していた事もあり、JR北はその辺も考慮して『沼田までは3年間猶予』案を出してきたんでしょう。

 

たしかに3年間あれば、今後どうするかの協議を行う時間がとれる事は大きく、特にもし、来年春に沼田~留萌間の部分廃止を地元の方々が身近で目の当たりにすれば、その衝撃が大きな力になって協議がより良い方向へ向かうかもしれません。↑同紙記事中でも3市町長とも「JR北には配慮してもらった」と発言しており、今後の協議を見守りたいと思います・本

留萌線について続きは後程乗ってからとして、駅前通りを引続き歩くと~走る人

石狩川の橋に突き当ります。

 

留萌行の発車時間が近づいてきました、駅へ戻りますリサイクル

 

-*-*-

↑深川駅の時刻表です時計

留萌線は日7本という寂しさですが、函館本線にしても、特急はほぼ毎時1本あるのに対し、普通列車は日9本と、留萌線とそんなに変わりませんあせる

 

函館線は小樽~岩見沢間に関しては『札幌近郊区間』という事で多数運転されていますが、岩見沢以北では本数激減、昨今の地方路線の典型である『普通より特急のほうが多い』ダイヤとなっています叫び

跨線橋からホームへ下りると~

朝、留置されていたキハ54がスタンバってました^グッド!

1両編成ですあせる

車内は↑”集団見合い型”クロスシートです(※手動転換は出来ません)

これから留萌まで約50km、1時間強の旅へ出発ですかたつむり

旭川から来た普通列車の接続をとって・・

出発です!

留萌線に乗るのは、2007年に当別荘初の北海道企画で乗って以来ですw^あせる

留萌線は、函館線の西北側から札幌方へ向けて発車した後、分かれてゆきます右上矢印

深川を出てすぐ、車窓に広がるのは、↑北海道ではそんなに多くない光景といえる、『田んぼ』ですカエル

ここ北空知は、北海道で随一の米どころとの事。『ゆめぴりか』等の道産ブランド米も作られているとの事ですおにぎり

1駅目は北一已(きたいちやん)駅、いきなりの難読駅です^

その次は~

秩父別(ちっぷべつ)駅、ここも難読ですあせる

秩父別駅、開業当初は『筑紫駅』という名でした。筑紫駅といえば今では西鉄ですが^^、北海道にも同名の駅があったんです。駅名の由来は”秩父別”も”筑紫”も同じで、アイヌ語の源名「チㇷ゚クㇲペッ」(※舟が通る川)からきているとの事です船

 

↑3駅目・北秩父別駅は、北海道ローカル駅名物の”朝礼台駅”(※2両分程しかない木造ホームだけ)ですあせる

4駅目が、途中主要駅格の石狩沼田駅です。かつては札幌からの札沼線(※現学園都市線)がここまで延びていました。その札沼線も先日、新十津川~北海道医療大学間が廃止されました(※札沼線、過去作で訪ねてますのでラストにリンク貼っておきます)

石狩沼田で多少降車客があり、1両編成なのにガランとした感じに汗

↑離合線も近年撤去され、”寂しい主要駅”となってしまってます・

沼田を出ると、田んぼは少なくなり、車窓は荒涼とした光景となってきます霧

沼田の次・真布駅も”朝礼台駅”あせる

いかにも”北海道”といった同駅の佇まい、鉄ちゃんは窓に釘付けとなります^^

真布を出ると、次第に地形が山がちになってきますクマ

その次は、恵比島駅なんですが・・

駅名標には、↑”明日萌駅”という駅名ひらめき電球

この駅、NHKのドラマでロケ地として使われ、その際の架空の駅名”明日萌”のセット等を観光資源としてそのまま残していますカチンコ

恵比島を出ると、山地の中を走る感じになりますとかげ

恵比島の次の峠下駅は、現在同線に残る唯一の離合可能駅ですヒヨコ

その次の↑幌糠駅は、これまた北海道でよく見かける『車掌貨車を再利用した駅』

ちなみにこの幌糠駅の両隣には、東幌糠駅と桜庭駅があったんですが、JRへ転換後、乗客減少を理由に廃止されています・

藤山駅には、↑風格ある木造駅舎が残ります家

そろそろ終点・留萌が近づいてきました。

留萌のひとつ手前が↑大和田駅ですが、貨車駅舎がホームからすごく離れた所に置いてあります。こういう土地の余裕も、やっぱり北海道ですw

留萌が近づくと、深川留萌道の高架をくぐります。当別荘でも過去のツーリング作で通ってますが、この高速道の開通により留萌へ車でのアクセスが画期的に向上し、同線の廃止論議へ拍車をかけた一面もあります叫び

留萌の街並が見えてきました目

留萌川を渡ると~

終点・留萌駅に到着しました!

深川から約50km、”本線”とは名ばかりになってしまった、超ローカル線でした^カメ

かつて地域の中心駅だった風格をとどめる、広い1番線ホーム

改札口廻りも広々としています。現在(2022)みどりの窓口もある有人駅ですクローバー

待合室も完備、駅そば店もあり、今も主要駅としての機能を保っています。

↑は、改札横で待っている同市キャラクターの『KAZUMOちゃん』^

留萌市はカズノコの加工生産高が日本一という事にちなんだゆるキャラです^グッド!

待合室の片隅に、↑留萌線の歴史を紹介する写真コーナーがありますカメラ

1910(明治43)年開業の留萌線、当時はニシン等の水産業や天塩各地の炭田、また林業等多くの貨物需要があり、北海道日本海側でもひときわ活気があった留萌・羽幌線沿線、貨物/旅客輸送の両面で大いに活躍してきましたキラキラ

多くの人が、出会いと別れの場として、この留萌線で訪れ、そして旅立ちました波

↑往時の運賃表も残されていますサーチ

現在は”終着駅”の留萌駅ですが、2016年まではここからさらに日本海沿いの増毛駅まで延びていました(※当別荘初期作で訪れています、末尾にリンク)

また、国鉄末期までは留萌から分岐し、北へ延びていた羽幌線もありました(1987年廃止)

さらには1967年に廃止された天塩炭鉱鉄道も入れれば、留萌駅から3線もの路線が分岐していたターミナル駅だったんです時計

天塩の石炭を運び、また自らも石炭の力で走っていたSL、今ではホント、過去のものですね・(※架線が写っているので、深川駅での撮影と思われます)

↑に写っているSLは『D61』という、当地の留萌線・羽幌線にだけに走っていた形式です。市内の公園に1両保存されているとの事なので、後程見に行きますDASH!

↑留萌駅です電車

古びてきてはいますが、支庁(※現振興局)所在地駅としての貫禄充分な駅舎です。

次の列車がある3時間程、プチ街ブラです。↑駅前通りを市内へ男の子

駅から歩いて5分位のところに、↑観光案内所があります。駅には現在無いので、現地情報の仕入れはここでベル

お土産も豊富に売ってるので、列車で留萌へ来たら立寄り必須です^

静かな駅前通りは、やがて突当りになり・

そこに公園があります。見晴公園といいます。

この公園に~

先程駅で古写真を見た、D61が保存されています。

お~

公園の緑を背景に、黒のボディが映えます^^キラキラ

D61は、ご存じ・D51(デゴイチ)を改造して出来た形式です。やや幹線向きのD51の従輪を1軸増やして軸あたりの軸重を軽減し、ローカルな線路にも乗入出来るように改造したものです。とはいえ性能はD51が種車なためパワーがあり、羽幌線沿線の石炭輸送用に6両つくられました。

1975年廃車、わずか6両の形式だったのもあり、現存するのは全国で↑の1両だけという貴重な車です星

屋根が付いてませんが、冬季は巨大なカバーをスッポリかぶせて雪から守るそうです(※大峠シリーズ、名寄で登場した「キマロキ編成」もそうしてます)雪

市街中心部に入ってきました走る人

沢山の店が並びます。駅は市街からやや離れた所にあり、駅から中心部までは1km程ですビル

↑不意に陸橋のような橋を渡ったので、下を覗き込むと~

線路が!

2016年に部分廃止となった、増毛への線路です。

草むすに任せた線路、廃線の悲哀が感じられます。来年、留萌~沼田間もこうなってしまうのか?・・

市街地が途切れると、港が見えてきます船

”望洋遊園”という公園(※というか空地)あせる

旧留萌築港の灯台が保存されています。

灯台の傍らには由来碑も。詳細は割愛しますが、留萌の方々の郷土愛を感じますドキドキ

望洋遊園からは、↑留萌港が一望できます目

天然の良港として知られます。

歴史ある倉庫群もあります。全国多くの港で観光施設に改造されているのをよく見ますが、留萌では今も現役の倉庫ですロボット

 

留萌市街の西端、黄金岬まで来ました。↑見えてきた建物は、『海のふるさと館』です波

西に日本海をおく留萌は、夕陽がきれいな街でもあります虹

海のふるさと館をチラッと見学しますヒツジ

岬すぐの高台の上に建っています。

”昭和の留萌”映像を、昭和っぽいTVが映し出してます^テレビ

↑常設展示室と企画展示室の2室があり、留萌の歴史が学べますメモ

常設展示を少し紹介しますグッド!

お~

けっこう本格的^

漁業と鉱業で繁栄を極めた、留萌の歴史をわかりやすく展示目

幕末の探検家・松浦武四郎も留萌を3度訪ねているとの事。彼は『北海道』を名付けた人物といわれます王冠1

”留萌”の名の由来は、↑『ルルモッペ』(※アイヌ語で、潮の満ち引きが、静かに川の奥深くまで入る)との事です。幕末には箱館奉行直轄地となり、街の基礎がつくられました旗

「日本海の成り立ち」を太古の地殻変動から解き明かすパネルもあり、コンパクトながら格調高い展示でしたグッド!

同館のバルコニーからは・

黄金岬、そして日本海が望めます宇宙人

↑増毛方面まで見渡せます。海と山の幸に恵まれて発展してきた、留萌の歴史にしばし思いを馳せます波

残念ながら夕陽の時間までおれなかったので、↑観光ポスターでご覧下さい^^

そろそろ、駅へむけて戻りますリサイクル

駅裏に、一昨年(2020)出来たばかりの道の駅があるので、行ってみます。前回留萌へツーリングで来た時にはまだありませんでした。

『道の駅 るもい』車

駅のすぐ裏とは思えない程の広大な敷地、さすが北海道^

船場(ふなば)公園の一角にあります(※この公園もまた広大)

おじゃまします・

館内には子育て支援施設もあり、地域の方々の交流拠点としても使われています女の子

売店は附属のプレハブに、キッチンカーとかもあり、勿論観光客も楽しめますプレゼント

↑留萌名物、この自販機ひらめき電球

留萌名物”固すぎるプリン”や、”ニシンパイ”、”数の子の缶詰”も売られている、おそらく日本唯一の品揃えですw^^グッド!

そんな道の駅の端まで、留萌線の線路が延びてきています。

↑ここが、深川から50km、留萌本線の終端です。

そして、終端の先には・・

線路が途切れたその先には、↑増毛方面、そして旧羽幌線の廃橋脚が残されていました・

この光景、本当に来年で無くなってしまうのか?

なにかの間違いだと思いたい気持ちです。

留萌駅へ戻ってきましたリサイクル

改札を待つ、列が出来ていました。

留萌駅、構内放送にはBGMが流れるんです。『夕陽』という曲だそうです。駅の雰囲気に合う、ほのぼのするメロディーです。Youtubeで検索すると出てくるので聞いてみて下さい♪

往路と同じ、キハ54が待っていました電車

北海道の駅は、札幌も含めて基本発車ベルはありません。車掌さんが吹く甲高いホイッスルの音が発車合図です。

名残惜しいですが、発車時間がきました。

留萌線はワンマンなので、運転士さんが吹く笛の音が1番線に響きわたりますベル

ゆっくり動き出すキハ54、遠ざかる留萌駅・

これが僕にとって最後の、留萌線の旅になるんでしょうか、かつて北海道経済を担い、”本線”と名の付く路線がこの現状・

 

ホント日本の鉄道、こんな状態に任せたままでいいんでしょうか、僕は頭の中クエスチョンマークです汗

 

 そもそも、本来なら一番強く反対するべきな終着地・留萌市が、なぜ早々に「転換容認」したのか?ですが・

それは深川留萌道の開通による高速バスの利便向上、そして沼田町等とは異なり、市内に高校があるため、通学利用が少ない事。大半の高校生が留萌線で深川方面へ通う沼田町とはここが違います。

僕が一縷の望みをあえて言うなら、3年間の猶予が決まった沼田~深川間を、何とか残す方策はないものか?という事。

 

留萌線に限らず北海道のローカル線はもう全てが「限界」にきており、もはや民間企業のJR北に丸投げする状態ではありません。国と道は、上下分離を真剣に検討する等、一刻も早く具体的な方針を出してほしいです。

現在復旧に取り組む九州の肥薩線や、JR西が転換方針を打ち出した中国地方の各線では、各県の知事が積極的に動き、未来の鉄道を考える動きを見せています。それに比べ北海道は、知事の姿勢が今イチ見えてこないのも気になります。

北海道の開拓は、元々鉄道とともに始まりました。採算や乗客数では計れない、かけがえのない国土保全ツール『鉄道』を守る時は、まさに今です。北海道がその先頭に立つ事を、強く期待するものです・虹

 

☆関連作リンク

(※当別荘で留萌を訪ねるのは、↓2007、11年につづいて今作で3回目です^^)

vol.11 北海道旅②【鉄分あり・後編】 | 旅ブログ Wo’s別荘 (ameblo.jp)

 

vol.94 プレ100回記念 北海道大ツーリング② 留萌~日本海オロロンラインをゆく 最北へ | 旅ブログ Wo’s別荘 (ameblo.jp)

 

vol.217 さらば”はまなす”緊急札幌弾丸ツアー(後編)鉄道にみる北海道の光と影・&はまなす | 旅ブログ Wo’s別荘 (ameblo.jp)