【大峠をゆく・第5章】、山口県大ツーリング、5回目です^
・シリーズ初回に「4~5作のシリーズになると思います」と書きましたが、今作から入る長門市、実は前作の萩市を上回る写真枚数を撮ってきていて、編集をすすめるうち、とても1作で収まらない事が判明しました
山口ツーリングシリーズ、今作で既に⑤ですが、⑥までいく事が確定しました(笑汗)
もう一つぶっちゃけると、実は出発前、長門市は予定に入ってなく、別の街へ行く予定でしたが、山口市で2泊する間に宿でいろいろ検討した結果、『萩へ行くんなら長門市も行かなきゃ』という事になりw、急遽走ってきた次第です^
前作の萩に続き、山口県日本海側もう一つの主要都市・長門市を今作と次作でご覧頂きます
なおこの長門市で、今シリーズのラストシティです・
(※取材は昨年10月です)
なお、萩は主に徒歩で市街地を廻りましたが、長門市は郊外に名所が多く、Wo号が活躍、萩よりツーリングらしく(?)なっていますw
ではどうぞ・
山口市を拠点に廻っていた今ツーリング、2泊していたのは山口の名湯・湯田温泉でした。↑JR湯田温泉駅です(※山口駅の隣)
駅前の巨大な白キツネの像が印象的ですが、湯田温泉は「白狐の湯」とも言われています。
その昔、旅の僧が、白狐が池に足を浸している様子を見つけ、その池を少し掘るとお湯がこんこん(←キツネと掛かっていますw)と湧き出たという伝説からとの事です
・という事で、観光案内所も↑”狐の足あと”
カフェや土産店も併設、3種類の足湯もあり、湯田温泉散策の時は是非立寄りたい所です
2Fで『SLやまぐち号展』をやってたので見ていきます^
1979年、国鉄の頃から運行され続ける、全国のSL保存列車の先駆者ともいえるSLやまぐち号、湯田温泉駅にも停車します。
↑写真、”貴婦人”の愛称で有名なC57形機が当初からメインで牽引しています。予備機としてD51(デゴイチ)も使われますが、(2021秋現在)なんと両機とも不具合が見つかり、京都・梅小路で修理点検中です(※そりゃもう年ですからね)
そのため・・↓
↑そういう時には、下関からディーゼル機関車が応援に駆け付け、『DLやまぐち号』として運転されます。しかしこのDD51型にしても、もう全国に数両しか残ってないという超レアな機関車で、かえってこれに乗りたいという人もいる位の貴重な人気者です^^
温泉街には大きなホテル・旅館が立並びます
詩人・中原中也は当地の生まれで、狐の足あと前には↑記念館もあります
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そろそろ「今作は長門市へ行くんじゃないのか」とお叱りがきそうなので、湯田温泉をあとに長門市へ向かいます
途中、↑道路を横断している巨大なコンベア(?)が目に入ってきました
お~~
田んぼの中を延々とつづく、謎のコンベヤ
どこまで続いているんだろう・・
↑後日調べるとこれ、秋芳鉱業という会社が、美祢市で採掘した石灰石を、これから行く長門市の港まで運んでいる全長16.5kmもの長大コンベアだそうです。美祢市の石灰石といえば、シリーズ③で訪ねた秋吉台ですが、改めてその埋蔵量、そして宇部興産の専用道路とかもそうですが、山口県の産業のビッグスケールに感じ入った次第です・
JR美祢線に並行する国道316号、美祢市と長門市を隔てるのは大ヶ峠、当別荘『大峠をゆく』にふさわしい(?)地名です^^
峠を下り、今シリーズで訪ねるさいごの街、長門市へ入っていきます
市街地へ入りました、↑長門市役所です
人口約3万、萩とともに山口県日本海側の要衝です
まずは当別荘流という事で、JR長門市駅から訪ねる
山陰線主要駅の一つ、ここから美祢線が分岐します
改札ごしに見える広い構内に、国鉄時代の栄華が感じられます。
しかし、前作の萩駅のところでも書きましたが、山陰線の益田~下関間には現在、定期の優等列車は運転されていません
僕は国鉄の頃に博多~新大阪間(!)を山陰線経由で丸一日かけて運転されていた特急”まつかぜ”で走破した事や、また、国鉄末期に”日本一ロングランの普通列車として有名だった、門司発福知山行の客車列車で18時間余揺られて(これは辛かった^^笑)乗り通した事等、山陰線には僕いろいろ懐かしい思い出がありますが、その時にもこの駅を通っていたはずです。
まつかぜには食堂車が付いていたり、ロングラン普通は途中駅に小1時間位停まる場合もあり、途中下車して駅前を散歩したりと、国鉄時代の旅はホント、今はない楽しさがありました
↑現在、長門市駅からは山陰線・美祢線とも、朝夕を除けば2時間毎位の運転です。しかもその多くは、単行のDCワンマン列車です。
なんとも寂しい限りですが、↑時刻表よくご覧下さい、『4方向』に分かれてますよね
そのうち3つは山陰線上下と美祢線ですが、もう一つは『仙崎方面』、ここから、港のある仙崎駅まで”1駅だけの支線”が出ています(※山陰本線仙崎支線)
↑駅前通りですが、これからその仙崎駅を訪ねたいと思います。併せて、そこから橋で繋がっている青海島へも行ってみます。今作はこれがメインとなります。よければお付き合い下さい^
日本海沿いに2km程走ると~
ちょっと黒っぽい、木造駅舎が見えてきました
仙崎駅です。長門市駅から2.2km、1駅だけの盲腸線です。
現在は、朝夕中心に6往復だけの運転です
”自動改札って何?”と言わんばかりのw改札口^^
1線のみの終端駅です(※無人)
当初は”美祢線の支線”として開業しましたが、山陰線の全通時に同線へ編入されました。
路線図ご覧頂くと↑こうなっています。地図上が、このあと行く青海島です
こういう「メインの線からヒゲのように伸びる盲腸支線」ですが、かつては全国に散見されました。現在残るのは、兵庫・神戸の和田岬線(※山陽線の支線)や、大阪・堺の羽衣線(※阪和線の支線)、神奈川・川崎の浜川崎支線(※南武線の支線)、岩切~利府(※東北線の支線)等、数路線があります
かつては・・
▽大峠第2章の北海道で訪ねた、中湧別~湧別の支線(1989廃止)
▽砂川~上砂川(※函館本線/1994廃止)
▽寒川~西寒川(※相模線/1984廃止)
▽姫路~飾磨港(※播但線/1986廃止)
等や、今シリーズ③で訪ねた美祢線の大嶺支線(1997廃止)等、沢山の枝線が全国にありました。
これらの線が「独立した線区」でなく、なぜ「附属の支線」になっていたのか?は、様々な地域事情や歴史的経緯があり、これらを調べるだけでも鉄道史の面白さを味わう事が出来ます
そんな、レアな盲腸線の仙崎駅ですが、土日に1本だけ、ここまで観光列車が乗り入れてきます。それは~
その名も『〇〇のはなし』号^^
週末を中心に新下関駅~東萩駅間を走り、ここ仙崎にも長門市駅でわざわざスイッチバックして乗入れます。2両編成DCの専用車両を使い、展望座席を備え、日本海を眺めながら食事も楽しめるようになっています
前述の通り、山陰線の山口県区間は特急/急行が全廃されてしまったので、この「〇〇のはなし」号が唯一の優等列車という事になります。快速扱いなので指定券のみ必要です(※全車指定)
↑この列車でのんびり萩観光、というのもいいかも
・なお、この区間で運転される観光快速の歴史は古く、かつては客車列車の『萩・長門ブルーライナー』が運転されていました。
その後、観光用に改造したDCに衣替え、『みすゞ潮騒』号へ引き継がれ、2017年から更にリニューアルして『○○のはなし』号になった、という訳です
ちなみにこの一風変わった列車名ですが、「は/な/し」は経由地の萩・長門市・下関の各々頭文字、「○○」は、乗客それぞれの旅ストーリーをつくって楽しんでほしい、との思いが込められています
JR九州でよくある観光列車に近い感じで、まぁ九州に近い山口なので、テイストを採り入れているのかもですねw
仙崎は、童謡作家/詩人で有名な、金子みすゞ(1903-1930)の出身地でもあります。わずか26才の人生の中で、沢山の作品を残しました。
東日本大震災時よく流れたACのCM「こだまでしょうか」や、「みんな違って、みんないい」も彼女の作品です
ではこれから、金子みすゞを育んだ仙崎の目と鼻の先にある↑青海島へ行きます
青海大橋で、長門市内と繋がっています
島に入ると、海がぐっと近くなります
まさに、青い海の中にある島、名前の通りです^^
島に入って早速、学校が見えてきました。廃校となった小学校のようです。ここは・・
校門には↑『青海島共和国』の看板が!
青海島は日本から独立していたのか?w
なんと憲法まで制定されてるようです。バイクを校門に停めて、おじゃましてみようかと思った、その矢先に・・
学校から男の人が出てきて、僕のほうに近づいてきます
「すわ、不法入国で逮捕されるのか?」と身構えましたが(笑)、そのかたがおっしゃったのは・・
『バイクを校舎の真ん前まで乗っていって下さい!是非、中を見学していって下さい』とのお誘いw^^
都内ナンバーのバイクに相当驚かれたとの事^
旧・青海島小学校、2006(平成18)年に廃校となりました。
その跡に、島内外の住民の交流拠点として民間団体が借り受け、『青海島共和国』として校舎を生かした諸活動をしています
校舎内に入ってみると~
なんか、いろんな物で溢れています^^
教室は”国立博物館”に!
各教室、そして廊下にまで、島の歴史と現状、そして人々の生活と交流の歴史を沢山の史料・実物・写真で展示しています
元調理室は、魚料理の体験コーナーとして活用
講堂も会合やミーティングに使われています
とにかく、いろんな「物に溢れている」共和国でした。詳しくは、同共和国のHPを参照して下さい^^
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旧小学校を出て、島の奥へ進んで行きます。東西に長ぼそい島で、東端の「通」集落まで約8kmあります
本州側に面したほうの堤防が低めで、ホント海を間近に見ながら走れる青海島です^
通(かよい)集落にさしかかりました
大きな漁港があります。
通漁港です。魚種が豊富なことでも知られます
↑シラスorちりめん(?)をいっぱい干してました
そんな漁業の集落・通には、博物館があります↓
↑屋根に大きなくじらが乗っているのが、「くじら資料館」です。
通では、江戸初期~明治後期まで古式捕鯨が行われていました。日本捕鯨発祥地の一つといわれています
館内には、国の重要民俗文化財に指定されている捕鯨用具や、日本が主体性をもって捕鯨をしていた頃の史料が展示されています。
↑館の前には、鯨のモニュメントと、日本水産から寄贈された捕鯨砲が置かれています。
そして通には、↑捕鯨された鯨を供養する「鯨墓」があります。行ってみます。
集落の裏手、丘に登ったところにあります
石段を登りきると、石柱(墓石)と解説板が・
鯨墓です(※国史跡)
通の鯨組(捕鯨人)は、海の恵みに感謝しながらも、常に鯨の生命に対しての哀れみに胸締め付けられるという複雑な思いの中で、捕鯨を生業としていたそうです。特に、妊娠していて胎児を孕んでいた鯨には哀情著しく、その霊を弔うためこの墓碑を建立したとの事です。
墓石には、”本来、おまえたち胎児を捕るつもりはなく、海へ放してやりたい。しかしお前ひとり(胎児だけ)を放しても、とても生き得ないだろう。どうか念仏回向の功徳をうけ、諸行無常の悟りを開いてほしい”という意の文が刻まれています。(※現地解説板、及び、通のHPによる)
通には、鯨の過去帳や鯨位牌が伝わり、また鯨法会(法要)も行われているという事で、人間と同様の弔いをしていました。
日本の古代捕鯨は、生命への慈しみを最大限に尊重し、節度の上にも節度をもって行われてきた、という事を伝える通の鯨墓です。だからこそ、小さなお墓一つのこの場所が国の史跡に指定されているんでしょう。IWCには是非、ここを視察してほしいと思います・
鯨墓の丘からは、↑通の集落や漁港を俯瞰できます
島の東端近く、通の集落は↑のバス停までです。道もここで途切れています。折り返して、次は島の北側をみていきます
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青海島の北側には道路がなく、↑遊歩道で北側の海岸へ向かいます
島の北岸には、奇岩が立ち並んでいるとの事で、これから見に行きます
けっこう山深い
お、風景が開けてきた!海が・・
お~~
絶景でした、10月なのに汗だくで登ってきた甲斐があったw
(※撮影は昨年10月です)
岩の一つ一つに「十六羅漢」「カモメ岩」等、名前が付いています
『海上アルプス』との異名もあるそうです
前作・萩市の海岸とともに、北長門海岸国定公園に指定されています
歴史あり自然あり、味わい深い青海島でした・
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再び青海大橋を渡って仙崎へ戻る。この橋のたもとには・
『海外引揚げ上陸地』の標示、そして解説板。
↑それによると、ここ仙崎は、当別荘でも過去作で紹介した舞鶴や博多港などと同じく、先の終戦に伴う大陸からの引揚げ者受け入れの港として指定されました。1945~46年、約41万の日本人が、敗戦で混乱の中帰国し、先程の仙崎駅や長門市駅から列車で帰郷したとの事です・
(※逆に、大陸からの人々が約34万人、ここから朝鮮半島等へ戻っていったとの事)
・で、青海大橋のたもとには、大きな道の駅があります。
『道の駅 センザキッチン』です
これまで全国あちこちで道の駅を紹介してきた当別荘ですが、このセンザキッチンも”ここ自体が観光名所”になりうる充実ぶりでした
大きな物販棟には長門の名産がこれでもかと並ぶ
仙崎といえば”仙崎イカ”をはじめ海の幸で有名なので、海産物も多数^
・また、↑木組みの天井が印象的ですが、長門市で切り出された木材を使っているそうです。海の幸と山の幸、両方に恵まれている長門市です
青海島への遊覧船もここから出ていて、先程ご覧の『海上アルプス』も船から至近距離で見られます
道の駅にも↑クジラのモニュメントが
海の恵みとともに生きてきた街・仙崎です・
↑道の駅のすぐ近くに、駅のところで詳述した金子みすゞの記念館があります(※仙崎駅からも近いです)
Wo号は仙崎をあとに、次の見学地へむかいます
・今作ここまでです!
次作は長門市その2、さらに郊外へ出て、いろんな「異色の名所」、あるいは「あ、これ長門にあったのか!」というような所を廻ります。はたして、次回で最終回となるのか?編集がまだ済んでないので僕もまだわかりませんw、お楽しみに^^
☆2007年創刊の当別荘、足かけ15年目にして、今作で通巻400号になりました。ご愛読の皆様のおかげです。厚く御礼申し上げます