vol.354 「た」現る 第31の巻 ”奇跡の名園” 横浜・三渓園他 神奈川「た」流ブラ | 旅ブログ Wo’s別荘

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前々作(vol.352)につづき、早くも再び現れたコノ男・・w

 

去る8月末、ここは朝から猛暑の横浜・晴れ

現れました!「た」叫び

今回はJR桜木町駅からスタート電車

 

「た」シリーズ、今月12日にupしたばかりなのに、なぜ矢継ぎ早に今年2作目をやるのか、ですが・・

 

今作の企画、本来は秋(11月)にする予定にしていましたが、緊急事態解除後に行った「た」とのミーティングで、秋以降懸念される第3波や、インフルとの同時流行に備えて『夏の間に2作ともやってしまおう』という事になりました。

今作は”秋企画の前倒し”ですあせる

 

前置き終り(笑)

では出発!

桜木町駅前のバスターミナルから、市営バスで・バス

約30分、↑三渓園入口バス停下車

まずはじめは、ここ”三渓園”へ行きますクローバー

関東のかたにはおなじみかと思いますが、横浜きっての日本庭園ですカエル

バス停から園の入口まで300m程あり、徒歩10分位かかります走る人

僕も「た」も初訪問です。

立派な庭園ときいていますが、はたして・^目

(※横浜市中区本牧)

お~~

広い!

広さ約175.000㎡、この巨大な庭園ですが、公立でもなく皇室からの下賜でもなく、個人がつくったものです(驚)

造営したのは、横浜の実業家、原富太郎。”三渓”は彼の号です。

(※以降、原三渓と呼称します)

 

明治初年、東京湾沿いのここ、本牧に、三渓の義祖父が土地を購入。(※園のパンフによる)

1906(明治39)年に開園、そして驚くべき事に、個人の庭園なのに開園当初から一般公開したとの事なんですひらめき電球

 

・原三渓について詳しくは、後程記念館に寄りますのでそこで後述するとして、まずは庭園をご覧に入れます。

「た」とですが(笑)あせる

入口すぐに↑、蓮池を見るルートが特別公開されているというので、まずそこからしっぽフリフリ

お~~

大きな蓮の葉が、池の水面が見えないほどに盛り盛りですw

蓮の花もきれいに咲いていました。なお、↑の写真左上をご覧下さい、わかりにくいですが遠くに宝塔のようなのが写ってますよね、後程行きますので覚えておいて下さい^グッド!

一般エリアに戻り、奥へすすみます走る人

中央にある大きな池、名は「大池」(まんまw)カエル

当別荘、これまで各地の庭園を訪れてきましたが、必ずメインの「池」があります、中央に池があれば庭園の一番のアクセントにもなるし、癒しの場に水辺は必須なんでしょうね・みずがめ座

「た」が歩いていく先に↑、古い門がみえますもみじ

この門、名はズバリ「御門」といい、京都・平安神宮近くの西方寺から移築されてきたものです。江戸中期、1708年の築との事。

(横浜市指定文化財)

 

これからどんどん出てきますが、この『移築』というのが三渓園の重要なキーワードであり、僕がタイトルに『奇跡の名園』と銘打った所以です。つづいてご覧下さい・

 

この御門をくぐると、”内苑”と呼ばれる同園の中枢部です。これから、その「名園ぶり」を見ていきますキラキラ

内苑に入りました。池があるメインの庭園(外苑)は、前述の通り明治の開園時から公開されていましたが、内苑は戦後、1958年から一般見学が可能となりました。それまでは原家のプライベートガーデンだったエリアですカギ

内苑入ってすぐ、修復工事中の建物が見えましたが・

「重要文化財」の文字が目に飛び込みます。これから見ていく内苑内の建物は、その多くが国重文に指定されているとか。どんな建物なのか・

↑は「天端寺寿塔覆堂」(※国重文)

京都・大徳寺の塔頭・天端寺に、アノ豊臣秀吉が母の長寿祈願のため建立した寿塔を納めていたお堂。1591年(安土桃山時代)の建築とされますが、なぜこんな貴重な建物を、どうやって横浜へ持ってこれたのか・・ナゾの人

同園を造った原三渓という人物に、ますます興味がわきます・

古風な屋根の付いた橋を渡る「た」

・と思ったら、橋の中にある椅子で休憩してましたw椅子

次は~

内苑の端近く、斜面にある建物、これは~

月華殿(※国重文)

京都・伏見城にあった建物で、江戸幕府スタートの1603年、徳川家康が建てさせたものとか。大名が来城した時の控室として使われたそうです。

繰り返しますが、なぜそんな貴重な建物がいま、横浜で僕の目の前にあるのか・・ なんか感覚がマヒしそうな感じです・

この建物、伏見城から宇治の三室戸寺を経て、三渓園に移築されたとの事。写真には写ってませんが、欄間の透彫が有名だそうです。

・ここで話脱線の余談ですけど、『月華殿』といえば、大阪のかたなら結婚式場を想起すると思います(笑)が、僕も友人の結婚式で一度寺田町へ行った事ありますwおひなさま

配置されている灯篭や庭石ひとつに至るまで、三渓の美意識が反映されたものであるといいます・

 

これら、建物の多くは明治~大正期に移築されたそうですが、現在では文化財保護法の関係もあり、いくらお金があってもとても無理でしょうね・

説明看板を、怪しげな雰囲気で読む「た」w

次は↑、木立の奥にひっそりと建つ、風流な感じの庵・

これは、春草蘆(しゅんそうろ)(※国重文)

織田信長の弟、有楽の茶室だったそうで、月華殿と同じく宇治・三室戸寺から移築されましたお茶

なぜか竹やぶに勝負を挑んでいる、意味不明な「た」(笑)叫び

内苑内にはこのほかにも国重文の建築物が複数あります。本作ではこれ位にしておきますので、実際に訪ねてみて下さい^グッド!

内苑へ入る時通った御門と反対側にある、海岸門から外苑に出ます。今では港湾や工場地帯となっている本牧ですが、昔はこのあたりまで海岸だったのかも・波

海岸門付近で「た」がニャンコ発見wブタネコ

次は、内苑に隣接して建つ資料館を訪ねますメモ

三渓記念館

1989(平成元)年にオープンしました

史料室内は撮影禁止だったんですが、ここで冒頭チラッと紹介した同園の創立者・原三渓についてもう少し書きますクリップ

 

本名・原富太郎(1868-1939)

岐阜県の生まれで、進学のため上京、卒業後現跡見学園で教師となる。この「跡見で教師になった」事が彼の運命を動かしました。

教え子だった横浜の豪商の娘と結婚。彼は婿入りし、旧姓青木から「原」へと改姓。その後教員を辞し商業の道へ入った原は、どんどん才覚を顕しはじめますベル

 

原は港都・横浜の地の利を生かし、生糸の貿易で財をなす。一時期はアノ、富岡製糸場も原の会社が経営していました。(※富岡製糸場については過去作、14.12up vol.182の富岡ツーリング参照)

 

・この「婿入り」、言葉わるくて申し訳ないですが”逆玉”といえなくもないですが、でも逆玉であったとしても、本人に才能が無ければここまでの成功は決して収められなかったと思います星

 

また、現在の横浜銀行頭取を務めた時期もあった等、まさに横浜を代表する豪商であった原ですが、一方で文化や美術にも深い関心・関与をしていた人で、展示室内には三渓と交流のあった画家の名前が並んでいました。同園や邸宅に彼らを度々招待し、さらには資金援助もしていたとの事です。

 

横山大観ら、著名な画家が「三渓園グループ」を形成し、この園に集って創作活動をしていたとの事アート

(※原は戦前、美術品のコレクションも凄かったらしいんですが、終戦直後の混乱等で散逸してしまったそうです)

 

原の公徳心は、この三渓園開設にも表れています。原は造園と同時に「広く公開すべきだ」という当時としては画期的な考えを表明し、1906(明治39)年の完成と同時に一般に無料で開放しました。

 

現在、全国各地で旧財閥系の庭園や邸宅が一般公開されていますが、殆どは戦後になってからです。原は早くも明治期から、『文化を一般に広播すべき』という思考の持ち主でした合格

(※現在の同園は、原の遺志を引き継ぐ財団が運営していて、施設維持のため有料です)

 

当別荘では過去作で岡山・倉敷の大原本館等、その地方の名士の足跡を数々訪ねていますが、大抵そういった人は、得た富を文化や芸術に対して支援に拠しています。「本物の富豪」の、世の中に対する役目でしょうね・宝石ブルー

原三渓に関する充実の展示を見た後、ロビーで小休止コーヒー

普段はここ、和風喫茶として営業している場所ですが、コロナ禍の影響で休業中でした・

外苑の屋外売店は営業していましたお団子

昼近くなり、ますます猛暑に、「た」と水分補給お茶

・ここからは、冒頭蓮池のところでチラッと出た、三重塔へ行きたいと思います。園内で一番小高くなっている丘へ登ります右上矢印

”ミニ登山”の様相に、さっき休憩したばかりなのにバテている「た」(笑)あせる

丘の上には~

望楼があります目

松風閣といいます

展望楼へ昇ると~

お~

首都高湾岸線のむこうに、本牧埠頭や工業地帯が一望の下目

かつて景勝の海辺だったここ本牧は今、日本の玄関として出船入船で賑っています・船

松風閣の看板に↑、セミの抜け殻がきれいにくっついていましたw

・さて、件の三重塔は、松風閣の山側にあります

.この塔は、現在の京都府木津川市にあった旧燈明寺(廃寺)から移築されたものです。(※国重文)

塔の脇からは山側が眺望できます。大池のむこうに、マンションが林立する横浜郊外の光景が広がっていますビル

 

三重塔まで京都から持ってきた個人有の庭園・・

ただただ驚くばかりですナゾの人

 

・まだまだ紹介しきれてない三渓園ですが、もう1ヵ所だけご覧頂いておわります

「た」がカメラを向けている大きな藁葺の建物、これは・カメラ

↑ですが、なんと岐阜・白川郷から移築してきた合掌造りの家屋です(驚)

旧矢箆原家(やのはらけ)住宅といいます(※国重文)

 

屋根の下に小さく写っている人物と比べて下さい、藁葺屋根の大きさがわかると思いますもみじ

内部も見学できます

白川郷といえば、2015年の飛騨ツーリングで訪ねましたが(vol.203)、まさか横浜でこれが見られるとは思いませんでしたグッド!

今や世界遺産の白川郷、現在は移築などほぼ不可能、本当に貴重な建物ばかりです。タイトルに”奇跡の名園”と付けたのは決して過言ではない事がおわかり頂けると存じます・あじさい

またゆっくりと、「た」の世話せずに訪ねたいと思います(笑)

三渓園をあとに、往路とは違うバス停(首都高の下)から、根岸駅行きのバスに乗りますバス

ご存じ、線名になってるのに地味めなw、JR根岸駅到着

南行で大船へ向かいます。次に行くのは~

 

-*-*-

 

大船で乗継ぎ、横須賀線・鎌倉駅下車電車

鎌倉、けっこう久しぶりですw

駅前で「た」と昼食のあと~カレー

猛暑の昼下がり、外国人のいなくなった鎌倉ですが、けっこう人出はありましたおひなさま

ご存じ、鶴岡八幡宮へつづく参道を歩き・走る人

宮の前まで来ましたが、今日の「た」スケジュールにはここは入っていません。じゃあ「た」はどこへ行きたいのか・かたつむり

八幡宮の前を右折し東へ、約20分歩いた先には~

道路脇の丘へ登る石段が現れる。その先は~

鎌倉有数の古刹、杉本寺です(天台宗)

山門には~

両脇で睨みをきかせる仁王さま

藁葺屋根の本堂です(※神奈川県指定文化財)

この杉本寺、鎌倉で最も古いお寺とされ、同寺HPによると734(天平6)年の開創との事。開基したのはアノ、行基です(※当別荘で訪ねる寺院、彼がつくった寺が多いw)

本尊は本堂内にある十一面観音立像で、国重文に指定されています(※本堂内は撮影禁止)

なぜ、「た」がこんな趣味のいいお寺を行先に選んだのは不明ですが(笑)、駅からやや離れている事もあり観光客は少なく、心静かに手を合わせるひと時を過ごせるお寺です・あじさい

あまりの猛暑なので、駅への戻りはバスにしましたw晴れ

お次は江ノ電、.これまた久しぶりです^^

降りたのは、稲村ケ崎駅フラッグ

おなじみ海岸沿いのR134、「た」がスタコラと歩く先には、駅名になってる稲村ケ崎クローバー

でも「た」のお目当ては↑の建物、ここは~

海辺のスーパー銭湯、稲村ケ崎温泉温泉

「た」シリーズおなじみの”風呂”ですが、僕一人の旅では日中に入浴する事はまず無いので、まさに「た」シリーズの骨頂ですw

湘南の海を眺めながら入浴できる絶景の温泉でした波

ひと風呂浴びた後、せっかく来たので稲村ケ崎にも寄ります男の子

湘南の海岸に面した、ご存じ、稲村ケ崎クローバー

海に突出した地形から、幕末には外国船監視のため台場がおかれていたそうです船

風呂上りの夕涼みをしている↑「た」(笑)宇宙人

 

稲村ケ崎、実は当別荘に登場するの2回目で、前回は古く創設年の2007年、「相模湖・大山・江の島ツーリング」(vol.9)のラストに出てきました。13年ぶりの再訪です^^本

遠く浮かぶ江の島と、黄昏てゆく湘南の海を見ながら駅へ戻ります波

鎌倉駅へ戻った時、↓なものを発見しました目

いつものように、僕のすきな線路の終端部を撮影していたら・・

ストッパーの上にカエルの置物を発見!wカエル

多分『観光客の皆さん、無事カエル』という事でしょうか^^

 

-*-*-

そんなカエルに見送られ、無事、我が蒲田村まで帰ってきましたw

この日は「た」も一緒に途中下車します、というのは~

「た」シリーズ締めでおなじみ、”食う?”ですが、今回は蒲田です割り箸

駅前の↑、三州屋本店さんへ男の子

日本酒と魚介類がおいしい和風居酒屋さんですお酒

・とはいいながら、「た」は焼酎、僕は生ビールですがw

(※↑の後は日本酒も頂きました)ビール

本日もまぁ無事終了!蒲田駅から消えてゆく、「た」

ホッとする瞬間です(笑)あせる

 

それにしても、初訪問だった三渓園、あんな素晴らしい庭園が横浜にあるとはホント繰り返しですが驚きでした。しかし原三渓、単に富を築いたというだけでなく、人物的にも大変な厚みがあった人だっただろうと拝察します。

でないと、いわゆる”成金”だけの人間なら、あんな貴重な文化財を京都から手に入れて自分の庭に据える・・なんて事到底不可能と思うからです。本作ではホンの一部しか紹介していません。四季折々の植物も魅力の庭園なので、是非訪ねてみて下さいキラキラ

 

「た」シリーズ、次はまた来年です!2021年、はたして日本はコロナ禍を克服しているのか、そして「た」はどこに現れるのか・・うり坊

では!虹

(※次作からは、また大型(?)シリーズが始まります、お楽しみに^^)