久々に、真夏8月にツーリングして参りました
春のツーリングシーズンを今年はコロナに盗られてしまったので、その補充としてなんですが、過去作を調べてみると8月にバイク行をした作は2015年の『真夏の山形ツーリング』以来です(vol.205~206)
例年猛暑の8月は避けていた”真夏の走り”、はたして無事行ってこれるのか・・
では参りましょう^
東北道・国見ICで降ります。福島県最北のICです
早速ですが、ICすぐにある道の駅『国見あつかしの郷』へ
この”あつかし”という名ですが、国見町のシンボルとして地元で親しまれている山「阿津賀志山」から名付けられたそうです
2017(平成29)年オープン、広い敷地&巨大な建物
国見町震災復興のシンボルとして開設されました。
ツーリング作でいつも立寄る全国の道の駅ですが、ここもお約束のラインナップでした。しかし、けっこう独特の味も出してる道の駅です。例えば~
なぜか↑、はるばる四国・徳島県から直送の金魚を販売!
(※同町HPを調べましたが、四国で姉妹提携している自治体は無い^^謎)
あと↑、国見町は福島県最北の町、県境を接する宮城県・仙台の七夕祭の飾りを展示していました。残念ながら仙台七夕も今年はコロナ禍で中止、↑の飾りは過去の祭で使用された本物です
園芸コーナーが超巨大↑
国見の人は花好きみたいですw
福島県内道の駅初という宿泊施設もあり、新しい分、街おこしへの意気込みが感じられる道の駅でした^
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・で、今作の目的地ですが、国見から県境を越え宮城に入ったところにある町、丸森町です。国見から国道349号へ入る。この道を選んだ訳は~
この国道、阿武隈川沿いを走るんです、但し狭い!w
県境です↑
宮城県丸森町へ入ります
ご存じ、福島から宮城へ流れる東北の大河・阿武隈川ですが、古来より度々洪水の被害を発生させ、昨年全国で大きな被害が出た台風19号でも決壊や土砂崩れが各所で発生したとの事です。
今も崩落のあとがみられ、復旧工事が行われていました。ご存じの通り全国に被害が及んだ昨年の台風19号ですが、実は人的被害が最も多く、11名ものかたが亡くなられたのがここ丸森町でした。今作は丸森応援作としたいと思ってます・
今走っているR349、阿武隈川の対岸には第3セクターの阿武隈急行の路線があるんですが、昨年の台風で甚大な被害をうけ、一部区間で不通になってしまってます。まずは、その阿武隈急行の駅から訪ねたいと思います・
家並が見えてきました
コンクリ平屋建の丸森駅です
おじゃましてみます
お~
レンタサイクルあり!
・というのは、駅から後程行く中心街まで約2km離れているので、鉄道で観光に来た人には有難い存在です
ただ、肝心の鉄道ですが、前述の通り昨年から一部区間が今も不通のままです。ここで、阿武隈急行について纏めます
この丸森駅、元々は旧国鉄丸森線の終着駅でした。
東北線の槻木駅から分岐し、この丸森まで約18kmが1968(昭和43)年に部分開通。さらに、戦前から計画あった、阿武隈川沿いに福島駅まで延伸する工事に取り掛かった矢先・・
国鉄経営悪化で、丸森線は廃止候補に挙げられてしまいます
こりゃ大変と、福島・宮城両県や丸森町等の各自治体で、3セク「阿武隈急行」を設立、国鉄丸森線を引き取って転換。
さらには工事途中で中断されていた福島駅までの延伸も成し遂げ、1988(昭和63)年、悲願の全線開業に漕ぎつけました。3セク路線で全線交流電化を施したのは全国初だそうです
・で、昨年の台風の話に戻りますが、一番被害甚大だったのが先程走った阿武隈川沿いの区間で、丸森~富野間が復旧の見込が立たない程の損傷をうけ、不通となりました。
一時期は同区間のバス転換も取り沙汰される等、危機的な状況でしたが、沿線各自治体の努力や地元の人々の熱い思いにより、鉄道での全線復旧が決定。まもなく(※2020.10予定)再開だそうです^
そんな、阿武隈急行の激動の歴史を見つめ続けてきたのが↑
旧丸森線開業記念の石碑が、駅前の片隅で佇んでいます・
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駅を出て、いよいよ丸森の中心、旧市街へ向かいます。阿武隈川に架かる橋を渡ります
橋からは↑、阿武隈ライン下りの乗船場も見えます
昔は水運に利用されていた阿武隈川ですが、今では観光船が川面の絶景へと誘います・
古い街並になってきました↑
丸森町の中心です
↑の洋館は、旧丸森郵便局(※国有形文化財)
いろんな伝統的建物がある同町ですが、これから『丸森といえばここ』という有名な建物を見学します。
その建物とは・・
街中心にある観光駐車場の真ん前に~
「蔵の郷土館 齋理屋敷」
丸森きっての名所、訪ねるのはここです。
明治期、丸森一の豪商、実業家だった齋藤理助の屋敷を、観光用に公開しています。同家代々の主人は、丸森ではまさに”名士”そのものだったようで、これから内部を紹介していきます
受付のかたから・・
「中は2000坪あります、ごゆっくりご覧下さい」
間口はそんなに広くないのに2000坪とは!驚きの広さですが、どんなお屋敷なのか・
入ってみれば、受付でのお言葉に納得、奥行が相当ありそうです
まず最初は、主人の居宅を復元した建物↑
内部、1階は企画展示室として使っています
2階にも上がれます
2階では、主人と奉公人たちの生活を紹介していました。
ここで、この屋敷で商いを営んでいた豪商、齋藤理助について概要です
・江戸後期から先の終戦直後まで、ここで『齋藤屋』として数々の事業を展開していた齋藤家。7代続いたそうですが、代々の当主は皆「理助」または「利助」と名乗る、襲名制だったそうです。
後程収蔵品も出てきますが、味噌や醤油の製造をはじめとして、縫製や金融、配電会社等に至るまで様々な業種を営み、まさに『丸森の総合商社』の様相だったそうです。
地域の若者を奉公人として多数雇用し、戦前までは丸森一の名士としてその名が轟いていたそうですが、先の敗戦後、農地改革により土地の多くが接収され、廃業を余儀なくされた齋藤家、1950(昭和25)年に店をたたみ、仙台に移り住んだと館のパンフにありました。
同家はその後、屋敷全てを丸森町に寄贈、一般公開に至ったという事です
明治期の”奉公人” といえば「休みもなく朝から晩まで働き詰め」という、現代でいえば”ブラック”の状態をイメージしますよね・
・齋藤屋でも労働時間面だけみればたしかにそうだったようですが、厚生面では、例えば↑の食事とみると・
↑右が一般家庭の当時の食事、麦ご飯に一汁一菜がふつうだったとの事ですが、左は同家で奉公人に出していた給食で、毎食白米のご飯(※お代り放題)に、一汁一菜のほか魚等のおかずも毎回付いていたとの事
一般家庭では当時、盆正月位しか食べられなかった、おかず付き白米飯が毎日食べ放題、その上給金以外にも小遣いや、年季が明けて独立する際の開業支援等、当時奉公していた人の話として「夢のような待遇だった」との事(※同館展示による)
主人や奉公人の生活に関する様々な展示
当主はここでは「ダンポ」と呼ばれていたそうで、↑は晩酌で飲んでいた酒類ですが、当時冷房など勿論なく、夏には晩酌を楽しむ主人の傍らでうちわをあおぐだけの係もいたとの事
母屋を出て、奥のほうにすすむと、蔵が多数建っています。
その数10以上、多くは国有形文化財です。しかも、そのほとんどが公開され内部に入れます
蔵ごとに、違うテーマで同家に伝わる文物や写真を展示
あと、齋理屋敷ですごいと思ったのは、公開している蔵は2階も全て見学可能という事。全国の公開民家の中でも、意外とこういう所少ないです
蔵の中には、2階が奉公人の寄宿舎となっていた所もあり、男子宿舎の壁には、当時の落書きがいっぱい
これ、当時の生活を伝えるものとして同館では意識して保存していて、奉公人たちの書道の練習とストレス発散を兼ねたものだったようです。中にはエッチな落書きもあり(笑)、一部は↑、館のほうで覆ってありましたw
さらに奥へ
敷地の奥は、洋館エリアとなっています。元々は作業場があったそうですが、平成に入ってから公開40周年を記念して、齋理が最も栄えていた大正期の意匠を採り入れた洋館風の展示棟に建て替えられたとの事(パンフによる)
名付けて”齋理新館”、入ります~
1階は特に展示はないんですが・
新館の注目は2階です。ここに同館で一番の展示(※と、僕は思いました)があるんです
新館2階には↑、『在町の記憶』と題した、丸森の街についての詳細な展示がありました
元々丸森の街は、ここよりもっと阿武隈川近くにあったとの事ですが、度々起こる洪水に悩まされた丸森では街ごと移転する事を決意。現在地へと移転したんだそうです
そして、ここの展示のハイライトは~
昭和初期の街並を、精細な模型で再現、これが見事だったんです
しかも、ただ忠実に再現しただけでなく、店舗はもとより一般の家に至るまで、その建物や住人ごとのエピソードまで詳しく紹介。これは見応えありました^
在りし日の写真も展示、忘れ去られつつある”戦前の日本”、しかも地方のありのままの姿を伝える珠玉の展示だと思いました
広い敷地に残る”戦前の豪商”の夢の跡・
齋理屋敷でございました・
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齋理屋敷を出て、少し街中を探索するんですが、この丸森には”独特の民間信仰”があったとの事。それは~
「猫神さま」
丸森ではネコは、ネズミを獲る益獣として大切にされていたとか。その猫を石に彫刻した石碑が町内あちこちに残っているとの事。観光案内所でもらったパンフを基に、何ヵ所か廻ってみます
まずは、齋理屋敷近くのお寺へ
西円寺というんですが、このお寺の片隅にあるというので、探索ですw
境内あちこちに石仏さんや石碑が大変多く、歴史を感じさせる寺です
パンフによると、このあたりだというけど・・
ありました!たしかに↑、猫が彫られています
近年風化がすすみ、わかりにくくなっていますが、たしかに猫が素朴な線で、かわいく彫ってありました・
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もう1ヵ所w
↑は、集落近くの丘にある、細谷観音堂
このすぐ傍に、猫神さまがいるとの事
どこかなぁ・・
草むらの中に数基ある石碑、その中に~
ありました!
こちらのは線だけでなく、立体的に彫られています
なんか、猫に対する愛情が伝わってきそうな、ほのぼのする猫神さまでした・
パンフには猫神さまの場所が10ヵ所以上載ってるんですが、時既に昼過ぎ、実はこの日大変な暑さになった日で、群馬県伊勢崎市で40℃を記録、ここから近い福島市でも38℃に達したとの事。僕もバイクもさすがに危険な暑さとなってしまいました。猫神さま巡り、今回はこの2ヵ所でギブアップとなりました
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しかし、帰京の前にどうしても紹介しておきたい所がもう1ヵ所あるので、コンビニでしばらく休憩の後、Wo号に跨って熱波の丸森を走ります
丸森の街はずれにある山城跡、金山城跡です
現在の福島県北部を支配していた相馬氏が築城したとの事
標高120mの丘陵に築かれた山城ですが、その後仙台から下ってきた伊達氏と当地で争いとなり、伊達氏が勝利して相馬氏からこの城を奪取。その後は江戸末期まで当地を支配した中島氏が城主だったとの事です。
頂上近くには石垣が残っているとの事なんですが~・
猛暑はますますピークに、体が動かなくなる程の大汗が出てきたので、登頂は残念ながら断念せざるを得ませんでした
丸森町、まだまだ全然紹介しきれてないんですが、時間となりました
常磐道・新地ICへ向かいます
・ここでご覧のかた、「え?来た時は国見で降りたのに、帰りは常磐道まで行くの?」とお思いでしょうけど・・
実は丸森から最寄りの高速は、東北道よりも常磐道・新地ICのほうが近く(約10km)、じゃあなぜ往路国見にしたのかというと、冒頭ご覧頂いた阿武隈川沿いの走りをやってみたかったから・・という理由ですw^^
・という訳で、新地インターから常磐道の人となって帰京します
いかがでしたでしょうか、宮城県最南端の要衝として栄えてきた丸森、阿武隈川の豊かな水と天然の交通路を最大限利用し、時には洪水に悩まされながらも独自の発展をとげてきた街です。東北線から分岐する鉄道が早くから計画されたというのも、実際現地をみて納得でした。メインで訪れた齋理屋敷、本作ではホンのさわり程度しか紹介していません。是非実際に行ってみて下さい
それにしても今年の夏は猛暑でした、仕事休みの都合でこの日に走ってきたんですが、予想をはるかに超える猛暑で、ホント参りました(笑汗)、また季節を変えて走ってみたいと思いますw
・次回は再び「アノ男」作ですw