vol.275 沖縄旅2018① 7年ぶり沖縄 (本島その1) 沖縄に"鉄"を求めて歩く | 旅ブログ Wo’s別荘

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 毎年、2月といえば海外シリーズへ旅立つのが、当別荘恒例のパターンでしたが、今年は休暇取得が大変困難で、僕自身の公休と繋いでも3日間しか確保できず、今年は国内にしました富士山

(※大晦日も三が日も全て仕事したのに・、涙)あせる

 

しかしながら、その1年で一番の大旅行と位置付けしている"2月旅行"なので、凡々と済ますのも寂しいあせるという事で、今回の行先は・

 

沖縄にしました。

2011年以来、7年ぶりです波

 

今年の2月旅シリーズ・沖縄、4回シリーズでおおくりします。

なお後述しますが、本島での作以外に、離島へも赴き、今年の離島シリーズも兼ねます。けっこう凄い離島へ行ってきました。お楽しみ下さい。

ではスタートですグッド!

 

6:25発、羽田発JAL朝一便、厳寒の都内から脱出します^雪の結晶

今年(2018)の東京、30年ぶりとも言われる厳冬。この出発日の前週には都心で20cmもの積雪もあり、ホントこの時期の南国逃避行はホッとしますw飛行機

 

日航機B777は順調に飛行し、約2時間半後・

7年ぶりの島影、沖縄本島へ突入するJALの翼波

自衛隊機が居並ぶ横、軍民共用の那覇空港に着陸フラッグ

到着早々、いきなり驚かされたのが、

着陸時に機窓から見えた↑の飛行機ひらめき電球

 

え!南西航空?」叫び

(※↑写真、偶然ですが後ろにモノレールが写り込んだベストショットに^^)

 

かつては"沖縄で飛行機"といえば南西航空でしたが、とっくの昔に日本トランスオーシャン航空(JTA)に社名変更し、機体もJALと同じ塗装に変更したはず。しかし↑機窓の先にはオレンジと赤の南西航空機、あれは幻なのか・w

 

帰ってから調べると、幻ではなく^、JTAがB737のうち1機を、懐かしの南西航空カラーにして運航していたとの事。

そして何と、僕が今回訪沖した1/31の前日、1/30にこの機は引退したとの事。僕が目撃した↑の姿、役目を終えた翌日の姿だったんですブーケ1

凄いラッキーでした^虹

幸先よく那覇空港に到着、ランの花が所々に飾られた空港内、心を休暇モードに誘います黄色い花

那覇空港の特徴といえば、国内線ビル内にもある↑免税店。

沖縄振興の特例法に基き、国内線客も免税ショッピングが出来る我が国唯一の空港です^プレゼント

 

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空港ビルを出ると~

お~、暖かい・

氷点下の東京から2時間余でもう、15℃ある那覇。南国感満点ですやしの木

そして、那覇空港から市内への足といえば・

モノレール(※ゆいレール)です電車

渡り廊下で続く、空港駅へかたつむり

那覇空港駅、改札横にある↑『日本最西端の駅』碑てんとうむし

 

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ここで、今シリーズの目的(1)と、テーマ(2)を発表します(※そんな大層なw)

 

(1)今回3日間のうち、本島で過ごすのは今作(※到着初日)一日だけとなり、あとの二日は『ある離島』へ行きます。

その離島を初訪問するのが、今シリーズ第一の目的です波

 

(2)あと、本島でのテーマは沖縄に”鉄”を求めてです。

鉄とは勿論鉄道の事で、早速モノレールも登場しましたが、沖縄で鉄ネタなんて他にあるのか?という事だと思います。

しかし・

 

鉄ネタ、沖縄にもあるんです新幹線

 

那覇の街を走っているモノレール、、今作でこの後すぐ、同社本社にある“ゆいレール展示館”も訪ねるほか、那覇の街中に点在する"鉄分"、更には戦前本島を走っていた『県営鉄道』の駅跡を復元している、那覇東郊の与那原町へも足を伸ばします。お付合い下さいグッド!

 

・という事で、市内へ出る前にまず、空港駅から高架下を歩き、

『ゆいレール展示館』へと向かいます。

空港から歩いて10分程です走る人

空港駅と、次の赤嶺駅の中間に、モノレールの本社/車庫、そして展示館がありますしっぽフリフリ

会社の門にも↑シーサーが・

さすが沖縄です^しし座

門を入って左手に、展示館があります。

↑の建物ですが、なんか展示館というより業務用建物という感じw

展示館玄関の横には↑乗務区の入口、その奥には車庫があります。

車庫は直接見えませんが、塀や各建物の隙間から停まっているモノレールがチラッと見えます^

おじゃまします男の子

(※入場無料)

朝一の開館直後だったので、僕が一番乗りw

入ってまず導れるのが、↑映像ルームテレビ

モノレール歴史や計画・建設時の経過の記録画像のほか、モノレールに関する歌等も流れ、なかなか見入ってしまいます^ベル

TVモニターの周囲には、歴史を語る写真や資料が展示されています。↑は開業時のポスターです。

ゆいレールは2003(平成15)年、那覇空港~首里間の約12km、15駅で開業しましたクラッカー

建物は2階建でしたが、1Fにはモノレール関係の史料、2Fには『モノレール以外の鉄道史料』がありますクリップ

愛称”ゆいレール”として親しまれる、沖縄都市モノレールグッド!

県・那覇市や財界、民間企業等が出資する、第3セクターで運営しています。

 

戦後、アメリカ統治下ですっかり車社会になっていた沖縄、建設にあたっては資金繰りの他、この『車社会に慣れていた県民に理解を求める』事が大変だったようです。

 

開通は前述の通り2003年でしたが、会社設立は1982年、開通まで20年余を要しました。

そんな苦難の歴史を物語る展示品の数々は興味深かったですが、それと同時に、この展示館でひときわ感じたのは、『モノレールに対する愛情の深さ』ドキドキ

 

同線のキャッチフレーズは、"みんなで育てよう県民の財産"

『ゆいレール』の名の通り、沖縄県民の絆をつなぐ鉄路として育っています^キラキラ

2018現在、首里から北東方向の浦添市へ約4kmの、延伸工事が行われていますドリル

(※2023追記: 2019年、首里~てだこ浦西間開業。さらに2023年には3両増結も始まり、進化を続けています)

 

つづいて、2Fへ右上矢印

2階は、本土の鉄道(※旧国鉄・JR)や、戦前沖縄本島を走っていた県営鉄道等の展示でした。

この2階、なかなか貴重な史料多数だったので、順に見ていきます目

↑年表の内容も興味深い。

現状、車社会の沖縄ですが、でもそれは戦後からの事。それ以前には連綿とした、鉄軌道を中心とする"知られざる、戦前沖縄の公共交通"の歴史がありました。

その沖縄交通歴史の中で最も重要な年が、『1914(大正3)年』

↑この年、沖縄本島になんと、3種の鉄道が同時開業電車

 

後程与那原町のところで詳述する県営軽便鉄道のほか、那覇市内に路面電車、又、与那原から東岸への馬車鉄道も開業し、現在の沖縄から想像も出来ないような鉄道ネットワークがあったんです(驚)

戦前、本島を走っていた、↑軽便鉄道の写真カメラ

現在は那覇バスターミナルになっている場所、↑写真の旧那覇駅は、その場所にありました。

同駅から3方向に向け、路線が延びていました(※県鉄については、後程行く旧与那原駅のところで詳述)

それと注目なのが、本土の鉄道に関する史料が思いのほか充実している事。よく集めてきたなぁと驚きですひらめき電球

本土鉄道展示の中でも、とりわけ沖縄に関係あるのが、

"寝台特急なは号"に関する展示星空

"なは"の名前、まだアメリカ施政下にあった1968(昭和43)年、沖縄県の新聞社が『本州に、沖縄復帰の願いを込めた名前の列車を走らせよう』と列車名を公募。候補名を国鉄に提出して実現したものだそうです。

 

なは号、当初は大阪~西鹿児島間の昼行特急でしたが、その後夜行に。運転区間等は度々変更しながらもJR転換後も生き残り、2008年まで運転されていました。

↑は廃止後JR九州から譲渡され、"名付け親の地"にやってきたヘッドマーク星

 

ホント、無料なのにこんな充実してていいのか?wという程の展示館でした。少しでも鉄分ある人は、那覇へ行ったら訪問必須です^

 

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展示館見学を終え、空港駅に戻りました。ではいよいよモノレール乗車・馬

7年ぶりの沖縄モノレール乗車です合格

 

空港駅から1駅目、↑赤嶺駅に早速途中下車。

1日券にしたので乗降し放題^しっぽフリフリ

赤嶺駅は、『日本最南端の駅』です王冠1

冒頭ご覧頂いた那覇空港駅が『最西端』なので、2駅連続で、日本最端駅を訪問できるという訳です^

赤嶺駅は、碑を撮るためにチラッと降りただけでした。

次は~

次は、本格的(?)に途中下車します。

この駅は・

空港から5駅目、壷川駅ですコスモス

市街中心部の少し南郊に位置しますが、なぜこの駅で下車したかというと・

現在鉄道が無い沖縄、しかし那覇市内には、鉄道車両を保存展示している公園が2ヵ所ある、という事がわかりましたメモ

2ヵ所とも壷川駅から歩いて行けるので、訪ねてみます走る人

 

1ヵ所目は、駅から歩いて数分、壷川東公園カメ

この公園の奥に・

小さな機関車が見えてきました。

SLのような形にも見えますが、↑ディーゼル機関車です。

しかし外板は無く、エンジン部が丸見え。保存状態はよろしくないようですあせる

ここ壷川には、先程ゆいレール展示館で見た、旧県営鉄道の線路が通ってたんですが、↑はその軽便の車両ではなく、南大東島で走っていた、サトウキビ運搬用の鉄道で使われていた機関車です。

(※県営鉄道の車両は、戦争で破壊されたか、残ったものもスクラップにされ、全く残っていない)

 

でもなぜ、遠く離れた離島の機関車がここに・?

機関車の脇にあった説明板には、旧軽便鉄道についての記述だけで、現物の機関車については『南大東島から来た』としか書いてなく、肝心の"なぜ壷川にあるのか?"は謎のままですナゾの人

 

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続いて2ヵ所目の公園には、徒歩でも行けるんですが・

上り坂なので、ちょうど来たバスに5分程乗って行きますwバス

↑与儀十字路バス停で下車。

ここは幹線道路同士が交わっている、那覇市でも有数の主要交差点ですリサイクル

この交差点の角にある、『与儀公園』ですクローバー

那覇市内でも有数の、大きな公園です。

↑早速見えてきました、SLのようです目

先程の壷川東公園のは小さなナローゲージ車両でしたが、今度のは大きい!

しかも、本土の蒸気機関車はてなマーク

旧国鉄蒸機を代表するD51、デゴイチがここ那覇に!(驚)

このD51、金網で厳重に囲われている上、周囲に樹木も多く、どこから撮影するかが難しかったんですが、↑金網の隙間からレンズを入れ、何とか撮れましたwカメラ

このD51 222号機、1938(昭和13)年製造、九州各線を走ってきました。車号プレートの下の『延』は、最終配置地・南延岡機関区の記号。

 

では肝心の、なぜこのSLがはるばる沖縄へ、海を渡る事になったのか?ですが・波

 

現地解説板によれば、本土復帰の直後、旧国鉄・門司鉄道管理局職員が、沖縄の子供たちを門司へ招待する企画をしたとの事。

その時、当時まだ九州を走っていた国鉄SLの雄姿に子供たちは心奪われ「ぜひ沖縄にほしい!」と要望。

 

そこで国鉄職員を中心に輸送費1000万円余(※当時)を寄付で集め、廃車機から当機を選抜、鹿児島から600kmの船旅を経て、無事那覇へやってきたとの事です。

九州と沖縄の友愛の象徴として、塗装塗替等の手入もこまめにされてると見受けられ、大切に保存されているようですキラキラ

 

ただ、僕が気になったのは、多雨の沖縄なのに『屋根が付いてない』事。保存車両が登場する作でよく書いてますが、静態保存車は屋根の有無でその後の"持ち"が大違い。設置を検討してほしいなぁと思います雨

大きな公園なので、バスの時間まで少し散策していきます^

↑"ヤシ落下注意"が沖縄っぽいですやしの木

ガジュマルの木からは、↑空気中の水分を吸う地上根が垂れる霧

この与儀公園、桜の木も多数あり、毎年2月(早!)に桜まつりがあるそうです桜

 

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次は、那覇市内を出て、与儀十字路からバスで与那原町へ行きます。

与那原へのバスは、与儀公園向いにある↑那覇警察署の前から出ていますパトカー

バス待ちの間、この警察署玄関前で、↑面白いものを見つけました。

玄関横、『ふれあい之鐘』とありますが・ベル

しかし↑の通り鐘は無く、代りに鐘の写真付の解説板が目

 

それによると、↑煉瓦の台の上には、かつて鐘がありました。

その鐘は、先の大戦で焼き尽くされた那覇の街から一市民が掘り出し、市内の寺に保管されていたものを、1988(昭和63)年に那覇署が現在地に移転したのを記念して、設置されたそうです。

 

それ以来、レンガ台座の上で市民に親しまれてきたんですが、その後に学術調査をしたところこの鐘、15世紀の琉球王国時代につくられた、超貴重なものだと判明叫び

 

「こりゃ大変、屋外には置いとけない!」という事で、慌てて撤去w

現在は、県立博物館にあるとの事です星

 

与那原への↑バスが来ました。

これから約30分程乗って、那覇市から東へ10km弱の与那原町へ向かいますDASH!

(※沖縄のバスについては、次作で詳述します)

 

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↑与那原町役場入口停留所で下車。

ここから歩いてすぐ、目的地です。

淡いグレーに塗られた、平屋のコンクリ建物が。

これが、アノ・

ゆいレール展示館でも少しふれましたが、かつて沖縄に走っていた県営軽便鉄道・与那原駅、復元された駅舎です。

2014年に復元され、町立の鉄道資料館としてオープンしました。

駅舎前の石碑は1921(大正10)年、皇太子(※後の昭和天皇)が訪欧途中に来沖、与那原から那覇まで乗車された事の記念碑。お召列車まで走った鉄道だったんです電車

入場券は、昔の切符(※硬券)を模した形。

しかも、裏返すと・↓

当時の乗車券面を見事復刻!合格

小さな復元駅舎ですが、その展示資料は、ここでしか見れない興味深いものばかりでした目

↑の写真は終戦直後、無残に破壊された与那原駅舎。

 

冒頭のゆいレール資料館で前述しましたが、沖縄県営鉄道は1914(大正3)年、那覇~与那原間(約9km)が最初に開通。

その後、南は糸満/北は嘉手納へも路線を延ばし、那覇から3方向に延びる、計50km余の、"沖縄本島鉄道ネットワーク"を形成していました左右矢印

 

通勤通学のほか、海水浴等への行楽客等でも活躍。

又、20周年時には記念列車も走らせる等、本土の鉄道と何ら変わりない運営がされていました。

軌間762mm(※ナローゲージ)の軽便鉄道で、県民からは沖縄読み"ケービン"と呼ばれて親しまれていましたしっぽフリフリ

しかし戦時、戦時色濃くなった1944(昭和19)年以降は軍用鉄道と化していき、翌1945年春頃には3線とも運転を休止。

そして、激烈な沖縄地上戦や空襲により、街と共に、鉄道施設も破壊し尽されました。沖縄を走った鉄道は、戦災という理不尽な理由でその歩みが止められました。

ちなみに、2018現在も"廃止届"は出されておらず、書類上は休止中なんだそうです。

↑終戦直後、破壊された機関車が廃墟の中にある、貴重な写真。

復興のため、金属としてスクラップに出され、当時の車両は1両も現存しません

 

戦後、琉球政府が復活を検討した時期もあったそうですが実現せず、やがて沖縄は車社会になり、沖縄からは、鉄道の記憶も痕跡も薄れ、無くなってゆきました。

勿論、こういう博物館必須の↑年表もあり、充実の内容です。

 

↑4つ上に、終戦後の廃墟と化した駅舎の写真を載せましたが、この与那原駅舎、軽便唯一のコンクリート造だったという事で、鉄骨が多少残っていたのか、なんと修復され、町役場として長年使われていました。

 

その後、役場が新築移転してからは農協がしばらく使用。その農協も移転した後、『旧駅舎を甦らせよう!』との機運が高まり、2014年に往古の駅舎へ復旧、リニューアルオープンしましたクラッカー

駅舎の裏手には、↑現役当時の柱(基礎)が残されています。

 
冒頭のゆいレール展示館&ここ与那原駅舎資料館の、想像以上の充実ぶり、そして那覇市の公園にあった鉄道車両たち、鉄道が無い沖縄でこれだけ『鉄分トリップ』が出来るんですキラキラ
そして、沖縄にも鉄道に愛着を持つ人が沢山います。悲惨な戦争の記憶と共に、忘れてはならない沖縄の重要な史実だと思いますコーヒー
 
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今作ここまでです!
 
2018年の"2月旅行"&"離島シリーズ"を兼ねた沖縄旅シリーズ、第1回は"沖縄島の鉄道"を取り上げました。
次作ですが、せっかく与那原町まで来たので、同町の"街ブラ"をしていきたいと思います。お楽しみに^
 
そして、シリーズ後半・③~④が離島編です。"どこの離島なのか?"は、もうしばらく引っ張りますw
 
今作含め、本島2作、離島編2作の計4作シリーズになります。お楽しみ下さい^虹
 
 
 
 
 
(※2023.7 文一部修正)